以下は、5月9日の脱被ばく実現ネット主催、第23回新宿デモで話した内容。
避難者追出し裁判1・9最高裁判決とマグナ・カルタ
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三浦守少数意見>全文 |
1月9日言渡しの最高裁判決全文>こちら
1、昨日、東京地方裁判所で、福島県が県外に自主避難した避難者に仮設住宅からの追い出しを求める裁判(>提訴時の報告)の最後の証拠調べがありました。証言台に立ったのは南相馬市から東京のしののめに避難した原告らの最年長のDさん。Dさんは311まで健康そのものだったご主人が311後に免疫不全の難病にかかり、長い闘病生活を看病した末、今年2月にご主人を看取りました。昨日、Dさんはその悲しみがいえない中をご主人の無念を代弁するかのように、311以来、国内避難民として経験せざるを得なかった苦難の理不尽な日々を涙ながらにひとつひとつ証言し、終わったあと、傍聴席から拍手が送られました。
2、ところで、311以来、原発事故の救済を求める訴訟は何度も起こされましたが、その都度惨敗し、連戦連敗を重ねてきました。昨日の裁判に先立って、6年前、福島県が福島地方裁判所で避難者に仮設住宅からの追出しを求めて起こした裁判もそうでした(>第1回弁論期日の報告)。裁判官が避難者の訴えに全く耳を傾けないので、一審と二審の裁判官の交代を求めた5回に及ぶ忌避の申立て(>報告1.報告2.報告3)はことごとく退けられ、まともな審理を受けられないまま一審、二審とも全面敗訴の判決が続きました(>その報告)。それは311後に人権侵害のゴミ屋敷と化した日本社会に相応しい暗黒裁判でした。この暗黒の闇から何とかして光を引き出すために、代理人を務めた私自身、態度を根本的に変更した上告の書面を最高裁に提出しました(>その報告1・報告2)。それが「政治・政策問題から人権問題に全面的にシフトすること」その上で「ジワジワと人権保障を1ミリでも前進させるための理論を作り上げること」でした(>その気づき)――つまり、国家権力の重圧、プレッシャーの中にいる最高裁判事が勇気ある決断を下せるようにそっと背中を押したい、最高裁につばを吐くのではなく、花を盛ろうと思ったのです。だから、その書面の冒頭はこうでした。
《本裁判の特徴を一言で言い表わすと、それは原発事故を救済する法律が存在しないという「真空地帯」で災害弱者の基本的人権が問われた裁判である。その本裁判に対して避難者らが最高裁に望むこと、それは司法が一歩前に出ることである。》(上告受理申立理由書6頁)
3、すると、原発事故の救済を求める事件をこれまで殆ど門前払いしてきた最高裁は、昨年暮れ、私たち避難者の上告を門前払いせず、避難者の上告理由(福島県知事の住宅提供の打切り、いわゆる内堀決定の違法性)について判断を示すと応答してきたのです(>その報告)。これは青天の霹靂でした、311以来、原発事故の救済について固く閉ざしていた司法がいま初めて扉を一歩開いた瞬間だったからです。1月9日、その判断を示されました。それがこの判決です。結論は上告棄却、避難者の負け。
しかし、問題はその理由づけです。最高裁が国家権力のイヌであるためには、権力者の行為が適法であるとお墨付きを与えることが求められるのです。しかし、この多数意見は「内堀決定が適法である」と内堀のやったことにお墨付きを与えることをしなかった。多数意見がやったことは、この裁判の解決にとって内堀決定は関係ないとして内堀決定の違法性の判断から逃げたのです。その結果、内掘決定は違法であると正面から認めた少数意見だけが最高裁判決に掲げられました。それが三浦少数意見です。しかもこの三浦意見は、内掘決定には本質的な欠陥があると明言しました。なぜなら、三浦意見は、私どもが声を大にして主張した次のこと、つまり
《福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ち、本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった。その結果、政府により救済されない中を、放射能のリスクから命をかけて「子どもを守る」或いは「自分や家族を守る」と決断して自主避難を選択し、仮設住宅の提供以外に国と相手方から真っ当な生活再建の支援もない中を、この間ずっと、慣れない都会の中、自力で努力し続けてきた人たちである。このように過去に経験したことのない「さ迷える市民」にされた彼らの過酷な現実を踏まえて、彼らの救済について真摯に向き合うべきである》(上告受理申立理由書13~14頁)
これに100%応答して、内掘決定は避難者の置かれた個々の具体的な事情を考慮せずに行なったものであり、そのような権力の行使は社会通念上著しく妥当性を欠き、断じて許されないと明言したからです。内掘決定の適法性については、最高裁判決にはこの判断だけが載ったのです。
4、しかし、これに対し次のように言う人が必ずいます――三浦意見がたとえどんな素晴らしくてもしょせん少数意見、負けたことには変わりないと。
その通りです。しかし、人権運動はいつも少数者の声から始まるのです。そして人権運動は少数者の声がその声をあげた瞬間にその声がどう評価されたかではなくて、その声に、たとえ時間がかかろうとも、その後、私たち市民がどう反応したかで決まり、さらにその評価も関が原の決戦みたいな一発勝負で決まるのはなくて、ビートルズのlong and winding roadの題名のように、ジグザグの、うまずたゆまず、一歩ずつ前に進むしかない、終わりのない漸進運動だからです。
この人権運動のリアルな展開に目を向けるとき、今回の少数者の声である三浦少数意見がどれほど重要であるか、多数意見に三浦少数意見が放った輝きを否定・批判するような反論がひとつも書けなかったことがその重要性を余すところなく示していますが、三浦少数意見は、311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を人権屋敷に再建する突破口となるような、原発事故の救済に関する人権宣言のスタートとなるような画期的な最高裁判決なのです。
5、人権宣言の原型は1215年にイギリスで作られたマグナ・カルタです。先日、イギリスの国王がアメリカ議会で、マグナ・カルタが1789年以降、米連邦最高裁判所で160件の判決で引用されたとマグナ・カルタの重要性を強調しました(>BBC記事)。私もまた、1月9日の追い出し裁判最高裁の三浦少数意見に接したとき、マグナ・カルタを思い出しました(>その報告)。三浦少数意見こそ311後の日本社会のマグナ・カルタだからです。というのは、
「マグナ・カルタの真の偉大さは、それが1215年の作者たちにとって何であったかにあるのではなくて、それが後に、後世の政治的指導者、裁判官や法律家、およびイギリスの全市民にとって何になったかにある」からです。
だから、三浦少数意見の真の偉大さは、それが作者の三浦裁判官にとって何であったかにあるのではなくて、それが今後、これからの政治的指導者、裁判官や法律家、および日本の全市民にとって何になるのかにあるのです。
もともと人権宣言とは、いまだ実現しない人権の実現を願っ て、「人権を発見」した人々から全世界の市民に向けて捧げられた愛の告白です。だから、三浦少数意見も、いまだ実現しない原発事故避難者の人権の実現を願って、「人権を発見」した三浦裁判官から私たち市民に向けて捧げられた愛の告白です。それはひとりの人間からまかれた一粒のタネです。そのタネが芽を吹き、葉をつけ、花を咲かせ、豊かな実りをもたらすかどうかーーそれはひとえに私たち市民の手にかかっている。もともと人権を実現する道は人類全員の協同労働です、三浦裁判官が少数意見で成し遂げた人権の仕事は、このあと、彼のバトンを引き継いだ私たち市民の中の第2走者、第3走者、‥‥無数の走者たちが、人権の葉をつけ、人権の花を咲かせ、人権の豊かな実りをもたらすまでの仕事です。今度は私たち市民が一歩前に出る番です。一緒に頑張りましょう。


