2025年7月13日日曜日

【第114話】なぜ環境権は人権として認められないのか。その最大の理由は 環境権は終焉を迎えた「脳化社会に安住する塀の中の法律」の中に収まらず、まだ誰によっても書かれたことのない未来の法「脳化社会の塀の外に出た法律」の切り札だから(25.7.14)

日本の七不思議の1つ
それが環境権。日本で環境権という言葉が初めて提唱されたのは半世紀以上前の1970年、日本弁護士連合会の人権擁護大会の公害問題に関するシンポジウムの中だった。また、その前年の1969年、画期的な東京都公害防止条例はその前文で「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有し、この権利は、公害によってみだりに侵されてはならない」と宣言し、環境権の理念を明文化した。しかし、このような熱心な推進にもかかわらず、その後現在に至るまで、日本では法令にも判例にも環境権という言葉は登場しなかった。なぜか?

その際、いつも言われるお決まりの言葉が「環境権の範囲や内容が不明確だから」 。しかし、こんなことはおよそ全ての人権の言葉にも、また法の基本原理である「信義則」「権利濫用」「公序良俗」といった言葉に妥当することであり、にもかかわらず、これらの言葉は法令にも判例にもしっかり登場する。さらには、もともと多くの法律の概念というのは、あらかじめピシッと定義されることはできず、むしろ現実世界の個々の紛争の解決を通じてその権利の範囲や内容を一歩ずつ確定していくものであり、それが本来の姿であり、それで全く問題ない。ひとり環境権だけ特別扱いする理由はない。つまり「概念が不明確」という理由はただの弁解でしかない。
では、何が彼らをこうした弁解に走らせるのか?
それについてもあれこれ推理されている。 しかし、そこには「環境権」を他とはちがって特別扱いせざる得ない
それ相応の理由があるからだ。これについて、最近、私が思い当たったことがある。

環境権の画期的な意味
ーーそれは、
環境権はこれを本気で法律に導入しようとしたら、それは「脳化社会のに安住する塀の中の法律」の枠組みにとうてい大人しく収まることができず、この法律自体の枠組みを破壊してしまうほどの恐るべき異端児だからだ。なぜなら、環境問題の根源を問い詰めていったら、それは脳化社会が直面している、脳化社会の力では乗り越えられることができない限界(壁)にぶちあたり、それを解決するための切り札として登場した環境権とは、まだ誰によっても書かれたことのない「脳化社会の塀の外に出た法律」の中でこそ見出せる性質のものだから。
だから、脳化社会にしがみつく人たちは、いったん環境権を安易に認知してしまうと、それは自分たちの安住する世界を足元から崩すことを熟知しているから、必死になって、用心深くこれを回避しようとしてきた。その結果が、これまでずうっと日本の法令にも判例にも環境権という言葉は登場しなかった事実である。

しかし、これは日本が現在なお鎖国状態にあることを示すものだ。なぜなら、世界の動静はポルトガル(1976年導入)を皮切りに、019年時点で国連加盟国 193 カ国のうち80%
以上の国(156 カ国)が環境権を認めているからだ(なぜ国際社会は環境権を認めたのか)。

「脳化社会の塀の外に出た法律」の切り札としての環境権の意義
では、環境権という言葉を認めることと認めなかったことで、どういう違いがもたらされたか。
その有名な事件が今から44年前、日本三大奇奇怪怪裁判の1つとされる1981年12月16日「大阪空港」最高裁大法廷判決。
もともと
第一小法廷で審理されていて、そこで差し止めを認めた二審判決を追認する方向でいたところ、被告国から大法廷での審理を求める上申書が出された際、元最高裁判所長官村上朝一から第一小法廷の裁判長宛に大法廷で審理するよう電話があり、それで大法廷に回されることになり、そこで結論が逆転したといういわくつきの裁判(誰のための司法か〜團藤重光 最高裁・事件ノート〜)。
この事件の特徴はこれまでの公害訴訟とちがって、加害(騒音)と被害の因果関係は明白で、その意味で本体での勝負はついていた。にもかかわらず原告の請求を退けるためには本体の前の訴訟手続論でケチをつけるしかなかった。そこで、「航空行政権」とかいう訳の分からない言葉を持ち出して、無理やり原告には本論に入る前の訴訟手続として差止め請求をする資格がないとして原告を負かせたのである。
しかし、このときまでにもし「環境権」という言葉が法令か判例に登場していたならどうだっただろうか。最高裁はこの人権と向き合わざるを得ず、こんな糞屁理屈でもって原告を負かせることは出来なかったはずだ。最高裁は「環境権」が法令にも判例にも登場していなかったことをもっけの幸いにこの裁判を強引に逃げ切った。

もう1つが311後の日本社会。原発事故で日本社会は原発事故の救済について人権侵害のゴミ屋敷と化した、しかもそのゴミ屋敷がネグレクト(放置)されたままに。このような事態が許されるのはなぜか。一方でそれは原発事故の救済を本気に実行することは脳化社会の枠組みを根底から揺さぶるものであり、脳化社会維持者にとってあり得なかった。と同時に、他方で、海外とちがい、日本では法令にも判例にも「環境権」という言葉は登場していなかったので、これをいいことにして、しらを切って逃げに出ようと。
だからもし、
311までに「環境権」という言葉が法令か判例に登場していたなら、日本政府はこんなにやすやすと逃げ切れなかった。この環境権」を具体化したのがチェルノブイリ法日本版。だからもし「環境権」が登場していたなら、日本政府は日本版の制定という問題と否応なしに向き合わざるを得なかった。その意味で、日本で環境権」という言葉が法令にも判例にも登場していない意味はものすごく大きい。

たかが法律用語、しかしされど法律用語。
環境権」という言葉は日本の脳化社会の行方を左右する地雷のようなホットな存在だ。
だから、「環境権」を具体化したチェルノブイリ法日本版の市民立法(日本各地の条例制定の取組み)とは、この地雷を日本社会のあちこちに埋め込もうという、脳化社会の未来を根底から揺るがす「環境権」をめぐるアクションであり、だから、これは身が引き締まるような最もホットな企てである。

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