2025年11月20日木曜日

【第115話】(チェルノブイリ法日本版ニュースレター原稿)生活再建権の保障を法制化したのが日本版(25.11.20)

 チェルノブイリ法日本版の会の次回のニュースレターに原稿を寄せるので、この夏、信州松本の片田舎(四賀)で、日本版の会の有志でやった協同組合の学習会の合宿について書こうと思った。そう思ったのは、7年前、100歳で亡くなった脚本家・映画監督の橋本忍の次の言葉を思い出したからだ(>弟子たちと一緒の100歳の写真)。

(映画の仕事のどこが面白いのか、という問いに対し)
ロケ地の道路わきでスタッフ・俳優みんなと一緒にわいわいがやがや言いながら昼飯を食べるのが何よりも楽しいんだ

そうだ、これは単なる映画の話にとどまらない。このフラットな関係の中でおこなう協同労働=協同経営の映画作りの中にこそ、人類のひとつの普遍的なあり方が示されている、それが「協同組合」の精神なんだと気がついたからだ。

私にとって、協同組合は311後の避難者・被災者が生活再建を成し遂げる上で不可欠の就労システムだ。モンドラゴンの協同組合でもそうだが、現実に協同組合が実を結ぶところは、その前提として、彼らの生活に襲い掛かった人権侵害、様々な迫害に抗って、みずから生活再建を果たそうとアクションを起こした人たちだったことだ。 橋本忍にしても、24時間金儲けのことしか考えず、金儲けになる映画を作れとしか命令しない映画会社に抗って、「作りたくて、面白くて、その上、元も取れる映画を作ろう」とみずからアクションを起こした人、その意味で、協同組合の精神の光を放った映画人だ。

以下は、先週、東京地裁であった避難者住まいの権利裁判の中で起きた「小さなものすごい異変」とそれが協同組合の取組みに深く関係していることを述べた、日本版のニュースレター用に書いた原稿(おそらく長すぎて、カットされるので、ここに全文を掲載)。

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生活再建権の保障を法制化したのが日本版

1、 理性のつぶやきはやむことがない

 今月12日の避難者住まいの権利裁判で、裁判長が初めて仮設住宅提供の打切りを決定した福島県知事決定の手続に問題があるのではないかと決定の問題点に言及する訴訟指揮をした。これは私が311から14年目にして初めて経験した出来事だった。311以後、原発事故被災者・避難者は人間として扱われず、ずっと虫けらみたいにあしらわれて来たが、今回初めて、避難者たちの生活再建の状況や将来の見通しなどを本人たちにヒアリングもしないで打切りを決めた知事の決定の手続はやっぱりおかしいんではないかという理性のつぶやきが登場したからです。同時にそれは、避難者の住宅問題が解決しないのは根本的に彼らの生活再建の問題が解決しないからであり、311以後、避難者たちの多くが避難先で生活再建の見通しを持てずに厳しい生活環境に置かれているという過酷な現実をクローズアップするものでした。なぜなら、311以後、日本政府も福島県も県外に避難した避難者たちに、帰還すれば手厚い保護を与えるのに、避難先で生活再建できるような就労支援については、支援のしの字も実行しなかったという残忍酷薄な、人権侵害の政策が取られて来たからです。

2、生活再建を求める人たちの苦悩

 2013年3月、名古屋で、自主避難者のネットワークの結成総会でふくしま集団疎開裁判の話をしてくれと言われ、行った。総会の後の懇親会で、避難者が自己紹介をした時、若いバイタリティーあふれるお母さんが年子と思われる0~5歳ほどの子どもたち5人を連れて登壇した。 そのあとに、ちょこんと恥ずかしそうにお父さんが登壇、ポツリポツリと自己紹介を始め、最後にこう言った。
女房が逃げたいというので、みんなで逃げることにしました。その結果、私は会社を退職し、それで、こちらで新しい仕事を探しましたが、どうしても見つからない。最後に決まったのがガードマンでした。本当はもっとちがう仕事に就きたかったけれど、これしかなかったので、これでがんばります
奥さんと子どもたちを見ながら、悲壮な決意で、殆ど泣き出さんばかりに感極まって「がんばります!」と締め括った。その悲壮な姿に、思わず、おかしいだろ、なんで、自分たちが壊したわけでもない原発の事故のために、ここまで苦しまなくてはいけないのか。避難先で自立し、誇りに思えるだけの仕事に就くことを願うことがそんなに尊大で、そんなに厚かましいことなのだろうか。 個人の尊厳を認める社会なら、避難先で自立するために自分なりに納得が行く仕事に就くことは権利として認められて当然じゃないのか。 生活再建権という人権があることをもしこのお父さんが知ったなら、「そいつは、オレの権利だ!人間としての権利だ!」ときっと叫んだと思いました。

 原発事故が明らかにしたこと、それは避難者には人権として生活再建権があるんだということ。そして、それが保障されないために、声もあげられずひそかに苦悩、苦闘している避難者や避難できない人たちが、この国にはこのお父さんだけではなくて、ほかにも無数にいるということです。

3、生活再建の現実的な方法として協同組合の道は不可避

 他方で、人権の歴史が教えることは人権はこれまで「棚からぼたもち」式に市民に保障されたことは一度もないということです。それはいつも市民立法、つまり市民が自らの手で手に入れて初めて保障が実現した。ではどうやって手に入れるの?それは世界最初の人権である宗教の自由が示す通り、宗教の弾圧、宗教戦争という宗教の自由に対する情け容赦ない侵害に対し市民が「あらがい続ける」ことを通じて宗教の自由を手に入れた。つまり、人権侵害とそれに対する「あらがい=抵抗」が人権保障の実現にとって不可欠の前提条件だということです。この意味で、311後に原発事故被災者、避難者を襲った生活再建権や命、健康を守る人権の侵害という事実は歴然としています。あと足りないのは何か。これらの人権侵害に対して「あらがい=抵抗」することです。それが市民立法のアクションです。ただし、それを絵に描いた餅ではなく、現実のものにするためにはただあらがうのではなく、もっと創意工夫がいる。その1つが「協同労働=協同経営」という、市民自らがお互いに助け合って生活再建する協同組合の試みです。そんなのは夢でしょう?と思うかもしれませんが、世界にはスペイン・モンドラゴンを始めとしてそれに挑戦して成し遂げた数多くの実例があり、私たちはその気になればそこからいくらでも学べるのです。
 今年の夏、日本版の会の有志で、協同組合について学ぼうと信州松本市の片田舎で合宿をした。幸い、建物貸しだけで、あとの管理はすべて利用者がする。参加者自ら地元で食材を求め、台所でみんなで「協同調理=協同炊事」して「協同食む」。その経験は協同組合のささやかな実践として参加者の心に刻まれた。この時、私は「ロケ地の道路わきでスタッフ・俳優みんなと一緒にわいわいがやがや言いながら昼飯を食べるのが何よりも楽しいんだ」と言った、百歳まで現役で活躍した脚本家・映画監督の橋本忍の言葉を思い出した。非人間性の闇が世界を覆い尽している311後の日本社会ほど、「協同労働=協同経営」の理念の光が大切な時代はない、それが日本版の精神であることを痛感している。






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