6回の双方の攻防を経て2日前に審理を終結したゆうちょ裁判(>最新の報告)。その5日前に提出した原告主張を総整理・集大成した書面を提出した(>準備書面(3))。
あとは、傍聴に駆けつける人たちに向けて、この書面をより分かりやすく解説する要旨を作成して、弁論当日、法廷で陳述するばかりとなった。
しかし、いざこの解説書面の作成に取りかかるや、この作業は独りで勝手に暴走し始め、分かりやすい解説どころか、ひとまず総整理・集大成をしたと思っていた書面がまだ不完全・不徹底であることがハッキリし、その結果、要旨という名のもとで、主張書面の再整理・再集大成をおこなうという羽目になってしまった。それが>要旨原稿。
その不首尾を詫び、改めて、傍聴に来た人たち向けに、本来の解説書面を作成し、これを「もう1つの要旨」として公開し、朗読することにして、作業に取り掛かった。ところがまたしても、この作業は勝手に暴走し、その結果、再整理・再集大成したと思っていた書面がまたしてもまだ不完全・不徹底であることが明らかとなり、頭を抱えてしまった。そこで、3度目の主張書面の再整理・再集大成をおこなうことになってしまった。それが>もう1つの要旨原稿。
この3度目の主張の再整理を通じて明らかになったことは「そもそも法律とは何のためにあるのか」という法律の存在理由を問うこと、これがゆうちょ裁判の中心的なテーマだということ。
そして、ひとたび、この「法律とはそもそも何のためにあるのか」という法の存在理由を本件に即して明確に掴んだなら、そのとき、法律は私たち市民団体がやっている活動をサポートすべきであると確信をもって言うことができる。
そこから、私たちの活動にとって必要不可欠な団体名義の口座開設も認められるべきであるという結論が確信をもって引き出される。
それまでは、単に、法律にそう書いてあるからといった形式的、概念法学的な考えで主張していたのに対し、今度はもはやそんな機械的なレベルのことではなく、私たち原告の行っている市民活動という現実を法の使命、ミッションに照らして評価したとき、この市民活動は保障されるに相応しい、ゆえに団体名義の口座開設の自由も保障されなければならないのだということを普遍的な法的判断にのっとって主張することができるのだ。それが「たがために法律はあるのか」を踏まえた紛争の正しい法的な解決のやり方なのだと自信を持って言うことができる。
ところで、この気づきはゆうちょ裁判だけにとどまらない、もっと広い、もっと深い意味を持っている。
なぜなら、この気づきによって、私たちは日頃から具体的な法律問題と向き合うときに「なぜそのような法律が存在するのか」というその法律の存在理由について思いを馳せ、自覚的になることができるから。そして、この自覚が私たちが法律を正しく使いこなして紛争を適正に解決する上で最も重要な羅針盤になるから。
市民立法というのは、自分たちの市民社会の秩序を一握りの職業的専門家の手にゆだねるのではなく、市民自らが積極的に関わることによって作り上げていくという意味。そのためには法律の存在理由について思いを馳せて自覚する体験を積むことがとても大切なのだと思う。
その貴重な気づきを与えてくれた、この「もう1つの要旨原稿」を以下に再掲する。
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