【第115話】で紹介したチェルノブイリ法日本版の会の次回のニュースレター用の原稿が長すぎるので、その後、差し替え版を作成した。それが今月8日の第22回新宿デモで話したスピーチに当日、喋り切れなかった内容を補足したもの。
このとき、喋っていて、とても素直に、自然に、言葉が出てきて、こんな感じで喋れたのは初めてのような気がして、これが肝心なんだと合点した。その意味で、私にとって画期的なな経験だった。
・11.8新宿デモのスピーチ動画>以下の末尾
・ニュースレター用原稿「PTSDに苦しむ原発事故被災者が一歩前に出るために」>こちら
以下は、字数制限のない、ニュースレター用原稿の元原稿。
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PTSDに苦しむ原発事故被災者と予防原則が一歩前に出るために
1、PTSD
先日、JCO事故の被害者の人が事故後体調不良になり、村役場に相談する中で不満を募らせ、24年後に東海村と日立市の役所に車で突っ込んだ事件の判決があったというニュースを聞き、26年前のJCO事故の被害者の人がとうとうこういう形で暴発したという事実を知りました。
最近届いた或る通信に、母親がJCO事故で健康を害し、裁判を闘って負けたという息子さんの報告の最後でこの事件を取り上げ、JCO事故の健康被害者は3人だけが国の公式見解だが、外にも沢山いたことを覚えておいて欲しいと結んでいた。
その時私は、車で暴走したこの人はこの母親と似ている、そして、この報告の次に載っていた311甲状腺がん裁判で意見陳述をした原告8さんとも似ていると思った。
この報告を読んだ時それが21年前に切り抜いて壁に貼っておいた或る新聞記事(※)の内容だったのを思い出し、そこにJCO事故以後、寝たきりになってJCOと聞くだけで動悸が激しく苦しむ母親のことが書かれていて、PTSDと診断された彼女は5年後にようやく、事故直後に、敗戦で満州から命からがら引き揚げた幼少時の思い出が突然よみがえったと語り出した。それで息子さんは初めて母の「心の傷」に触れるきっかけを得た気がして、JCO事故が母に与えた傷は母が苦難をくぐり抜けてきた全生涯に及ぶ深いものであるという認識を新たにした
--21年ぶりにこの記事を読み直し、私は原発事故の被害の意味を単に病気や生活苦と見ることはできない、その人がそれまで心にフタをしてきた過去の苦難の全歴史が一気に噴出し、その人を苦しめ直す、心の傷が再発し暴走する。その苦しみは甲状腺がん裁判で意見陳述をした原告8さんも同じではないかと思ったのです。
のみならず、同様の苦しい思いをしている人たちはほかにもいっぱいいる、ふくしま集団疎開裁判、子ども脱被ばく裁判、仮設住宅から追出しを迫られた追出し裁判でも欝になった方たちが沢山いて、その原因は単なる偶然や本人の心がけのせいではなく、必然的、客観的な原因があるのではないか、それは、原発事故後に体調不良に陥り或いは避難生活の中で生活困窮に陥ったとき、自分を苦しめている原因は放射能の被ばく或いは避難者の生活再建を保障しない国の政策にあるのではないかと内心思っても、医師や国からは「放射能は関係ない。自分の責任で避難したのだから生活再建も自己責任が当然」と突き放されると、じゃあ何が原因なんだ、病気も生活苦も自分の生活態度が悪かったからなのかと思うほかなく、かといってそれで納得もできず、その結果、自分の素朴な疑問にフタをして、不本意な気持ちのまま自分自身の殻に閉じこもり病気や生活苦と向かい合うしかなくなる。けれど、フタの下で自分の素直な感情は依然マグマのように、医師や国はおかしいと思っているから、自身を押し殺す不自然な心の状態は身体全体の調子を狂わせてその人を苦しめる。それはその人から生きる尊厳を奪い、その人を人間失格にさせ、その人を深刻な心の病に陥れる。
他方、どんなに厳しい境遇であっても、もしその人に境遇と正面から闘う意味が分かり、誇りをもって闘い続けることができるのなら、それで馬鹿にされようが虫けらみたいにされようがまだ元気でいられる。しかし、医師や国の言葉にずるずると屈して、それに従うしかないと思うとき、その屈従は「放射能や国の政策が原因ではないか」という自分自身の素直な思いを心中に閉じ込めるフタとなる。けれど、そのフタの下で自分の素直な感情は依然マグマのように息づいているから、自身を押し殺す不自然な心の状態は身体全体の調子を狂わせてその人を苦しめる。この苦しみを解き放つ唯一の方法はそのフタを開け、フタの下に閉じ込めていたマグマの感情を正しく外に出すしかないのではないか。それを実行したのが甲状腺がん裁判の原告となった8さん。彼女は原告になる中で元気を取り戻していった。行動が心を正していった。
ところで、これは決して原発事故の直接の被害者の人たちだけじゃなくて、私たち自身がみんな似た思いを抱いているのではないでしょうか。311以後、原発事故の救済をめぐって本当におかしなことばかり沢山あった。しかし、それを周りに言っても「いや、それはあんたの思い過ごし、妄想だ」と一蹴され、フタをするしかなかったことが多かったのではないでしょうか。しかし、当人は「いや、決して妄想でも何でもない、これには絶対根拠がある」とどこかで納得しなかったはずです。ただ、この思いをフタから出して表明する場所がなかった。しかし、甲状腺がん裁判に参加した原告8さんみたいに裁判という場があります。それ以外にもデモがあります。デモは私たちが普段フタをして心の底に閉まっている思いをフタを外して外に出して街頭でアピールする場なのです。そして市民立法も同様です。市民立法チェルノブイリ法日本版も、311以後、私たちが普段フタをして心の底に閉まっている思いをそのフタを外して外に出してその実現に向けて一歩ずつ進む取組みなのです。
2、予防原則
JCO事故の裁判は8年やって負けました。その理由を原告の息子さんは 因果関係の立証ができなかったから、要するに 原告に被ばくと病気の関係をきちんと立証しろと言われ、その証明ができないで負けたそうです。当たり前です。今の科学技術のレベルでさえ立証できない被ばくと病気の因果関係を、なんで普通の市民が立証できるのか。市民が立証するなんて本来できないのです 。元々それが無理なこと分かってて裁判でそれを要求する、その今の裁判のシステムが間違ってるんです。だから、それを正すことが本当に必要で、それを正すちゃんとしたテクニック、技術があるんです。それが予防原則です。予防原則というのは加害者のほうで被ばくと病気の因果関係がないことを証明しない限り因果関係はあったとされるというものです。いわゆる立証責任が被害者から加害者に転換されることを認めるものです。その原則が今の日本にはないんです。しかしこれは日本で作ることができるし、作るべきです。 そして私が思うにはこのような法律を作るのは最後は市民が決めるんです。決してこれは選挙で決めることではなくて、市民が決めることであることを最高裁がそう言っています。今、結婚制度は大きく揺れ動いていて、どういう結婚制度が合法かそれが最高裁でも問題になっていて、最高裁は判決でそれを決めるのは市民の意識だと表明しています。 つまり私たち市民の意識がいかなる結婚制度を認めるかを決める鍵を握っているんです。だから、これと同じような意味でいかなる因果関係のシステムを認めるか、予防原則を取るか否かは私たち市民が決めることができるんです。それを決める1つの大事な場がこのデモです。デモを通じて私たちは、市民の意識は原発事故による救済を予防原則で救えということを求めている、そのことを一緒に声を上げて言おうじゃありませんか。それによって市民の意識が変わり日本の法律も変わって、原発事故の救済が一歩でも前に進むのだと信じます。今日はそのためのさやかな一歩ですが、是非一緒に頑張りましょう。ありがとうございました。
(※)2004年9月
11.8新宿デモのスピーチ(柳原)


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