2026年2月5日木曜日

【第120話】なぜ七三一部隊に無関心、無知だったのか(その1)(26・2・5)。

1、最大の理由は、七三一部隊はあってはならない痛恨事だが、他方で、私にとってそれは、過去のもう終わってしまった出来事であり、現在の自分たちには関係がないものとばかり思っていた。

しかし、それはとんでもない思いちがい、無知の極みだった。七三一部隊の思想・哲学・方法は現在の日本社会の医療・医学界・製薬業界を支配する水源として脈々と流れている。日本の医療・医学界・製薬業界の理不尽の源泉として七三一部隊の思想・哲学・方法は支配的な力を保持している。

2、次の理由は、あのような途方もない人体実験をやった七三一部隊はきっとひそかにこっそりやったはずで、それは少人数の極秘部隊、数で言えば多くて数百人位じゃないか。だったら、そんな少人数のメンバーが戦後の医療・医学界で大きな影響力を及ぼしようもないんじゃないかと勝手に思い込んでいた。

しかし、数百人なんていうのはとんでもない思いちがい、実際には七三一部隊を本部とする旧日本陸軍の細菌戦部隊の総勢は1万444名という途方もない数だった(2025年8月13日付北海道新聞「旧日本軍731部隊の関連名簿分析 総員1万444人、北海道関係者は154人」)。それゆえ、この大所帯は戦後日本の医療・医学界に圧倒的な影響を及ぼし得るだけの大集団だった。

2026年2月4日水曜日

【第119話】どうして福島の小児甲状腺がん患者の人たちは裁判をしなくちゃいけないんだ?それは、311後の市民が、五感の通用しない「日常生活」と分断された被ばくの世界と闘わざるを得なかっただけでなく、市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の戦争の歴史とも闘わざるを得なかったからだ。とりわけ七三一部隊の伝統が悪夢のように今も医療関係者たちをがんじがらめに押さえつけているからではないか(26.2.5)

1、はじめに 
この数年間、小児甲状腺がん裁判の関係で、元甲状腺外科医の菅谷昭さんを何度かお尋ねして意見交換する中で、彼が何度も口にした言葉があったーー甲状腺がんの手術についてなら現役の甲状腺外科医に聞けばよいのに、なんで30年以上前に引退した私のような者にお尋ねになるのでしょうか。
その答えは単純で、現役の甲状腺外科医は貝のように口が固く、本当のことを語ってもらえないからだった。
最初、その流儀が日本の現状で、もともとそういうものだとばかり思ってきた。
しかし、考え直しているうちに、それは別に自然現象でも、普遍的な現象でもない、どこかで誰かの手によって、その流儀が形作られてきた人工的な現象のはずだと気がついた(江戸時代の封建体制が人工的な産物であるのと同じこと)。この気づきは天啓だった。
そうだとしたら、次に「現役の甲状腺外科医が貝のように口が固く、本当のことを語らない」という流儀はどこから始まったのか、その起源を問うことができるし、その問いがものすごく重要ではないかと思うようになった。そう思うようになったのは、以前、柄谷行人と大岡昇平の次の言葉を思い出したことと、つい最近、1本のドキュメンタリー映画を観たからだった。

なぜ過去の歴史を学ぶのか。それについて柄谷行人はこう述べた。

小説の未来は小説の過去にある、と後藤明生が書いている。小説が何処へ行くかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。‥‥これはほかの領域にもあてはまる。われわれがどこへ行くのかを問うには、どこから来たかを問うべきである。資本主義の未来は、資本主義の起源にある。(批評空間93NO.9編集後記)
これを原発事故の歴史に当てはめるとこうなる。
福島原発事故でわれわれがどこへ行くのかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。福島原発事故の未来は原発事故の過去にある(「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか。疎開裁判から市民立法へ(2012.7.19一部追加))。

 戦争中の日本軍部の愚劣な作戦を省みて、大岡昇平はこう述べた。

兵士=歩兵は(敵のアメリカ軍や当時の軍部と闘っただけでなく)、明治維新以来の日本の軍部の歴史と闘ってきたようなものだ時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

これを原発事故の救済について原子力ムラの愚劣極まりない対応を見て、命を救済するという当たり前のことがなぜできないのかという問いを当てはめるとこうなる。

私たちは市民は、単に放射能や原子力ムラと闘っているのではなく、明治維新以来の日本の歴史と闘っているようなものなのだ。

だとしたら、福島原発事故の未来を決める「原発事故の過去」とは何か、その過去である、私たち市民が闘わざるを得ない「明治維新以来の日本の歴史」とは何なのか。それを突き止める必要がある。そう思ったとき、私のかつての著作権の仕事、ドキュメンタリー「北の波濤」裁判で知り合った硬派のジャーナリスト吉永春子さん(>彼女の意見書)のライフワークが七三一部隊であったことが思い出され、自分の浅知恵のため、ついに吉永春子さんの生前中に、七三一部隊とは311後の日本社会に生きる全ての市民にとってのライフワークとも言うべき最も重要な問題なのだという「七三一部隊の今日的意義」に思い至ることが出来ず、七三一部隊について教えを請わないまま、吉永さんを見送ってしまったことに気がついた。
私の脳裏には今もなお、不屈の面構えをした吉永さんの顔と彼女の言葉が焼き付いている。

 


 


2、問題提起ーー医の倫理と核戦争の衝突ーー
 先日、川越市の映画館「スカラ座」で「医の倫理と戦争」を観た。私にとって、その題名は、福島原発事故後の日本社会が直面する課題「医の倫理と核戦争」のことだった。福島原発事故は従来の災害・人災の延長線上で考えることはできない。むしろ一種の核戦争というべきである。なぜなら、物理現象として、放射能の生物への攻撃は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない、人間的スケールを超えた、非日常的な、不可解、不条理な現象だから。そして、核戦争の兵器開発に突き進む人たちは、原発事故の健康被害をできる限り過小評価することが至上命題だったから、「医の倫理」との正面衝突は不可避だった。

かつて、第二次世界大戦で医の倫理と戦争との衝突を最も鮮やかに見せつけたのが七三一部隊だった。そこで日常的に行なわれた人体実験は二度と繰り返してはならない重大な戦争犯罪だった。しかし、不可解かつ不条理なことに、この重大戦争犯罪は戦後、裁かれなかった。石井四郎らは米国との間で、七三一部隊の生物実験のデータを提供することと引き換えに自分たちの戦争犯罪を免責するという取引(密約)が成立したから。その結果、七三一部隊は石井四郎をトップとして関連する細菌戦部隊7部隊の総勢1万444名の医療関係者たち(※1)の戦争責任はすでにソ連に逮捕され裁判にかけられた12名以外、すべて不問に付された。その結果、免罪された七三一部隊の大量の隊員は、ひとにぎりの例外(軍人だった石井らや自死したり(※2)40年間洞窟で隠遁生活を送ったりした者(※3))を除いて、戦後日本の医療・医学界・製薬業界に復権し、人体実験で得た研究データを活用したりして要職につき大きな力を持った(加藤哲郎「731部隊と戦後日本」134~135頁。在野民平「細菌戦部隊員の戦後」)。同時にそれは戦後日本の医療・医学界・製薬業界の水面下で、七三一部隊の思想・哲学・方法が伝統として生き延びることだった。お国のためなら「人体実験」に手を染めた思想が水脈のように受け継がれ、311後の核戦争(福島原発事故)の発生で、再び「医の倫理」と衝突したとき、脈々と受け継がれてきた七三一部隊の思想・哲学・方法が原発事故の正しい救済をかつてないほど大きく歪曲していったのではないか。それが、
なんで「現役の甲状腺外科医が貝のように口が固く、本当のことを語らない」のか、その謎を解くカギになるのではないか。それが、
原発事故を起こした加害者たちは、救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、「経済復興」と叫んで堂々と開き直り、
命に危険にさらされた被害者は「助けて」という声すら上げられず、上げようものなら経済「復興」の妨害者として迫害される、
あたかも密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を、演じている。安全を振りまくニセ科学が科学とされ、危険を警鐘する科学がニセ科学扱いされる、狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされるという、なぜ、このようなあべこべの不条理な社会が出現したのか、その謎を解くカギになるのではないか。
以下、その仮説の検証作業のためのメモ(この投稿、続く)。

※1)七三一部隊を本部とする旧日本陸軍の細菌戦部隊の全容の名簿が2025年5月、国立公文書館で公開された職員名簿で明らかになった(以下、2025年8月13日付北海道新聞「旧日本軍731部隊の関連名簿分析 総員1万444人、北海道関係者は154人」より)。

※2)常石敬一・朝野富三「細菌戦部隊と自決した二人の医学者」

※3)ドキュメンタリー「医の倫理と戦争」で、監督が映画製作の依頼を受けて最初訪れた千葉県館山にある海軍の地下壕を見学した時、その暗い地下壕の中で40年暮らした菌類研究者がいて、彼は死ぬまぎわに「自分が七三一部隊」の関係者だったと明かしたことが紹介されている。

【第118話】弓を引く時(26.2.4)

 以下は、本日の原電前抗議行動で喋ったスピーチの原稿です(時間切れで喋れなかった内容も盛り込んであります)。

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初めて、この場で話をします。
東海第二の運動について殆ど無知の私のような者がここに呼ばれたのは、私自身が10歳から35歳頃まで四半世紀の間、引きこもりで欝の人間だったからではないかと思います。
なぜ原発に反対するのか。その理由は人により様々だと思います。私にとって、それは311以来、原発事故の被災者の人たちとつきあって来て、思うことは、原発事故は人々の命、健康、暮らしを狂わせましたが、実はそればかりではなく、さらに、人々の心をこれでもかと思うほど傷つけ、苦しめるものだということです。
そのことを日本で最初に経験し、語ったのが、27年前、東海村のJCO事故で両親が被ばくした大泉実成さんでした。私がそれを最初に知ったのは22年前に読んだこの新聞記事です。


しかし、正直なところ、このとき私は、大泉さんのお母さんが苦しんできた訴えを理解できませんでした。しかし、なぜかこの記事が気になって、22年間、私の机に貼られていました。それが私自身、311を経験し、そこで被ばくした被災者の人たちとつきあうようになってから、被災した人たちの苦しみを身近に感じる経験をする中で、私の中で、再び、この新聞記事と向き合う機会にめぐり合ったのです。

直接のきっかけは、ここ数年、月の半分を過ごしている茨城県に滞在中に、昨秋、NHK茨城で、JCO事故の被害者の人が事故後体調不良になり、村役場に相談する中で不満を募らせ、事故から24年後に東海村と日立市の役所に車で突っ込んだという事件の判決があったというニュースが流れ、それで、JCO事故の被害者の人が24年も経ってからとうとうこういう形で心の傷が暴発したという事実にショックを受けたからです。
かつて、広島で自身が被爆した丸山真男は、原爆投下という放射能災害について、「
戦争の惨禍の単なる一頁ではない。もし、戦争の惨禍の単なる一だとすれば、まだ今日でも新たな原爆症の患者が生まれて、また長期の患者とか、あるいは二世の被爆者が今日でも白血病で死んでいるという現実は理解できない。この現実は、あたかも毎日々々原爆は落っこちている。‥‥それは広島の二十何年前のある日、起こった出来事ではなくて、毎日々々新しく起こっている。新しくわれわれに向かって突きつけられている問題なんです。」(丸山真男話文集1「二十四年目に語る被爆体験」484~485頁))と語りました。このNHKニュースは、JCO事故という放射能災害についても、被災者の人たちにとっては「過去の或る一瞬の出来事ではなくて、毎日々々新しく起こっている。新しくわれわれに向かって突きつけられている問題」だということを私たちに生々しく伝えたように思えたのです。 
 そしたら、そのひと月前に届いた「ノーニュークス」という市民団体の通信に、この
NHKニュースのことを取り上げた一文が載っていました。それがJCO事故で両親が被ばくした大泉実成さんの報告「JCO事故から26年」でした。大泉さんは役所に車で突っ込んだ事件の当事者の人が他人事ではないことを、放射能災害の被害者はみんな同様の言い表わせない「心の傷」を負っていることを、自身のお母さんの苦しみについて語る中で表現していました。そしたら、机の脇に貼ってあった四半世紀前の新聞記事が思い出されたのです。

この記事や大泉さんの報告には、JCO事故以後、寝たきりになってJCOと聞くだけで動悸が激しく苦しむ母親のこと、PTSDと診断された彼女は5年後にようやく、事故直後に、敗戦で満州から命からがら引き揚げた幼少時の思い出が突然よみがえったと語り出したこと、それで息子の大泉さんは初めて母の「心の傷」に触れるきっかけを得た気がして、JCO事故が母に与えた傷は、母が苦難をくぐり抜けてきた全生涯に及ぶ深いものであるという認識を新たにしたことが書かれていました。
--22年ぶりにこの新聞記事を読み直し、私は原発事故の被害の意味を単に病気や生活苦と見ることはできない、その人がそれまで心にフタをしてきた過去の苦難の全歴史が一気に噴出し、その人を苦しめ直す、かつての心の傷が再発し暴走する。その苦しみは、私がこれまで関わってきた
ふくしま集団疎開裁判の親御さんたち、仮設住宅から追出しを迫られた追出し裁判の避難者の方たち、今回の
「ノーニュークス」の通信に載った甲状腺がん裁判で意見陳述をした原告8さんも同じではないかと思ったのです。

この人たちは、JCO事故や福島原発事故のあと、放射能の危険や自分の体調不良に対する自分の疑問、不安を感じても、それを率直に口にし、理解を深めることが許されない。そんなことをすれば、その人は周りから風評被害の加害者とされ、非国民扱いされる。そのようなものすごい同調圧力の中で、生きていくために彼らは結局、自分の素朴な疑問、不安を自分の心の中にしまい込んで、フタをせざるを得なかった。いわば「苦悩という避難場所」に逃げるしかなかった。けれど、そのフタの下で自分の素直な疑問・不安は依然マグマのように息づいているから、自身の疑問・不安を押し殺す不自然な心の状態は身体全体の調子を狂わせてその人を苦しめ続ける。大泉さんもお母さんも甲状腺がん裁判の原告8さんもそうだったのではないか。

そのようなとき、この苦しみを解き放つ唯一の方法は「苦悩という避難場所」に逃げ続ける中にはなく、心のフタを開け、フタの下に閉じ込めていたマグマの感情を正しく外に出すしかないのではないか。つまり「苦悩という避難場所」から「現実の避難場所」に向かうこと、苦悩から現実のアクションへ転化するしかないのではないか。それを実行したのが自らの意思で甲状腺がん裁判の原告となった8さん。彼女は原告になる中で元気を取り戻していった。行動が心を正していった。

そして、フタの下に閉じ込めていたこの苦悩をフタをはずして現実のアクションに転化した避難者追出し裁判で、避難者の訴えに初めて最高裁が応えた判決が先月9日で出ました。三浦守少数意見判決(>こちら)です。それは、以下のような私たちの心からの願いに正面から向き合う返答でした。そして、311後に人権侵害のゴミ屋敷と化した日本社会に、人権屋敷の再建の必要性を明快に述べた人権回復の第一歩となるものでした。
               最高裁に望むこと(>全文

 
とはいえ、この判決は避難者が負けました。
三浦意見は少数意見だったからです。
しかし、失望することはありません。人権の歴史はいつも少数者の声・行動から始まるからです。
そして、人権運動は少数者の声がその声をあげた瞬間にその声がどう評価されたかではなくて、その声に(たとえ時間がかかろうが)その後、周りの市民がどう反応したかで決まり、さらにその評価も関が原の決戦みたいな一発勝負ではなくて、long and winding roadのジグザグの漸進的なプロセスです。
この人権運動の実相に目を向けるとき、今回の少数者の声である三浦少数意見がどれほど重要なものであるか、それは多数意見(>こちら)の側に三浦少数意見が放った輝きを否定・批判するような反論がひとつも書けなかったことからして明らかです。この311後の人権侵害のゴミ屋敷に化した日本社会を人権屋敷に再建する突破口となるような、原発事故の救済に関する人権宣言のスタートとなるような画期的な最高裁判決がこの三浦少数意見なのです。

この三浦少数意見がまいた一粒のタネが芽を吹き、葉をつけ、花を咲かせ、豊かな実りをもたらすかどうかは、ひとえに死力を尽した三浦裁判官からバトンを受け取った私たち市民の手にかかっています。だから、私たちも、本当の力は少数意見の声の中にある、少数意見が社会を変える、この歴史の真理を胸に、311後のゴミ屋敷の日本社会を一歩ずつ人権屋敷に再建するため、「苦悩から現実のアクションに転化」する取組みを粘り強く続けていきましょう。

参考
311から15年目の今日、最高裁は「百年の悲劇」と決別するため、今まで書かれたことのなかった原発事故の救済のあり方を最高裁判決に書き込んだ。今日まかれた一粒のタネが芽を吹き、葉をつけ、花を咲かせ、豊かな実りをもたらすかどうかーーそれは私たちに掛かっている。人権への道は人類全員の協同労働なのだから(26.1.9) 

2、多数意見
(1)、避難者追出し裁判1​.​9最高裁判決は不当判決ではない。誤まった判決である。

(2)、避難者追出し裁判のふり返り:内掘決定が違法かどうかが福島県の仮設住宅明渡し請求の前提問題であることが判明した経過(26.1.16) 

3、三浦少数意見
(1)、「我ここに立つ。これ以外に仕方がない」の決断の中で書かれた三浦少数意見(26.1.20) 

(2)、三浦少数意見その可能性の中心(1)、国際人権法:原発事故の避難者等の人権(居住権等)について国際人権法(社会権規約、国内避難に関する指導原則)に基づいて保障されるべきことを初めて最高裁判決に書き込んだ。(2026.1.15←1.28加筆)
 
(3)、三浦少数意見その可能性の中心(2):避難者追出し裁判1​.​9最高裁判決の上告受理申立て理由書&多数意見&少数意見の対比表から見えてきたもの(26.1.27)

(4)、三浦少数意見その可能性の中心(3):内掘決定の違法性と建物明渡請求の可否についての具体的内容(2026.1.30)



 

2025年11月28日金曜日

【第117話】民事冤罪事件に光を!:最高裁の誤判に国際再審手続の保障を実現するのは私たち市民の手にかかっている(25.11.29)

世界の常識である個人通報制度を日本に導入することを求める市民の声をカタチで示すため、オンライン署名をスタート。賛同の方は>こちらまで署名をお願いします。

1、或る民事冤罪事件の概要
昨日、最高裁から通知が届いた(上の書面)。私が代理人をつとめる、学問の自由の侵害に対して救済を求めた裁判を受理しないという数行の決定だった(平山朝治VS筑波大事件>詳細はブログ)。 

この事件は、2018年12月に起きた(NGT48のメンバー)アイドル暴行事件に関する論文NGT48問題・第四者による検討結果報告」が2020年1月より筑波大学のリポジトリで一般公開され話題となったところ、同年4月、株式会社Vernalossom(旧社名AKS。以下、AKSという)から「本論文は当社の名誉毀損にあたり、リポジトリからの削除を求める」と抗議文が著者と筑波大学に送られるや、筑波大学が同論文をリポジトリから削除した。同論文をリポジトリに再公開することを求めて、2021年6月、著者が筑波大学とAKSを相手に東京地裁に提訴した事件だった。

 提訴時の記者会見( 時事通信の記事『削除は違憲筑波大を提訴 アイドル暴行事件論文で教授 東京地裁」より)

3年後の2024年3月、一審の東京地裁の判決は、被告AKSが主張する名誉毀損は認めず、さらに被告筑波大学が同論文をリポジトリから削除する際の理由にしたアイドル暴行事件の被害者のプライバシーの侵害も認めなかった、では原告の言い分が認められたのかというと、さにあらず、判決は、この裁判まで被告らから取り上げられることのなかった「論文は同暴行事件の加害者のプライバシーを侵害をしたもの」を理由にリポジトリからの削除は適法と判断したのである。

しかし、被告らの主張からみても奇奇怪怪のこの論点に関する判断は、同暴行事件の加害者が事件後に自ら進んで事件についてカミングアウトしていた事実を無視したもので、誤判(法令適用の誤り)であった。著者はこの点を二審の東京高裁で主張。東京高裁はいったんは審理の見直しに着手したが、約1年後の5月の判決では、単に「(著者に)個人情報の不当な取り扱いがあり」とだけ指摘して、一審判決通りでよいとした。つまり、一審判決の奇奇怪怪の誤判をそのまま是認した。

やむなく著者は三度目の正直の上告審で、一審、二審の各判決が暴行事件の加害者のプライバシー侵害と判断したことが誤りであることを一目で分かるように理由書に記載(末尾の上告受理申立て理由書6~9頁参照)、この明々白々の誤判を詳細に主張した。その際、たとえ少数意見でも、二審判決は誤判である旨の判決が書かれることを期待した。しかし、昨日、全員一致の却下の決定が届き、誤判が確定した。
もともと裁判所が他の国家機関と根本的にちがうのは結論の理由を示す点にある。つまり結論を証明することが求められた点にあった。しかし、この却下決定には証明が要らない。「上告受理申立ての理由に当たらない」とさえ言えばそれで一丁あがり、原判決を是認できる。しかし、これは「結論を証明する」という司法の存在理由をみずから否定するにひとしい。前記の通り、原告が上告受理申立ての理由の中で、原判決が憲法に違反した「違憲判決」、法律の適用にも違反した「違法判決」であることを証明しようとしたのに対し、司法の存在意義を踏まえて誠実に対応するのであれば、最高裁は、原判決が「違憲判決」でも「違法判決」でもないことを自ら証明すべきである。それをしないまま、ただ一言「上告受理申立ての理由に当たらない」としか言わないというのは、司法が行なうべき判決として「未完成」のままほおり出したというほかない。

その通知を受け取り、最高裁はこんな明々白々の誤判すら見抜けないほどその目は節穴なのか、これでは市民は救われないと思い知らされ、そのとき、映画「それでもボクはやっていない」の監督周防正行が、この映画の制作中に語った次の言葉が思い出された。

僕は取材を始めて半年ぐらいたった時に、痴漢冤罪とか他のいろんな冤罪があるけれど、誰かに「何がいけないと思います?」と聞かれたら、「あ、裁判所だ」って思ったわけですよ。それはきちんと取材してそう思ったんだから、そのことは伝えなければいけない。裁判所はひどい。‥‥多分、いまの多くの人は、「十人の真犯人を逃がすくらいなら、一人ぐらい間違って有罪にしてもいいんじゃないか」って思ってるんじゃないか‥‥僕はそういう気がして、そういう社会的な雰囲気を感じているから裁判官も、平気で「判らないけど、ま、有罪にしとけ」って感じになるんじゃないのか。そんな気がしてならないんです。

刑事事件なら、当然、再審手続に移る事件だった。しかし、民事事件にはそのような手続は保障されていない。しかし、誤判であり、冤罪であるならば、民事事件でもその濡れ衣を晴らす途があっていいのではないか。18年前にも同様の民事冤罪事件に遭遇した時、この思いを実感し、次の文を書いた。

 民事冤罪事件 それでもボクはコピーやっていない--模写裁判サイト--

2、民事冤罪事件を救済する個人通報制度
しかし、当時、この思いをカタチにするやり方を知らなかった。その後、そのカタチがあることを知った。それが民事冤罪を国際的に救済する制度、個人通報制度(以下はアムネスティの解説による)。

人権を国際的に保障する国際人権法、それを具体化する手続のひとつ。
それは、人権条約に認められた権利を侵害された個人が、各人権条約の条約機関に直接訴え、国際機関で自分自身が受けた人権侵害の救済を求めることができる制度。

人権侵害を受けた個人は、その国において利用できる国内的な救済措置を尽くした後(日本の民事事件なら最高裁判決)であれば誰でも通報できる。その通報が受理され、審議された後に条約機関はその通報に対する見解を出す。見解には拘束力はないけれど、国際・国内の世論を高めることで国内法や運用の改正を図り、人権侵害の救済・是正を目指すことができる。

もしこれが使えれば、今回、学問の自由の侵害事件に対して最高裁が誤判をおかしたとして、自由人権規約の自由権規約委員会に、救済を求めて通報することができる。
この制度の活用の重要性を、今回、誤判を経験し、改めて痛感した。

ただし、これが使えるためには、この制度を日本政府が批准する必要がある。しかし、日本政府は各人権条約についてひとつも批准していない。このような国は、世界ではG7サミット参加国において日本だけ。OECD(経済協力開発機構)加盟37か国において日本とイスラエルだけ。この意味で日本は人権の最貧民国かつ世界に名だたる人権鎖国。そして、この汚名がまかり通っている最大の原因は当の日本の市民がこの事実を知らないからだ。知って行動を起こせば、日本は人権の最貧民国・人権鎖国から抜け出すことができる。そのカギを握っているのは私たち日本の市民()。この真理を改めて噛み締めている。

今回の最高裁がこのようなていたらくだとしたら、一事が万事、ほかにも沢山、これと同じような民事冤罪事件を経験させられている市民が沢山いるのではないか。世界の常識である個人通報制度を、今なお鎖国を堅持する日本の非常識な司法制度に吹き込むことにより、民事冤罪をめぐる環境はがらりと変わる。それは私たち市民の手にかかっている。

1951年に起きた「八海事件」を映画化した「真昼の暗黒」のラストシーンで、被告人は獄中から「まだ最高裁がある!」と叫んだ。百年後の私たちの合言葉は「最高裁がある」ではなく、最高裁を鎖国から解放し、国際人権法をカタチにした「個人通報制度がある」である。

)市民の声が個人通報制度を実現することを訴えた日弁連のパンフ>こちら
   今年2月の山形県弁護士会の個人通報精度の早期導入を求める決議

 上告受理申立て理由書 >全文PDF

        
アイドル暴行事件の加害者のプライバシー侵害の点について




2025年11月24日月曜日

【第116話】(【差し替え版】チェルノブイリ法日本版ニュースレター原稿)PTSDに苦しむ原発事故被災者が一歩前に出るために(25.11.24)


11月8日の第22回新宿デモ(脱被ばく実現ネット主催)

第115話】で紹介したチェルノブイリ法日本版の会の次回のニュースレター用の原稿が長すぎるので、その後、差し替え版を作成した。それが今月8日の第22回新宿デモで話したスピーチに当日、喋り切れなかった内容を補足したもの。

このとき、喋っていて、とても素直に、自然に、言葉が出てきて、こんな感じで喋れたのは初めてのような気がして、これが肝心なんだと合点した。その意味で、私にとって画期的なな経験だった。

11.8新宿デモのスピーチ動画>以下の末尾
・ニュースレター用原稿「PTSDに苦しむ原発事故被災者が一歩前に出るために」>こちら

以下は、字数制限のない、ニュースレター用原稿の元原稿。

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PTSDに苦しむ原発事故被災者と予防原則が一歩前に出るために

1、PTSD

先日、JCO事故の被害者の人が事故後体調不良になり、村役場に相談する中で不満を募らせ、24年後に東海村と日立市の役所に車で突っ込んだ事件の判決があったというニュースを聞き、26年前のJCO事故の被害者の人がとうとうこういう形で暴発したという事実を知りました。

最近届いた或る通信に、母親がJCO事故で健康を害し、裁判を闘って負けたという息子さんの報告の最後でこの事件を取り上げ、JCO事故の健康被害者は3人だけが国の公式見解だが、外にも沢山いたことを覚えておいて欲しいと結んでいた。
その時私は、車で暴走したこの人はこの母親と似ている、そして、この報告の次に載っていた311甲状腺がん裁判で意見陳述をした原告8さんとも似ていると思った。
この報告を読んだ時それが21年前に切り抜いて壁に貼っておいた或る新聞記事()の内容だったのを思い出し、そこにJCO事故以後、寝たきりになってJCOと聞くだけで動悸が激しく苦しむ母親のことが書かれていて、PTSDと診断された彼女は5年後にようやく、事故直後に、敗戦で満州から命からがら引き揚げた幼少時の思い出が突然よみがえったと語り出した。それで息子さんは初めて母の「心の傷」に触れるきっかけを得た気がして、JCO事故が母に与えた傷は母が苦難をくぐり抜けてきた全生涯に及ぶ深いものであるという認識を新たにした

--21年ぶりにこの記事を読み直し、私は原発事故の被害の意味を単に病気や生活苦と見ることはできない、その人がそれまで心にフタをしてきた過去の苦難の全歴史が一気に噴出し、その人を苦しめ直す、心の傷が再発し暴走する。その苦しみは甲状腺がん裁判で意見陳述をした原告8さんも同じではないかと思ったのです。
のみならず、同様の苦しい思いをしている人たちはほかにもいっぱいいる、ふくしま集団疎開裁判、子ども脱被ばく裁判、仮設住宅から追出しを迫られた追出し裁判でも欝になった方たちが沢山いて、その原因は単なる偶然や本人の心がけのせいではなく、必然的、客観的な原因があるのではないか、それは、原発事故後に体調不良に陥り或いは避難生活の中で生活困窮に陥ったとき、自分を苦しめている原因は放射能の被ばく或いは避難者の生活再建を保障しない国の政策にあるのではないかと内心思っても、医師や国からは「放射能は関係ない。自分の責任で避難したのだから生活再建も自己責任が当然」と突き放されると、じゃあ何が原因なんだ、病気も生活苦も自分の生活態度が悪かったからなのかと思うほかなく、かといってそれで納得もできず、その結果、自分の素朴な疑問にフタをして、不本意な気持ちのまま自分自身の殻に閉じこもり病気や生活苦と向かい合うしかなくなる。けれど、フタの下で自分の素直な感情は依然マグマのように、医師や国はおかしいと思っているから、自身を押し殺す不自然な心の状態は身体全体の調子を狂わせてその人を苦しめる。それはその人から生きる尊厳を奪い、その人を人間失格にさせ、その人を深刻な心の病に陥れる。

他方、どんなに厳しい境遇であっても、もしその人に境遇と正面から闘う意味が分かり、誇りをもって闘い続けることができるのなら、それで馬鹿にされようが虫けらみたいにされようがまだ元気でいられる。しかし、医師や国の言葉にずるずると屈して、それに従うしかないと思うとき、その屈従は「放射能や国の政策が原因ではないか」という自分自身の素直な思いを心中に閉じ込めるフタとなる。けれど、そのフタの下で自分の素直な感情は依然マグマのように息づいているから、自身を押し殺す不自然な心の状態は身体全体の調子を狂わせてその人を苦しめる。この苦しみを解き放つ唯一の方法はそのフタを開け、フタの下に閉じ込めていたマグマの感情を正しく外に出すしかないのではないか。それを実行したのが甲状腺がん裁判の原告となった8さん。彼女は原告になる中で元気を取り戻していった。行動が心を正していった。

 ところで、これは決して原発事故の直接の被害者の人たちだけじゃなくて、私たち自身がみんな似た思いを抱いているのではないでしょうか。311以後、原発事故の救済をめぐって本当におかしなことばかり沢山あった。しかし、それを周りに言っても「いや、それはあんたの思い過ごし、妄想だ」と一蹴され、フタをするしかなかったことが多かったのではないでしょうか。しかし、当人は「いや、決して妄想でも何でもない、これには絶対根拠がある」とどこかで納得しなかったはずです。ただ、この思いをフタから出して表明する場所がなかった。しかし、甲状腺がん裁判に参加した原告8さんみたいに裁判という場があります。それ以外にもデモがあります。デモは私たちが普段フタをして心の底に閉まっている思いをフタを外して外に出して街頭でアピールする場なのです。そして市民立法も同様です。市民立法チェルノブイリ法日本版も、311以後、私たちが普段フタをして心の底に閉まっている思いをそのフタを外して外に出してその実現に向けて一歩ずつ進む取組みなのです。

2、予防原則

JCO事故の裁判は8年やって負けました。その理由を原告の息子さんは 因果関係の立証ができなかったから、要するに 原告に被ばくと病気の関係をきちんと立証しろと言われ、その証明ができないで負けたそうです。当たり前です。今の科学技術のレベルでさえ立証できない被ばくと病気の因果関係を、なんで普通の市民が立証できるのか。市民が立証するなんて本来できないのです 。元々それが無理なこと分かってて裁判でそれを要求する、その今の裁判のシステムが間違ってるんです。だから、それを正すことが本当に必要で、それを正すちゃんとしたテクニック、技術があるんです。それが予防原則です。予防原則というのは加害者のほうで被ばくと病気の因果関係がないことを証明しない限り因果関係はあったとされるというものです。いわゆる立証責任が被害者から加害者に転換されることを認めるものです。その原則が今の日本にはないんです。しかしこれは日本で作ることができるし、作るべきです。 そして私が思うにはこのような法律を作るのは最後は市民が決めるんです。決してこれは選挙で決めることではなくて、市民が決めることであることを最高裁がそう言っています。今、結婚制度は大きく揺れ動いていて、どういう結婚制度が合法かそれが最高裁でも問題になっていて、最高裁は判決でそれを決めるのは市民の意識だと表明しています。 つまり私たち市民の意識がいかなる結婚制度を認めるかを決める鍵を握っているんです。だから、これと同じような意味でいかなる因果関係のシステムを認めるか、予防原則を取るか否かは私たち市民が決めることができるんです。それを決める1つの大事な場がこのデモです。デモを通じて私たちは、市民の意識は原発事故による救済を予防原則で救えということを求めている、そのことを一緒に声を上げて言おうじゃありませんか。それによって市民の意識が変わり日本の法律も変わって、原発事故の救済が一歩でも前に進むのだと信じます。今日はそのためのさやかな一歩ですが、是非一緒に頑張りましょう。ありがとうございました。

 )2004年9月

          11.8新宿デモのスピーチ(柳原)



2025年11月20日木曜日

【第115話】(チェルノブイリ法日本版ニュースレター原稿)生活再建権の保障を法制化したのが日本版(25.11.20)

 チェルノブイリ法日本版の会の次回のニュースレターに原稿を寄せるので、この夏、信州松本の片田舎(四賀)で、日本版の会の有志でやった協同組合の学習会の合宿について書こうと思った。そう思ったのは、7年前、100歳で亡くなった脚本家・映画監督の橋本忍の次の言葉を思い出したからだ(>弟子たちと一緒の100歳の写真)。

(映画の仕事のどこが面白いのか、という問いに対し)
ロケ地の道路わきでスタッフ・俳優みんなと一緒にわいわいがやがや言いながら昼飯を食べるのが何よりも楽しいんだ

そうだ、これは単なる映画の話にとどまらない。このフラットな関係の中でおこなう協同労働=協同経営の映画作りの中にこそ、人類のひとつの普遍的なあり方が示されている、それが「協同組合」の精神なんだと気がついたからだ。

私にとって、協同組合は311後の避難者・被災者が生活再建を成し遂げる上で不可欠の就労システムだ。モンドラゴンの協同組合でもそうだが、現実に協同組合が実を結ぶところは、その前提として、彼らの生活に襲い掛かった人権侵害、様々な迫害に抗って、みずから生活再建を果たそうとアクションを起こした人たちだったことだ。 橋本忍にしても、24時間金儲けのことしか考えず、金儲けになる映画を作れとしか命令しない映画会社に抗って、「作りたくて、面白くて、その上、元も取れる映画を作ろう」とみずからアクションを起こした人、その意味で、協同組合の精神の光を放った映画人だ。

以下は、先週、東京地裁であった避難者住まいの権利裁判の中で起きた「小さなものすごい異変」とそれが協同組合の取組みに深く関係していることを述べた、日本版のニュースレター用に書いた原稿(おそらく長すぎて、カットされるので、ここに全文を掲載)。

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生活再建権の保障を法制化したのが日本版

1、 理性のつぶやきはやむことがない

 今月12日の避難者住まいの権利裁判で、裁判長が初めて仮設住宅提供の打切りを決定した福島県知事決定の手続に問題があるのではないかと決定の問題点に言及する訴訟指揮をした。これは私が311から14年目にして初めて経験した出来事だった。311以後、原発事故被災者・避難者は人間として扱われず、ずっと虫けらみたいにあしらわれて来たが、今回初めて、避難者たちの生活再建の状況や将来の見通しなどを本人たちにヒアリングもしないで打切りを決めた知事の決定の手続はやっぱりおかしいんではないかという理性のつぶやきが登場したからです。同時にそれは、避難者の住宅問題が解決しないのは根本的に彼らの生活再建の問題が解決しないからであり、311以後、避難者たちの多くが避難先で生活再建の見通しを持てずに厳しい生活環境に置かれているという過酷な現実をクローズアップするものでした。なぜなら、311以後、日本政府も福島県も県外に避難した避難者たちに、帰還すれば手厚い保護を与えるのに、避難先で生活再建できるような就労支援については、支援のしの字も実行しなかったという残忍酷薄な、人権侵害の政策が取られて来たからです。

2、生活再建を求める人たちの苦悩

 2013年3月、名古屋で、自主避難者のネットワークの結成総会でふくしま集団疎開裁判の話をしてくれと言われ、行った。総会の後の懇親会で、避難者が自己紹介をした時、若いバイタリティーあふれるお母さんが年子と思われる0~5歳ほどの子どもたち5人を連れて登壇した。 そのあとに、ちょこんと恥ずかしそうにお父さんが登壇、ポツリポツリと自己紹介を始め、最後にこう言った。
女房が逃げたいというので、みんなで逃げることにしました。その結果、私は会社を退職し、それで、こちらで新しい仕事を探しましたが、どうしても見つからない。最後に決まったのがガードマンでした。本当はもっとちがう仕事に就きたかったけれど、これしかなかったので、これでがんばります
奥さんと子どもたちを見ながら、悲壮な決意で、殆ど泣き出さんばかりに感極まって「がんばります!」と締め括った。その悲壮な姿に、思わず、おかしいだろ、なんで、自分たちが壊したわけでもない原発の事故のために、ここまで苦しまなくてはいけないのか。避難先で自立し、誇りに思えるだけの仕事に就くことを願うことがそんなに尊大で、そんなに厚かましいことなのだろうか。 個人の尊厳を認める社会なら、避難先で自立するために自分なりに納得が行く仕事に就くことは権利として認められて当然じゃないのか。 生活再建権という人権があることをもしこのお父さんが知ったなら、「そいつは、オレの権利だ!人間としての権利だ!」ときっと叫んだと思いました。

 原発事故が明らかにしたこと、それは避難者には人権として生活再建権があるんだということ。そして、それが保障されないために、声もあげられずひそかに苦悩、苦闘している避難者や避難できない人たちが、この国にはこのお父さんだけではなくて、ほかにも無数にいるということです。

3、生活再建の現実的な方法として協同組合の道は不可避

 他方で、人権の歴史が教えることは人権はこれまで「棚からぼたもち」式に市民に保障されたことは一度もないということです。それはいつも市民立法、つまり市民が自らの手で手に入れて初めて保障が実現した。ではどうやって手に入れるの?それは世界最初の人権である宗教の自由が示す通り、宗教の弾圧、宗教戦争という宗教の自由に対する情け容赦ない侵害に対し市民が「あらがい続ける」ことを通じて宗教の自由を手に入れた。つまり、人権侵害とそれに対する「あらがい=抵抗」が人権保障の実現にとって不可欠の前提条件だということです。この意味で、311後に原発事故被災者、避難者を襲った生活再建権や命、健康を守る人権の侵害という事実は歴然としています。あと足りないのは何か。これらの人権侵害に対して「あらがい=抵抗」することです。それが市民立法のアクションです。ただし、それを絵に描いた餅ではなく、現実のものにするためにはただあらがうのではなく、もっと創意工夫がいる。その1つが「協同労働=協同経営」という、市民自らがお互いに助け合って生活再建する協同組合の試みです。そんなのは夢でしょう?と思うかもしれませんが、世界にはスペイン・モンドラゴンを始めとしてそれに挑戦して成し遂げた数多くの実例があり、私たちはその気になればそこからいくらでも学べるのです。
 今年の夏、日本版の会の有志で、協同組合について学ぼうと信州松本市の片田舎で合宿をした。幸い、建物貸しだけで、あとの管理はすべて利用者がする。参加者自ら地元で食材を求め、台所でみんなで「協同調理=協同炊事」して「協同食む」。その経験は協同組合のささやかな実践として参加者の心に刻まれた。この時、私は「ロケ地の道路わきでスタッフ・俳優みんなと一緒にわいわいがやがや言いながら昼飯を食べるのが何よりも楽しいんだ」と言った、百歳まで現役で活躍した脚本家・映画監督の橋本忍の言葉を思い出した。非人間性の闇が世界を覆い尽している311後の日本社会ほど、「協同労働=協同経営」の理念の光が大切な時代はない、それが日本版の精神であることを痛感している。






2025年7月13日日曜日

【第114話】なぜ環境権は人権として認められないのか。その最大の理由は 環境権は終焉を迎えた「脳化社会に安住する塀の中の法律」の中に収まらず、まだ誰によっても書かれたことのない未来の法「脳化社会の塀の外に出た法律」の切り札だから(25.7.14)

日本の七不思議の1つ
それが環境権。日本で環境権という言葉が初めて提唱されたのは半世紀以上前の1970年、日本弁護士連合会の人権擁護大会の公害問題に関するシンポジウムの中だった。また、その前年の1969年、画期的な東京都公害防止条例はその前文で「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有し、この権利は、公害によってみだりに侵されてはならない」と宣言し、環境権の理念を明文化した。しかし、このような熱心な推進にもかかわらず、その後現在に至るまで、日本では法令にも判例にも環境権という言葉は登場しなかった。なぜか?

その際、いつも言われるお決まりの言葉が「環境権の範囲や内容が不明確だから」 。しかし、こんなことはおよそ全ての人権の言葉にも、また法の基本原理である「信義則」「権利濫用」「公序良俗」といった言葉に妥当することであり、にもかかわらず、これらの言葉は法令にも判例にもしっかり登場する。さらには、もともと多くの法律の概念というのは、あらかじめピシッと定義されることはできず、むしろ現実世界の個々の紛争の解決を通じてその権利の範囲や内容を一歩ずつ確定していくものであり、それが本来の姿であり、それで全く問題ない。ひとり環境権だけ特別扱いする理由はない。つまり「概念が不明確」という理由はただの弁解でしかない。
では、何が彼らをこうした弁解に走らせるのか?
それについてもあれこれ推理されている。 しかし、そこには「環境権」を他とはちがって特別扱いせざる得ない
それ相応の理由があるからだ。これについて、最近、私が思い当たったことがある。

環境権の画期的な意味
ーーそれは、
環境権はこれを本気で法律に導入しようとしたら、それは「脳化社会のに安住する塀の中の法律」の枠組みにとうてい大人しく収まることができず、この法律自体の枠組みを破壊してしまうほどの恐るべき異端児だからだ。なぜなら、環境問題の根源を問い詰めていったら、それは脳化社会が直面している、脳化社会の力では乗り越えられることができない限界(壁)にぶちあたり、それを解決するための切り札として登場した環境権とは、まだ誰によっても書かれたことのない「脳化社会の塀の外に出た法律」の中でこそ見出せる性質のものだから。
だから、脳化社会にしがみつく人たちは、いったん環境権を安易に認知してしまうと、それは自分たちの安住する世界を足元から崩すことを熟知しているから、必死になって、用心深くこれを回避しようとしてきた。その結果が、これまでずうっと日本の法令にも判例にも環境権という言葉は登場しなかった事実である。

しかし、これは日本が現在なお鎖国状態にあることを示すものだ。なぜなら、世界の動静はポルトガル(1976年導入)を皮切りに、019年時点で国連加盟国 193 カ国のうち80%
以上の国(156 カ国)が環境権を認めているからだ(なぜ国際社会は環境権を認めたのか)。

「脳化社会の塀の外に出た法律」の切り札としての環境権の意義
では、環境権という言葉を認めることと認めなかったことで、どういう違いがもたらされたか。
その有名な事件が今から44年前、日本三大奇奇怪怪裁判の1つとされる1981年12月16日「大阪空港」最高裁大法廷判決。
もともと
第一小法廷で審理されていて、そこで差し止めを認めた二審判決を追認する方向でいたところ、被告国から大法廷での審理を求める上申書が出された際、元最高裁判所長官村上朝一から第一小法廷の裁判長宛に大法廷で審理するよう電話があり、それで大法廷に回されることになり、そこで結論が逆転したといういわくつきの裁判(誰のための司法か〜團藤重光 最高裁・事件ノート〜)。
この事件の特徴はこれまでの公害訴訟とちがって、加害(騒音)と被害の因果関係は明白で、その意味で本体での勝負はついていた。にもかかわらず原告の請求を退けるためには本体の前の訴訟手続論でケチをつけるしかなかった。そこで、「航空行政権」とかいう訳の分からない言葉を持ち出して、無理やり原告には本論に入る前の訴訟手続として差止め請求をする資格がないとして原告を負かせたのである。
しかし、このときまでにもし「環境権」という言葉が法令か判例に登場していたならどうだっただろうか。最高裁はこの人権と向き合わざるを得ず、こんな糞屁理屈でもって原告を負かせることは出来なかったはずだ。最高裁は「環境権」が法令にも判例にも登場していなかったことをもっけの幸いにこの裁判を強引に逃げ切った。

もう1つが311後の日本社会。原発事故で日本社会は原発事故の救済について人権侵害のゴミ屋敷と化した、しかもそのゴミ屋敷がネグレクト(放置)されたままに。このような事態が許されるのはなぜか。一方でそれは原発事故の救済を本気に実行することは脳化社会の枠組みを根底から揺さぶるものであり、脳化社会維持者にとってあり得なかった。と同時に、他方で、海外とちがい、日本では法令にも判例にも「環境権」という言葉は登場していなかったので、これをいいことにして、しらを切って逃げに出ようと。
だからもし、
311までに「環境権」という言葉が法令か判例に登場していたなら、日本政府はこんなにやすやすと逃げ切れなかった。この環境権」を具体化したのがチェルノブイリ法日本版。だからもし「環境権」が登場していたなら、日本政府は日本版の制定という問題と否応なしに向き合わざるを得なかった。その意味で、日本で環境権」という言葉が法令にも判例にも登場していない意味はものすごく大きい。

たかが法律用語、しかしされど法律用語。
環境権」という言葉は日本の脳化社会の行方を左右する地雷のようなホットな存在だ。
だから、「環境権」を具体化したチェルノブイリ法日本版の市民立法(日本各地の条例制定の取組み)とは、この地雷を日本社会のあちこちに埋め込もうという、脳化社会の未来を根底から揺るがす「環境権」をめぐるアクションであり、だから、これは身が引き締まるような最もホットな企てである。

【第120話】なぜ七三一部隊に無関心、無知だったのか(その1)(26・2・5)。

1、最大の理由は、七三一部隊はあってはならない痛恨事だが、他方で、私にとってそれは、過去のもう終わってしまった出来事であり、現在の自分たちには関係がないものとばかり思っていた。 しかし、それはとんでもない思いちがい、無知の極みだった。七三一部隊の思想・哲学・方法は現在の日本社会の...