2026年8月28日金曜日

【第133話】つぶやき(その8)チェルノブイリ法日本版、その対話の必要性と可能性(2)(26.8.28)

以下は、1年前に、私が代理人ではなく、原告本人としてゆうちょ銀行を被告に提訴した人権訴訟の中で体験した体験談である。一見、それはチェルノブイリ法日本版の対話の必要性と可能性と関係なさそうに見える。しかし、それは自分が初めて法律家になったような気がした書面を書いた経験であり、法律家に羽化した瞬間の体験だった。チェルノブイリ法日本版も市民が法律を生成する取組みであり、市民が「法律家」として行動を起こす番である。だから、この「法律家に羽化した体験」は市民主導の「法律家」の行動=市民立法にとっても意味があると確信する。
ただし、この時の体験談が1回の投稿では書き切れず、5回に分かれている。末尾に、1回目の投稿の冒頭と終わりのさわりを再掲した。

【第109話】法律学(自己)批判の最初の一歩:自分が初めて法律家になったような気がした書面を書いた(25.7.6)

【第110話】法律学(自己)批判の次の一歩:自分が初めて法律家になったような気がした書面の注釈を書いた(25.7.9)

【第111話(追加)】法律学(自己)批判の三歩目:「生ける法=生成法」の最も明確なメッセージである「モンドラゴンの挑戦」に立ち帰る(25.7.13) 

【第112話(追加)】法律学(自己)批判の四歩目:ゆうちょ裁判が問うた本質的なテーマ、それは「たがために法律はあるのか」(25.7.12) 

【第113話】 「脳化社会に安住する塀の中の法律」は終焉を迎えた。まだ誰によっても書かれたことのない「脳化社会の塀の外に出た法律」を準備する必要がある。それが「生成法=生ける法」(2)(25.7.13) 

いま、私に必要なことは法律家として羽化すること。それが
ヘーゲルの「弁証法」を創造的に否定したマルクスのように、
「概念法学」を創造的に否定することである。

 それは概念法学の換骨奪胎だった。概念法学がなぜダメかというと、それは概念法学の組み立てでは、一方で、論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分がおざなりの形式的、定型的な事実にとどまり、他方で、紛争の現場のリアルな事実の核心部分がノイズと扱われ抜け落ちるおそれがあるからだ。とりわけ制定当時に想定していなかった新たな事態が発生したときには、概念法学ではこのおそれが現実化する(これが「法の欠缺」状態の発生である)。概念法学のこの宿命的な機能不全(すなわち「法の欠缺」状態に対応できない)に対し、概念法学にふたたび命を吹き込むのがここでの目的だった。それが概念法学の換骨奪胎ーー概念法学の法的論理の枠組みだけ残して、論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分に、概念法学のように形式的、定型的な事実でもってお茶を濁すのではなく、紛争の現場のリアルな事実の核心部分が盛り込まれるように、事実の取捨選択と分析と活用の仕方を面目一新しようとしたのである。

紛争の現場のリアルな事実の核心部分」の把握の重要性は実はずっと昔から、戦前は末弘厳太郎の「自由法論」「法社会学」、我妻栄の処女論文「私法の方法論に関する一考察」、戦後も民法の星野英一、刑法の平野竜一らが提唱した「利益衡量論」、憲法の芦部信喜が提唱した「立法事実論」などでお馴染みのものだった。しかし、これらの思考方法は一時の流行でもなければ、特定の分野だけのことでもなく、すべての法律問題に及ぶ普遍的、原理的なものであった。

しかし、これまで、ともすると、「概念法学」の弊害に対する反発から「概念法学」の全てが批判の対象となり、法的論理の枠組みすら否定されてしまいがちだった。しかし、ヘーゲルの「弁証法」を創造的に否定したマルクスにならって(末尾の※3)、ここで必要なことは「概念法学」の創造的否定だった。それが法的論理の枠組みである論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分に新たに紛争の現場のリアルな事実の核心部分」を埋め込んで、そこから(概念法学がもたらした)「死んだ法」に換えて「生きた法」を創造することだった。

その際、私が自覚的にやろうとしたことは、論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分に紛争の現場のリアルな事実の核心部分」を埋め込んだだけではなく、そのあと、その埋め込みに最も相応しい法的な判断を引き出す(それが「法の欠缺」の「補充」という法の創造作用のことである)にあたって、私自身の中で「最も普遍的な判断」とみなしてよいと信ずるものを持ち込んで、法的な評価を引き出したことである。今までと何がちがうかと問われると、それまで私は「法的価値判断の相対性」という考え方に囚われていて、事実問題は真偽の有無を判断できるが、法律問題という価値判断では真偽の有無は判断できない、つまりどこまでいっても相対的な判断にとどまると思ってきた。そのため、法律問題に対しては、あくまでもこれは私個人の主観的な価値判断として主張しているのだというスタンスを取ってきた。
しかし、最近に至り、統計学・疫学の検討をする中でそれはちがうのではないかと思い直すようになった。実はヒュームの懐疑論、ポパーの反証主義からも明らかなとおり、事実問題もまた
真偽の有無をついに確定的に判断することは出来ず、あくまでも仮説にとどまる。そうだとしたら、価値判断もまた同様に考えられるのではないか。つまり、これもまた仮説として普遍的な価値判断を提示しているのであり、そうだとしたらこれも許されるのではないかと。
柄谷行人によれば、カントは普遍性を真(科学)の次元のみならず、善(倫理・法)の次元にも拡張したとされるが、私が今回初めてやろうとしたことはカントのこの立場に立とうとしたことである。もちろんこれは仮説としての法的価値判断である。だから、のちにいくらでも反証され、否定されても構わない。しかし、それまでの間、私は自分の法的価値判断を普遍的な性格を持つものとして初めて主張したのである(それでとくに問題はないと考えている)。
その結果、何か変わることでもあるのか? そう問われると、私は大いにあると答えたくなる。「文は人なり」--このコトバはこの業界に身を置いていると痛切に感じるものである。従って、もし法律問題に対して示す自分の法的価値判断を「普遍的な性格」を持つものとして主張し得たとき、そのコトバは今までにはない説得力を読み手(裁判官や裁判の当事者・支援者)にもたらす力を持つであろうことを私は疑わないからだ。裁判官に向かってに限らず、およそ「法を説いて、人を巻き込む」の極意とは別に手練手管や詭弁的なテクニックを駆使することではなく、こうした原理的なスタイルそのものを地に足をつけて実行することにある。

その取り組みを曲がりなりにも初めてやったのが、ゆうちょ裁判の今回の準備書面(3)だった。
以上の意味で、この短い書面は、これまで書いたことがないような
私にとって画期的な書面である。私はこれで法律家として羽化したと思った。

とはいえ、これがどこまで首尾よくいったかどうか、自分では分からない。ただ、これを書き上げたとき、この書面でもってこの裁判の勝負に出よう、それで、まともな裁判官の手で裁かれるのであればそれで構わないという心境になった。つまり、裁判官に向けて、自信をもって自分の愛の告白をつづったラブレターを書いたと思った。

このとき、私は曲りなりに、自分が初めて法律家に羽化したような気がした。

私の願いは、2日前に自分が羽化した「自分が初めて法律家になったような気がした書面」をただのお飾りにして終わるのではなく、これを最初の一歩にして、今後、もっともっと練り上げていき、今度はひとり裁判官だけではなく、裁判に関心を持ってくれるすべての市民に向けて読んでもらえるように、このような書面を何十通、何百通、命がある限り書き続けることである。
それが、私にとって
政治・政策問題から人権問題へのシフト」を実践する大切な場のひとつである。

2026年8月18日火曜日

【第132話】つぶやき(その7)チェルノブイリ法日本版、その対話の必要性と可能性(1)(26.8.18)

1、10.25 郡山の対話集会のテーマはチェルノブイリ法日本版について次の2つの問い。
(1)、Why:チェルノブイリ法日本版の実現(制定)の必要性(なぜ必要なのか)
(2)、How:チェルノブイリ法日本版の実現へのロードマップ(どうやって実現するのか)
         ↑
これまで、チェルノブイリ法日本版の学習会で取り上げた一貫したテーマ
     「戦争と平和」
も同様だった(>具体例〔8年前の郡山の学習会〕)。
なぜなら、今回の上記(1)が戦争(福島原発事故の現実)、上記(2)が平和(福島原発事故の救済)にほぼ対応するから。
その上で、10.25対話集会では主に、小出さんに(1)、柳原が(2)を担当と考えている。
    ↓
最大の問題は、このテーマをめぐってどうしたら対話が成立するか。そのためには対話成立の条件について吟味する必要がある。

2、対話集会の条件ーー人を見て法を説く。
10.25対話集会で取り上げるテーマについて、人々はどう考え、感じているのか、それを踏まえてこちらが語る必要がある。
この点、難しいのが(1)のチェルノブイリ法日本版の実現(制定)の必要性について。
なぜなら、
311直後なら、これについて人々がどう受け止めたかはほぼ直感的に理解できた(ように思う)。
だが、311から15年経過した現在、これについて人々がどのように受け止めているのか、率直なところ、よく分らない、見えない。
その結果、集会で、ただやみくもに語っても、人々の心に届かず、独りよがりの独演場で終わってしまうおそれが多いにある。実際、私はその失敗を過去にうんざりするくらい経験してきた。
         
3、過去の日本版学習会の振り返り(反省)
柳原は過去の学習会で、「人を見て法を説く」ことを殆どして来なかった。もっぱら、語る本人(柳原)の信じるところ、思うところを無我夢中に語ることしかしてこなかった。それ以上、自分の語ったことが、相手(参加者)にとってどのような意味を持ったのか、それをしっかり受け止める(対話する)ことを殆どしてこなかった。
その結果、たとえ語った内容が良かったとしても、相手(参加者)にとっては、精々「ああ、今日、いい話を聞かせてもらった」と知識がひとつまた増えたとか、原発事故について少しお利口になったかくらいで終わってしまった。それ以上、「一歩前に出て」チェルノブイリ法日本版の実現に向けて行動しようというアクションには(ごく一部の例外を除いて)結び付かなかった。
いわば、情報を一方的に伝達するだけの、閉鎖的なタコツボ型の集会(学習会)しかしてこなかった。  
それが日本の市民運動の悪しき伝統であることを最近知って、改めて愕然としている。
その中で、60年安保のときに、岸首相が、国会に押しかけるデモについて「私は『声なき声』にも耳を傾けなければならないと思う。いまあるのは『声ある声』だけだ」と述べたことにリアクションして(いわば岸と対話をして)、だったら誰でも参加できる「声なき声」のネットワークを作ろうじゃないかと、ふたりの市民(小林トミ不破三雄)が「誰デモ入れる声なき声の会 皆さんおはいり下さい」と書いた幕を掲げてデモの最後尾について歩き出した。最初、二人の後ろに誰もいなかったのに、その後、沿道の歩道にいた一般市民が徐々に列に加わり、解散時には300人以上にふくれ上がった。そこから「声なき声の会」「べ平連」という、新しいタイプの市民運動が誕生したことを知った。人を見て、誰もが参加できるデモを説いた、この対話型デモの試みである「声なき声」の取組みは今もなお振り返る価値がある。
        
4、その意味で、今の時点で必要だと思っていることは、
311直後ではなく、311から15年「も経った、或いは、しか経っていない」現時点において、原発事故について「声なき声」の人たちの中で、漠然と「福島原発事故はもう終わった」と考えている、或いは「福島原発事故は終わったと信じたい」と思っている、或いは「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんのように()放射能のことを心底嫌いだと思っている、そのように原発事故のことを気にしている人々の気持ちを意識して、このような人々に向けて、彼らの心に届くように、福島原発事故の救済の必要性(その具体化がチェルノブイリ法日本版)について語りかけること、対話を試みること。
言い換えれば、311から15年も経って「福島原発事故はもう終わった」「福島原発事故は終わったと信じたい」「放射能のことを心底嫌いだ」と思っている人々の頭の中がグジャグジャになるような認識の体験をしてもらうように、彼らに語りかけること。
以上、「言うは易き、行い難し」だが、スタンスとしては、これを基本にしたい。

)「自伝」より。

毎年、夏がくると「原爆!原爆!」とマスコミ等が騒ぎたて、私の気持ちは落ち込んで暗くなった。嫌でも広島の体験がよみがえり、やりきれない気持ちにさせられた。そして、自分が被ばくしたことで、なんか悪事を働いたような錯覚を覚えた。世の中の迷惑人間のように見る東京人の目の嫌らしさには、本当に腹が立った。‥‥
広島にいたとき原爆という言葉が嫌いで逃げていたが、東京に住んでからは、ますます原爆という言葉が嫌いになって逃げ回った。酒場や会合などで同県人だと聞かされると、原爆の話題が出ないことを祈るように願った。‥‥
私はもう二度と原爆という言葉を口にすまいと 決心した。本屋に行って書棚に原爆関係の本が並べられていると、目をそむけて通り過ぎた。新聞記事に原爆という文字が躍っていると、その記事は一切読まなかった。私は原爆という言葉と文字が本当に嫌いになった。(185~186頁)

5、4の対話の可能性の中心
では、4の対話は言うは易きで、果たしてそんな対話が可能か?
困難だとしても可能だと思う。なぜなら、一方で、正直なところ311後からずっと、上記のような「人を見て法を説くような」対話にチャレンジしたことがなかったから対話が成立しないのは当然だし、成立しなくても何とも思わなかった。他方で、2年前の正月、そのような対話の必要性を痛感し(>その詳細)、そこから初めて、意識的になおかつ試行錯誤しながら、相手との対話の試みをスタートさせる中で、今年1月9日、そのような対話が成立するという初めての、得難い体験をしたから。それが避難者追出し裁判1.9最高裁三浦意見(>その詳細)。
法律家になって以来、最高裁は権力の犬であって、社会的な事件に対して最高裁にまともな判断を期待すること自体が幻想であり誤りであるとずっと思ってきた。だから、311後も最高裁に対し、いくつもの裁判で正しいと信ずる主張を出してきたが、その都度、いつもその主張を拒否されるか無視されるかの応答しかなかった目に遭ったとき、それはどうしようもないと思っていた。ところが、2年前の正月、一見、権力の犬のように思われている最高裁に対し、なお、「対話の通路」があるのだという思ってもみなかった未知の可能性を元最高裁判事の泉徳治さんの「一歩前へ出る司法」から教えられ、その秘密の通路は「政治政策から人権へシフト」する中で見えてくる通路だという説明は深い説得力を私に与え、その結果、ラクダが通る針の穴かもしれないが、その「対話の通路」に賭けてみる気持ちになった。それはまるで、天岩戸(あまのいわと)に引きこもったアマテラス(天照大御神)を岩戸から引きずり出すような難行の気持ちで、手さぐりの試行錯誤の連続だった。しかし、今年1月9日、最高裁に呼ばれ、じきじきに三浦裁判長(彼がこの事件の裁判長だった)と向き合って、彼の判決言い渡しを聞きながら、ラクダも針の穴を通ることがあるのだと思った。とはいえ、これは文字通り「司法が一歩前へ出た」小さな一歩。この三浦意見が告げることは、このささやかな対話の成功体験を、ひとり裁判官だけではなく、もっと沢山の人たちに向けて挑戦することだった。その本格的な第1歩が7月12日、東京でやったチェルノブイリ法日本版の最初の対話集会だった(>そのお知らせ)。
尤も、日本版について市民との対話の経験はこれが初めてで、どう取り組んでいったらよいのか皆目検討がつかず、文字通り、手さぐりだったが、フタを開けたら、発言者の小川さん、郷田さんも、参加者も熱い思いを語り、その会場でも、そのあとでも日本版の会への参加申込みがあり、とても充実した集会になったのではないかと思った(>その報告)。

6、日本版の2回目の対話集会に向けての準備
(1)、認識が「一歩前へ出る」ために
 認識が「被害を受けてきた」から「人権侵害をされてきた」へ転換するために必要な手がかりを提供すること。
これは、7.12対話集会に参加し、その後正会員になった、双葉町から避難した人が会場で発言していた以下の内容に触発されたもの。
311で自分が被害に遭っているとは感じてきたけれど、それが人権侵害だとは知らなかった、それに今日、気がついた、と。

つまり、人はどんなに被害を受けても、くり返し被害に遭ったとしても、被害という事実をどんなに重ねたところで、そこから自然に、自動的に、「これは人権侵害だ」という認識には辿り着かない(正確には、辿り着けない)。つまりチェルノブイリ法日本版(の必要性)に辿り着けない。
そこに辿り着くためには被害を受けた人自身の判断・決断が必要だから。この点で、その決断が最も素直に、ストレートに出来るのは、子どもがいるときだと思う。子どもが、被ばくのためにいわれのない苦しみ、健康被害に遭っているとき、これは絶対「許せない」と思う人、その人は「これは人権侵害だ」という認識に立っている。
これに対し、7.12対話集会に参加し、その後正会員になった上記の人は子どもがいるわけではなかった。だとしたら、どのような契機がこの人に新たな認識をもたらしたのか、尋ねてみたいと思う。

(2)、「福島原発事故はもう終わった」と(無意識のうちに)信じたがっている人の認識を変えるために 
 菅谷さんがいつも言っているように「ひとたび原発事故が起きたらその修復には百年かかる」(「これから100年放射能と付き合うために」)。まず、この峻厳な認識を示す必要がある。ただし、これだけでは足りない。このような気が遠くなるような長期にわたる放射能災害の認識に普通の人はとうてい耐えられず、精神の正気を保てないだろうから。
だとしたら、この認識と向き合うためにはさらに何が必要だろうか。
その認識の格闘をしてきたひとりの人物として黒澤明がいる。彼はビギニ環礁の水爆実験に衝撃を受け、1955年に原爆の恐怖を正面から捉えた「生きものの記録」で挫折(大赤字)を経験し、「人々は太陽を見続けることはできない」と、人々が放射能(原爆)の現実と向き合うことの困難(不可能)さを語ったこととつながっている。しかし、黒澤明はそれから35年後の1990年、「」の中で、再び放射能(原発事故)の現実と向き合う映画を撮り、さらに翌年の1991年、「八月の狂詩曲」でまたしても放射能(原爆)の現実と向き合う映画を撮った。そこから、彼が、人々は放射能(原爆・原発事故)の現実と向き合うことは困難(不可能)だと認めながらなおも、それを乗り越える道(可能性)をずっと模索していたことを、被ばく経験者の「日常生活」の中で放射能(原爆・原発事故)がどのように突き刺さっているのかを黒澤なりに描く中で、放射能の現実と向き合う道を示したように思った。
放射能の現実を、劇的な「非日常的な場面」として捉えるのではなく、「日常生活」の中で捉える黒澤の姿勢に深く学ぶものを感じた一方で、八月の狂詩曲」での「日常生活」の中の捉え方に正直、とても不満を覚えた。なぜなら、放射能(原爆・原発事故)の時間的影響は、自ら広島で被爆した丸山真男の被爆体験のコトバ
「広島は単なる戦争の惨禍の一ページではない。毎日々々原爆が落ちている()。」
に示されている通り、途方もなく長い期間、健康被害の影響をもたらすものであるのに、その本質が抜けていて、
過去の原爆投下の出来事であるかのように捉えられているから。
だとしたら、
今、目の前に与えられたことはーー「日常生活」の中で、なおかつ「毎日々々原発が事故を起している」かのような現実とどのように向き合うことができるのかであり、 それが黒澤から託された私の課題だ。

従来の災害の概念では、戦後24年の今日でもまだ新たな原爆症の患者が生まれ、長期の患者或いは二世の被爆者が今日でも白血病で死んでいるという現実を理解できない。 まさに毎日々々原爆は落っこちている(>丸山の動画)。
 

7、柳原のチラシの呼びかけ文(>こちら
以下の、7.12対話集会のチラシと同じ。

 「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」
もし、今の日本で普通に生きられると思っている人がいたら、その人はおそらく311後の日本社会を「異常」だと思っていない。しかし、311後の日本社会は戦後経験したことのない「異常」さの中にある。その異常ぶりは数々あるが、その双璧は311直後の文科省20mSv通知と山下俊一氏発言。なぜならこの2つはその後に異常事態として是正されたのではなく、むしろ311後の日本社会を形成する母体となったから。そして、この異常さの増殖の果てに私たちに待ち受けているのは日本社会の崩壊である。
それと心中するのは――バカバカしい。
だからといって、これを食い止めることができるのか。できる。ではどうやって?

そのビジョンを報告し、その実現の可能性について対話するのが10.25郡山の対話集会。
2年前、ブックレット「わたしたちは見ている」を出版した。今、「私たちは行動する」。それが
10.25郡山の対話集会。皆さんが「参加」することを心から願っている。

ここで呼びかけている対象は、311後に、原発事故の現実にずっと声を上げ続けている人でもなければ、311後も311前と意識が殆ど変わらない極楽トンボのような人でもなく、その中間にいる「声なき声の人たち」、内心は原発事故の現実にひどく不満、批判を抱きながら、もろもろの事情で自身の思いについて声を上げてこなかった(或いは2012年当時にあげたきり、上げるのをやめてしまった)人たちである。
この人たちは、或る種の閉塞状態に置かれている気分の中にいて、動きが取れず、がんじがらめになっている気分だと思う。しかし、その閉塞状態もがんじがらめも実は幻想でしかなく、「一歩前に出る」ことだけで、実はスッカリ光景は変わり得る。その
「一歩前に出る」お誘いをこのチラシで「対話集会に来ませんか」とおこなった。
でも、その一歩を踏み出すのが大変? そんなことはない。311後の異常が進行する日本社会と心中するのは「バカバカしい」。単にそう思えば足りる。
そのことを伝えたくて、上記のようなメッセージを作成した。

以上、続く。

2026年8月10日月曜日

【第131話】報告:信州四賀の夏休み親子キャンプに参加し、そのあと書き上げた、終焉を迎えた「脳化社会に安住する塀の中の法律」に代わる「脳化社会の塀の外に出た法律」への挑戦の3回目(26.8.10)

8月3日、埼玉から松本市四賀の保養施設「奏奏(sousou)」に向け、移動。
その日から3泊4日で夏休み親子保養キャンプのスタッフ、実態は経験未熟の使い物にならない雑用係りとして参加。
2年ぶりのキャンプ。子どもらに混じって、その道の大ベテランの悠平さん(>2年前の彼の写真)のアドバイスを受けてテント張り、翌日、アルプスあづみの公園行きの補助スタッフとして同行‥‥それらの体験を通じて、私の頭の中がグジャグジャに溶けた気がした。一言で、子どもたちの三無主義(無鉄砲、無頓着、無謀)を目の当たりにして、
全幅の共感が身体中を突き抜ける中、思わず、
自分もあんなふうに「疾走」したい! 水と踊りたい!

      乳川のミニダムを全力疾走

                     

      乳川のミニダムの水と格闘


この保養キャンプで、信州の大自然と子どもたちの三無主義(無鉄砲、無頓着、無謀)で自分の感性が溶けてしまったーー脳化社会に安住する感性が。
再び、脳化社会の塀の外に出るしかないと思いながら、脳化社会の都会に戻って来た。そしてたまった雑用を片付け、週末に待ち構えていたのは、福島県が福島地裁に提訴した、自主避難者を応急仮設住宅から退去を求める追出し裁判の最終書面の作成・提出の作業。
その内容は2ヶ月前に、自主避難者が4年前に東京地裁に提訴した、福島県が自主避難者に不当な追出しを求めたことに対する損害賠償請求裁判の最終書面の〆切があり(>その報告)、その内容と変わらなかった。
しかし、たとえ内容が同じでも、この2ヶ月間に起きた経験、とりわけ信州四賀の保養キャンプのおかげで久々に「脳化社会の塀の外に出る」貴重な経験をしたので、その経験の糧を今度の書面に反映できないものか、帰ってから、つらつらと考えていた。しかし、再び「脳化社会の塀の中に戻って来た」中で、塀の外の体験の意味を振り返ることは「言うは易き」の難行で、思うようにはかどらなかった。試行錯誤の末、裁判官に、これだけは頭に叩き込んで欲しい、と思うエッセンスを冒頭に書いてみようと鉛筆を握った。それが、以下だった。
それは疾走する子どもらから授かった三無主義をコトバに変換したささやかな小品だった。しかし、これまで何度も言葉にしてきた「新しい酒は新しい革袋に盛れ 」、これはただの格言ではなくて、歴史の転換期の法律のことだったことに気づいた。その気づきは先週、時間を共有した「疾走」する子どもたち、彼らのおかげである。これこそ「脳化社会の塀の外に出て」、全身でつかんだ貴重な認識だった。

 なお、本日提出した最終準備書面の全文>こちら

   ********************** 

第1、はじめに

 被告は改めて、被告が本裁判に求める根本的な問題提起について述べる。それは、この問題提起に初めて正面から応答した、本裁判に先行した区域外避難者の応急仮設住宅からの退去を求める裁判(以下、「先行裁判」という)の本年1月9日最高裁判決(乙1。以下、「本判決」という)の三浦守裁判官の意見(以下、「三浦意見」という)と問題意識を共有するものである(>その解説)。

1、転換期の法律――新しい酒は新しい革袋に盛れ――

 この格言は社会・歴史の転換期における法のあり方を現したものである。つまり、社会・歴史の転換期においては、新たに出現した現実に従来の法律では対応できず、新たな現実について発生した法の穴(法の欠缺)に対して、穴を埋める(欠缺の補充)必要が生じる。これは法の本来の宿命である。古くは、日本で最初に武家政権が誕生した時、それまでの公家法に替わって武家法(貞永式目)が制定されたのも、日本で最初に国民主権が誕生した時、それまでの明治憲法に替わって日本国憲法が制定されたのも、日本全土で初めて公害が深刻化した時、1970年の公害国会で抜本的な公害対策を盛り込んだ14法が制定されたのも、既成産業への破壊的インパクトを「恐竜の絶滅」になぞらえられたインターネットが登場した時、日本でも従前の法律を抜本的に変更するネット法が制定されたのも、いずれも「新しい酒は新しい革袋に盛れ」をミッションとする法律の姿であった。
 とはいえ、これらはいずれも法律の制定による解決、いわゆる立法的解決であるが、立法的解決が間に合わない時には裁判所による司法的解決が登場する。それを説いたのが1981年12月16日大阪国際空港公害訴訟最高裁判決の団藤重光裁判官の次の意見である。

「本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によつては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。」

しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の出番であると次の通り締めくくっている。

「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)

2、日本で初めて国内避難民が登場したとき

 近年、裁判所による「欠缺の補充」の出番となったのが2011年3月の福島原発事故による救済とりわけ大規模の避難者が出現した時の救済である。それまで日本の法体系は原発事故による救済を具体的に制定していなかった[1]。そのため、福島原発事故で出現した「大規模の避難者」をどう扱ってよいのか、福島原発事故前は言うまでもなく、事故後においても法律は空白(法の欠缺)状態だった。この時、この新しい事態に国外から法的な言葉を与えたのが国際人権法の1つ「国内避難の指導原則」だった。この指導原則により日本で最初に「国内避難民」の登場が認められた[2]

本裁判においても、この「大規模の避難者」について発生した法の欠缺に対して、「国内避難の指導原則」などの国際人権法に基いて法の欠缺を正しく補充し、この補充に基いて「国内避難民」である被告の救済がどうあるべきかを正しく導くことが不可欠である。

 かつて東京地方裁判所行政部で名を馳せた藤山雅行裁判官は「法律家の仕事は同時代のみならず歴史的な評価にも耐えうるものでなければならない」と述べた[3]。この言葉は空間的にも時間的にも過去に前例のない惨劇(カタストロフィー)である福島原発事故に由来する本裁判に当てはまるものである。

以上の観点から内堀決定の適法性について、以下、検討する。

 (以下、略。その内容は>こちら



[1] その典型が原子力災害特別措置法(原災法)15条に基づき、福島原発事故直後に発令された原子力緊急事態宣言である。同宣言はその対象地域を特定する必要を法文上、明らかにしていないため、内閣総理大臣は対象地域を特定しないまま発令した。

[2] 2018年3月、日本政府は、2017年11月の第3回国連人権理事会の普遍的定期的審査(UPR)においてポルトガルから出された「福島原発事故の全ての被災者に国内避難民に関する指導原則を適用すること」という勧告に対し、「フォローアップすることに同意する」と回答、国際社会に対して受入れを表明した。

[3]藤山雅行編「新・裁判実務大系 第25巻 行政争訟」藤山雅行「はしがき」

2026年5月30日土曜日

【第130話】つぶやき(その6):世界感覚の重要性その続き(2026.5.30)

【第124話】つぶやき(その5)で記した、パスカルの、1654年11月23日のメモについての以下のコメント。

同感。
世界への感覚、これを日々、どこにいようとも、どう持つのかーーそれが根本的であり決定的なのだ。
私も肌身離さず持とう。
それを思い知る。

その後、この世界感覚について、その重要性に対する認識は変わらないものの、
問題はこの感覚を「どう持つのか」「どう維持するのか」、
その中身を「神」という言葉だけでは足りない気がしてきた。
そこで、気づいたのは、世界には事実と理念という次元の異なる2つの世界が存在し、世界感覚はこの2つの世界が交わる境界線上を見つめ続けることであると。
つまり、事実にだけしがみつき、事実の中に埋没することは盲目であると同時に、
事実から遊離して理念にだけしがみつき、理念の中に埋没することもまた空虚である。
私の法律家としての最後の仕事もまた、この事実と理念(規範)の境界線上で何が出来るのかを問うことにあると合点した(この点を法律家として最初の仕事として成し遂げたのが我妻栄の「私法の方法論に関する一考察」。その最後のところで、カントの「純粋理性批判」の有名な一節をもじって、法律学に応用してみせた。尤も、カントの「純粋理性批判」は事実の認識のレベルで、直感(事実)と概念(思考)の関係について語ったのに対し、我妻はこれを拡張し、事実と理念(規範)の関係つまり認識と価値判断(道徳)の関係について、盲目と空虚を論じた)。

その結果、そこからまた新たに、では「境界線上をどのように見つけ続けるのか」という次の課題が現れる。
それはまた、次の課題として受け止めることにして、
今はまず、この認識の重要性をしかと胸に刻むのだ。



【第96話-2】昨秋から関西での3度目の311チェルノブイリ法日本版の学習会「父よ母よ」で一歩前に出れた気がした(25.3.15)

動画その1

 講師柳原敏夫の話

 

動画その2
 ・日本版の会の協同代表岡田俊子のお話。
 ・講師柳原敏夫のその1の続き。
 ・会場の参加者とのQ&A


この動画を観た或る人がこう言ったーー「深遠ですね」。
それは大塚久雄とヴェーバーの「神義論」のことを指しているらしい。
しかし、別に彼らの「神義論」が深遠なのではなくて、福島原発事故が深遠なのだ、あの事故発生当時、自分がこのあとたとえ数百年、千年生き永らえたとしても経験できないような出来事を体験したのだと言わしめるほどの事故だったのだ。その深遠さが大塚久雄らの「神義論」を私に呼び覚まさせた。
大塚久雄もヴェーバーもまた、第一次世界大戦と第二次世界大戦の危機の中で、「神義論」に呼び覚まされた。それと同様に、私も福島原発事故の危機の中で、「神義論」に呼び覚まされた。

2026年5月26日火曜日

【第129話】報告:終焉を迎えた「脳化社会に安住する塀の中の法律」に代わる「脳化社会の塀の外に出た法律」への挑戦の2回目(26.5.26)

本日、終焉を迎えた「脳化社会に安住する塀の中の法律」に代わる「脳化社会の塀の外に出た法律」への2回目の挑戦となる書面を書き上げた(私の担当部分>PDF)。
2年前の正月、58年間を振り返り、法律家として完全失格だったことを理解した(>雑文)。これは、それ以来2通目となる書面。

1、これまでの経緯
 2年前の2024年12月16日、《まだ誰によっても書かれたことのない「脳化社会の塀の外に出た法律」を準備する必要がある》という表題で、次のようにつぶやいた。

    **************

とうとう見つかった。

何がさ? 

法律の終焉が。

海に沈む太陽のように。


そして、また見つかった。

何がさ? 

生成法の準備が。

大地から昇る太陽のように。

(アルチュル・ランボオ「地獄の季節」の「永遠」のヴァリエーション)

2、その半年前、それまでボロ負けし続けてきた避難者追出し裁判の上告審で、最高裁に「脳化社会の塀の外に出た法律」を適用して正しい裁きをして欲しいと、それまで書いたことがなかった、この裁判のこの数年間の総決算の書面(上告〔受理申立〕の理由書)を作成し提出した(2024年4月17日の報告)。その直後に次のようにつぶやいた。

    **************
今回の書面の根底にある考えを一言で言うと‥‥
物理学者のアーネスト・スターングラスは
放射能は見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒です
と言った。これは事実についてだった。だが、法についても同様のことがあるのではないかと気がついた。
放射能に関する法律もまた見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒です」と。

そのことに気がつくのに311から随分時間がかかった。
それはひとつには次のような紆余曲折を経たためである。

高校時代、文学にかぶれた私は、文学を司法試験の答案にそのまま持ち込み、合格者から「これは司法試験の答案ではない。合格は永遠にあり得ない」と酷評された。
そこで合格後、文学臭を消すことが私の課題となった。
ようやく、それが実行できたと思えた最近に至り、今度はそれだけでは足りないのだということに再び気がつかされた。そのことを最も意識したのが今回の書面。どう意識したのか。

「未知の普遍的なものを見る」見者にならなければと考えた(ー>ランボーの手紙)18歳のランボーが書いた詩「地獄の季節」の一節。

見つかった。何が? 
永遠が。海と溶け合う太陽が。


私も知らないうちに「未知の普遍的なものを見」つけなければと考え、これと同様のことを試みていた。それが今回の上告理由書。(以下はのちに補足したもの)
ただし、それは事実の次元ではなく、あくまでも理念の次元でのこと。価値の相対性を信ずる者にとって、これは躓きの石、成功の見込みのない無茶無謀の企て。私も長い間、そう思ってきた。だが、価値相対性にもある種の価値優劣性、価値の構造があるのではないか、価値優劣性、価値の構造を見出すこともまた立派な「未知の普遍的なものを見つける」仕事のひとつなのではないか、否、私に残された殆ど唯一の仕事なのではないかと思えるようになった。

見つかった。何が? 
法の欠缺が。放射能と溶け合う法の欠缺が。


賢者ではなく、まず見者になる必要があった。ランボーの見者になる必要があった。
再び、文学のエッセンスを取り出し、それを法律の中で再構成する必要があった。
それを今までで最も意識的に追及したのが今回の上告理由書。 

3、つまり、これが「脳化社会の塀の外に出た法律」への初挑戦だった。すると、それから約1年9ヶ月後、裁判所から応答があった。それが避難者追出し裁判の上告審で、三浦守裁判官の私らからのこの呼びかけに100%応答する意見だった(その報告>こちら)。

そしたら、避難者追出し裁判の続編とも言うべき、東京地裁に避難者が提訴した住まいの権利裁判の一審の最終準備書面が、上と同じ挑戦の2回目だということに、書き上げてみて分かった。なぜなら、この書面は私らの「脳化社会の塀の外に出た法律」への初挑戦に100%応答した三浦意見の可能性を120%満載した書面、つまり「脳化社会の塀の外に出た法律」の必要性、重要性を改めて強調した書面だったから。

それは、理屈っぽく言うと、次元が異なる2つの世界、事実と法律が交わる境界線で、「未知の普遍的な理念」を見つけ出すことだった、しかも、それを一般論だけではなく、事件に即して具体的に展開することだった。それは大地と空が交わる境界線で「未知の普遍的な光」を見つけるような作業だった。

「言うは易き」のこの仕事を、今回、次のフレーズを手がかりにして「未知の普遍的な理念」を見つけ出そうとした。

・いやしくも区域外避難者の原発事故からの回復(命、健康の回復、生活再建)に対する「十分な配慮」を具体化しようとするならば、「応急仮設住宅の供与の打切りという県知事決定が区域外避難者に及ぼす現実の影響」や「福島県と区域外避難者の間の現実の関係」という生きた現実に即してこれを行なうほかなく、もし、このような「生きた現実」に即した検討をしない限り、内堀決定は法律的に「空虚」なものにならざるを得ない。
長期間にわたる低線量・内部被ばくの影響から人々の生命、健康、暮らしを守るという日本の法体系のもとにおいてこれに優越する価値を他に見い出すことができない最も重要な人権の保障が十分に守られることを念頭において注意深く行うこと。

果たして、「未知の普遍的な理念」を見つけ出そうとする、この2回目の挑戦がどこまで成功したか。それは読者である市民の人々、そして死者も未だ生まれざる者も含めた歴史の審判で決まる。今回、私は、かつて「国敗れて三部あり(>その後)」と言われ、四半世紀前に書かれた藤山雅行裁判長(※1)の林試の森事件一審判決(>全文PDF)や三浦意見(>全文PDF)から、本当に汲めど尽きない泉のごとき珠玉の宝を授けて貰った。この恩は一生忘れ得ないほどのものである。

私のこの挑戦はまだ始まったばかりで続く。

※1)彼はこういう発言をしていて、それを文字通り実行した、これまで類例を見ない、ダントツに優秀な法律家だった。
「法律家の仕事は同時代のみならず歴史的な評価にも耐えうるものでなければならない」(藤山雅行編「新・裁判実務大系 第25巻 行政争訟」の「はしがき」

    左は私を悪の世界(法曹界)に引きづり込んだ学生時代のチンピラ悪友

以下は「裁判官Who's Who 首都圏編」(池添徳明 編著。2004/12/17現代人文社)より

以下は、2014年、彼が名古屋家裁所長になった時のインタビュー記事(愛知弁護士会)の抜粋。一言一言が、彼らしい含蓄の深いコトバ。まともな法律家になろうと思ったら必見の記事。

2026年5月14日木曜日

【第128話】(お知らせ)「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」ーー311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための7月12日(日)の報告&対話集会(26.5.15)

「311後の日本社会と心中するのはバカバカしい」ーー311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するための7月12日(日)の報告&対話集会のチラシが出来ました(>PDF版)。


今年7月12日(日)12時から16時半まで、二部入替え制(正午開始と14時半開始)で、中野区東中野のSpace&Cafeポレポレ座で、311後のゴミ屋敷に化した日本社会を再建するため、チェルノブイリ法日本版の条例制定の必要性・可能性についての対話集会を開きます。

それは、311原発事故の唯一無二、痛切な体験をした私たちが、311後に見えないゴミ屋敷と化した、にもかかわらず何一つ解決しないままネグレクト(放置)されている日本社会をどう再建するのかについて、人権の観点からチェルノブイリ法日本版の条例制定による再建の必要性、その可能性について報告と対話をするものです。

前半の2人の報告者(小川晃弘・柳原敏夫)は、ともに2年前、「政治・政策からの人権へシフト」という観点からブックレット「わたしたちは見ている」を編集・出版した者です。
また、柳原にとって、当日の報告は、5月23日のチェルノブイリから40年目の講演とパネルディスカッション「チェルノブイリと福島 何が問われているのか」で行なった以下の報告の続編です。
動画

プレゼン資料 全文>PDF

配布資料 全文>PDF

後半の対話で報告者に加えて登壇されるお二人は、新宿区議のさわいめぐみ(沢居 恵美)さん、学費値上げ問題や差別排外主義反対などに活発に取り組んでいる大学院生の金澤伶さんです。

参加方法は予約制ですが、当日の開始時間、予約方法などの詳細は>チラシ
また、この対話集会の伴走者のメッセージは>こちら
311後の日本社会の再建を「わたしたちは見ている」と感じておられる方々の参加をお待ちしています。





【第133話】つぶやき(その8)チェルノブイリ法日本版、その対話の必要性と可能性(2)(26.8.28)

以下は、1年前に、私が代理人ではなく、原告本人としてゆうちょ銀行を被告に提訴した人権訴訟の中で体験した体験談である。一見、それはチェルノブイリ法日本版の対話の必要性と可能性と関係なさそうに見える。しかし、それは自分が初めて法律家になったような気がした書面を書いた経験であり、法律家...