昨日のゆうちょ裁判(第6回期日)をやっていて、この裁判が究極的にめざしていることが何であるのか、分かったような気がした。
それは、私たちの市民団体「災害時の人権を考える会」の活動が私たちの市民社会の健全な育成にとって何かしらポジティブな貢献をしている、そのことを法がこれを法的にもポジティブなものとして承認すること、以上のことを裁判所に承認させること(表現がまどっろこくて申し訳ない)、そこにこの裁判の究極的の目標(のひとつ)があるのではないかと。
なぜなら、市民法秩序の大原則の1つとして、団体に関する現代法の使命は団体が社会で果たしている生理的機能、これを助長することにある。そうだとしたら、この点で私たちは自分たちが所属する市民団体を通じて行っている市民運動が何かしらのポジティブな社会的作用を果たしていると認識したならば、その社会的作用を法は原則としてサポートすべきであると要求していいのだ。
言い換えれば市民団体に対し憲法が保障している「結社の自由」とは、単に、市民が或る目的に向かってネットワークを作るのを妨害されないという消極的な義務だけではなくて、そうしたネットワークがスムーズに運営されるように必要な支援を要求できるという積極的な義務まで含まれるのだ(※)。その1つが団体名義の口座開設の自由が保障されること。それが今日における「結社の自由」の具体的、現実的な意味なのだと。
(※)国際人権法の自由権規約上の権利も、その確保のためには国の様々な積極的措置を必要とし、その過程では例えば公務員への人権研修のように漸進的に充実させていかなければならない側面が多々ある(自由権規約(40条1項)・社会権規約(16条1項)参照)
そしたら、これまで市民立法「チェルノブイリ法日本版」の取組みとして考えてきた「生成法=生ける法」とは、このことを言うのではないかと直感的に合点した。つまり、市民社会に誕生した市民団体がどのようなスタイルでどのような内容の活動を行うことが可能なのか。それは法が一方的に決めることではなく、むしろ我々市民自身が決めることなのだと。つまり、我々市民が市民団体の活動内容および活動スタイルについて実際の活動の中で形成されてきて合理的で、適正と思うものを法に対し提示したとき、法はそれを吟味検討した結果、それが市民団体の生理的機能として是認されたならば、その機能をサポートする義務を負うというのが現代法の使命だから。だから、そこで市民団体に関する法の中身を積極的に形成するのは市民団体の側にある。だから、ここで法の中身を生成する(生成法=生ける法)の主役は市民自身にあり、その法を制定、執行、適用する国(立法・行政・司法)は脇役にとどまる。
すべての社会現象をこのように考えられていいか、現時点では分からないが、少なくとも市民生活に関する法秩序の形成においては法の中身を生成する主役は市民自身なのだ。
そしたら、生成法=生ける法で市民が最も積極的な主役として行動する場面の1つとして、「一緒に働き、一緒に経営する(協同労働=協同経営)」の協同組合が存在することを気がついた。少し前から、日本版の会の或るメンバーが「スペイン・モンドラゴンの挑戦」が痛く気に入っているのを知り、この人が「モンドラゴンの挑戦」に心奪われているのは表面的なことではなく、もっと深い訳があるのではないかと、原発事故の避難者が避難先で仕事が見つけられないという窮状を「モンドラゴンの挑戦」にならって、自ら仕事を創り出す=起業によって克服する可能性がある1ことを本気で信じているのではないかと、この挑戦という厳粛な真理に私も再び目が行くようになったからだ。
そう思って、「モンドラゴンの挑戦」を振り返ると、それは本当に資本制社会の行き着く先まで来たように思える今日にこそ挑戦の意義がリアルに伝わってくるものがあり、資本制社会の賃労働システムの外に出て、新たな経営システム(協同労働=協同経営)に挑戦したスペイン・モンドラゴンの協同組合が、さながら、今日の米国の市民社会の(思うに最良の)源流が400年前に宗教的迫害のイギリスから信仰の自由を求めて逃れてきた清教徒(ピルグリム・ファーザーズ)たちがメイフラワー号の中で「メイフラワー компакт」=多数決による自治を誓った彼らの「人権と民主主義の挑戦」を髣髴とさせて、これと同じくらい、私たちの未来を照らし出す象徴的な事件として、「モンドラゴンの挑戦」は私たちの前に聳え立ち、私たちを常に鼓舞し支えてくれているように思えるからです。
以下は、1999年9月、柄谷行人の文芸雑誌「群像」に連載中の「トランスクリティーク」最終回を読み衝撃を受け、そこから「モンドラゴンの挑戦」のことを知り、協同組合について書いた小文(2000年の「NAMの原理」に収められている)。この雑文も、もう一度、「モンドラゴンの挑戦」の可能性について再考する価値と必要があると思い、再掲した。
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生産協同組合について
2000年9月26日
敗残兵にならないための生産協同組合
先日、しばらくぶりに親戚の結婚式に出て、定年退職した従兄弟4、5人と会って、ビックリしました。いずれもこの間大企業を勤め上げたいわゆる企業戦士といわれる人たちでしたが、昔、一流企業に就職した頃の誇りと自信に満ちた表情に比べ、文字通り徹底的に痛めつけられ、ボロボロになった敗残兵という印象だったからです。もう会社の話なんか二度としたくないという感じでした。そして、かつて大手建設会社に勤務していた従兄弟が、今借りている農園での共同作業の話を、不思議なくらい熱を帯びて話し始めました。
私は、その話を聞きながら、もしもっと早く生産協同組合があったなら、この従兄弟はきっとそこに飛び込んで、こんな無残な敗残兵にならずに済んだろうと思いました。彼にとって苦痛だったことは、「労働が苛酷で給料が少ない」ということではなかったのです。仕事の中身が、余りに意に反すること、余りに誇りと無関係なことばかりだったからです。
これに対し、生産協同組合というのは、それがめざすものは、労働者がそういう敗残兵にならずに済むような場所のこと、今のところ「労働は厳しく、給料は少ない」かもしれないが、その代わり、自分の仕事に誇りと喜びが持てる場所のことです。
今の若者は、こういう敗残兵としての父親たちを見て、その二の舞をする必要はないと思う。かといって、父親たちの仕事に背を向けて、単なるフリーターにとどまる必要もないと思う。なぜなら、敗残兵にもならずに、かつフリーターにとどまることもなく、自ら積極的に自分がしたい仕事を、自分が誇りの持てる仕事を、自分に喜びをもたらすような仕事をする場所があるのだから。それが生産協同組合というものです。そして、そのような場の実現に努力する人たちが連帯する場としてNAMは存在したいと思っているのです。
生産協同組合の具体的なイメージ
生産協同組合の実例―音楽のケース―
次に、実際にどのような生産協同組合があるのか、その実例を紹介したいと思います。
それは、音楽の分野で、インディーズ的志向の極めて強いアーティスト/プロデューサーたちが「自分たちの作りたい作品を自分たちのペースで作り続けていきたい。そして、作り上げた作品を、アーティストと彼らの作品を支持してくれるユーザーたちにきちんと届けたい」という願いを原点にして、それを実現できる仕組みを考えているうちに、アーティスト/プロデューサーたちの協同組合的なシステムを作るしかないということになったケースです。
音楽の分野では、アーティスト/プロデューサーは、通常、①お金を持っていませんし、②CDを制作するための事務処理をこなす体制も、③またCDを販売するための流通の仕組みも持っていません。そこで今までなら、これらは全て①出資者②レコード会社③流通会社に依存するしかなかったのです。その結果、アーティストたちは、否応なしに、こうした連中の支配に置かれることになったわけです。そうすると、グループ「チューリップ」の財津和夫がこの前雑誌に書いていたように、「チューリップ時代は、売れる曲を書かなければという強迫観念から逃れられずに、ずっと走り続けてきました」といった、企業戦士同様のボロボロの敗残兵に成り下がるしかなくなるわけです。
そこで、もうそういう無残な二の舞はくり返したくない、かといって、作りたいものも作っても誰にも聞いてもらえずただヤケクソになっているのも絶対嫌だ、というところから、今回のアーティスト/プロデューサーたちの新しい試みは始まったといえます。
そこで、彼らは何をしたかというと、上の3つの仕組みを自分たちの手で作り上げたのです。①CD制作のためのお金を集める仕組み(=投資組合)も、②CD制作の事務処理をするための仕組みも、③制作したCDを販売するための仕組みも自分たちで作り上げたのです。いわば、自分たちの手で①銀行の機能を持った仕組みと、②レコード会社と、③レコードの流通会社を作り出したのです。それが、彼らの生産協同組合というものです(下図参照)。
では、これがそれまでの仕組みと比べてどこが新しいかと言いますと、まず①お金を集める仕組みについてですが、第一に、権利の帰属を変えたのです。それまでだったら、レコード制作に必要な費用を出資者から出してもらうと、レコードを作ったときに発生するレコード原盤の権利というのはみんな出資者(原盤会社)の手に渡り、アーティスト/プロデューサー側には残らなかったのです(そのため、いくらレコードが売れても、原盤の権利に発生する利益〔=ロイヤリティ〕はみんな出資者のものとなり、実際のクリエーターであるアーティスト/プロデューサーたちの元には僅かなロイヤリティしか還元されなかったのです)。ところが、この新しい投資組合という仕組みでは、出資者から出資は集めるけれど、原盤の権利はアーティスト/プロデューサーの元にとどめておくという新しいやり方を取ったのです。もちろん、作品がヒットすれば、それに応じて、出資者にも利益が分配されるような仕組みにはなっていますが、原盤の権利はきちんとアーティスト/プロデューサーの元にとどめ、そのため、末永く人々に聴かれる作品を創作すれば、それに対する見返りがきちんとアーティスト/プロデューサーに還元されるようにしたのです。
もっとも、この原盤の権利をアーティスト/プロデューサーが持っている場合と持っていない場合とでは実際上どれくらい違いがあるのかと言いますと、確かに後者の場合でも、レコーディングをしたアーティストには、アーティスト印税というのが発生します。しかし、その数値たるや、通常、定価の1%でしかありません。これに対し、原盤の権利を持っていれば、原盤印税が発生するのですが、その数値は、通常、邦楽で定価の10~20%、洋楽で定価の15~25%と、アーティスト印税とは比べものになりません。つまり、音楽の世界では、原盤の権利を持っているかいないかが決定的なのです。
第二に、アーティスト/プロデューサーにレコーディングに関する経済的な責任を負わせなかったのです。音楽も他の商品と同様、実際に売ってみなければ果して売れるかどうか分かりません。その結果、思ったような売上げにならず、投資した金額が回収できない場合が出てきます。このような場合、インディーズの映画などでは、監督やプロデューサーの個人資産(なかには親戚一同の資産まで)を処分して、赤字分の穴埋めをするようなことがザラです。その結果、監督やプロデューサーたちは、一度興行に失敗すると、生活の基盤さえ失い、二度と映画を作るチャンスを持てなくなるのです。ところが、アーティスト/プロデューサーに対するこうした過酷な責任追求がないようにしたのが、今回の投資組合の特徴です。つまり、アーティスト/プロデューサーは、実際に回収できた分だけでそれ以上の責任は負わなくていいとしたのです。その結果、もちろんそのようなアーティスト/プロデューサーは、引き続き同じような投資を受けることは困難になるでしょうが、しかし、映画の監督やプロデューサーみたいに、借金の返済のため、住まいを追われたり、行方をくらますような悲惨なことをしなくて済むのです。頑張れば、ずっと容易に立ち直れるチャンスがあるのです。
第三に、今回の投資組合を立ち上げたときには、、まだ法律ができていなかったので間に合わなかったのですが、その後、投資事業有限責任組合法(98年11月より施行)という投資組合に関する画期的な法律が成立したのです。この法律がどうして画期的かというと、それは、従来でしたら、投資組合を作るときには、通常、民法に定めた組合という制度しかなかったのです。しかし、この組合では、組合が第三者に負う負債に対し、組合に出資した者は単に出資した金額ではなく、出資者の全財産をもって責任を負わなければならなかったのです(無限責任)。こういう重い責任では、投資家は出資を躊躇せざるを得ず、そのため、従来の組合方式でスムーズに出資を集めてくることは大変困難だったのです。ところが、この新しい投資事業有限責任組合法に基づく投資組合を使えば、出資者は、単に出資した金額だけ責任を負えばいいことになります(有限責任)。その結果、この方式により出資が非常にスムーズに実行されるようになったわけです。但し、この法律は、もともとアメリカに大きく立ち遅れている日本のベンチャー企業の保護育成のために立法されたものです。しかし、それが思いがけず生産協同組合の保護育成にも大いに応用可能なものとなったところが、もともと軍事目的で始まったインターネットなどと似ていて、興味深いことです(なお、投資事業有限責任組合法に基づく投資組合については、最後の生産協同組合の形態の検討のところでもっと詳しく解説します)。
次に、②レコード会社と③レコードの流通会社の点ですが、いくつものアーティスト/プロデューサー集団が集まって、協同して、レコード制作とレコード流通に必要な事務処理を全て管理・処理するレコード制作の管理会社とレコード流通の管理会社を自分たちで立上げたのです。それまでだったら、基本的にはアーティストとプロデューサーとアシスタントだけの少人数のグループでは、とても自分たちで、レコード会社やレコード流通の会社をやるなんて不可能だったのです。そのため、いやいやながらも、大手のレコード会社やレコード流通の会社に対し、彼らの言いなりの条件を飲んで、これらの業務を委託していたのです。でなければ、自分たちの作った作品を世に知ってもらう手段がなかったからです。しかし、こうした弱小の、しかしインディーズ的志向の強いアーティスト/プロデューサーたちでも結束すれば、それまで夢でしかなかった、レコード会社とレコード流通の会社を自分たちでも持てるようになったのです。しかも、これは、自分たちが作ったレコード制作の管理会社とレコード流通の管理会社ですから、アーティスト/プロデューサーの夢を支えるために存在する会社です。だから、自らが肥え太るのではなく、その反対に、徹底的に安いCD製造コストをめざし、徹底的に安い著作権等の業務管理コストをめざし、徹底的に安いCDの流通コストをめざしたのです(それは、個々のアーティスト/プロデューサーたちが集まって、こうした業務を専門に行う会社を立ち上げることにより実現したのですが)。この点が、既存の大手のレコード会社やレコード流通の会社と決定的にちがいました。
このような、いわば「アーティストの、アーティストによる、アーティストのための協同組合」という仕組みが、商業主義の仕事に飽き足らない、仕事そのものに誇りと喜びを求めるアーティスト/プロデューサーたちの共感を呼んだのは当然のことでした。発足当時、6つのアーティスト/プロデューサー集団でスタートしたこの協同組合も、1年後には6倍の36ものグループ、1年半後の2000年9月現在では55のグループが結束し、こうして、自分たちの作りたい歌を作り続けられることを可能にするシステムの中で、ここに集まったアーティスト/プロデューサーたちは、ようやく次の課題――自分たちが作る音楽が果して人に聴いてもらうに値するものかどうかという真価が問われるという本来の課題――と取り組んでいるのです。
生産協同組合の可能性―NAMの存在意義―
もっとも、音楽の世界で最初にこうしたアーティスト/プロデューサーたちの協同組合が現実に出現したのには、いろんな要素があって、とりわけそれを企画し、出資者たちにもこの新しい仕組みの素晴らしさを説いて回って出資を説得した或るプロデューサーの存在が大きいと思います。この人は殆ど情熱と信念と倫理の人という感じですから(本人は「何か新しいことをやるとき必要なのは、よそ者とバカ者、若者の3つで、自分はバカ者だ」と言っているそうですが)。
その意味で、音楽の世界にせよ、これ以外の世界にせよ、こうした協同組合を立ち上げていくのには「情熱と信念と倫理の人」の存在が不可欠であり、そう簡単に一筋縄ではいかないでしょう。
しかし、たとえひとつでも、こうしたクリエーターたちの協同組合が現実に出現して成長している事実、これは、Linuxの出現などと同様、ものすごい貴重なものです。なぜなら、この事実だけでも、それがあとに続く人たちに、何とか制作と流通を自らコントロールするシステムを作ってやれば出来ないことはないのだという気にさせ、あきらめないでやり続ける希望を与えるからです。
そして、NAMというのは、生産と流通の自主性をめざして同じように試みをしている人たちを横につないで、「あきらめないでやり続ける」ための情報と技術と希望を交流する媒体として役立つのではないかと思います。
私自身、これまで法律家として主に映画の方面の仕事をしてきました。しかし、インディーズ系の映画のクリエーターの人たちから受けた法律相談というのは、著作権のことでは全くなく、それとは無関係な、映画制作で背負った借金をどう返済したらいいかとか、破産手続をどうやってやるのかといったものばかりでした。或るプロデューサーの人はこうも言っていました、「我々映画人は、『橋のない川』みたいなものだ。なぜなら、我々は『人に非ず』なのだから」。しかし、NAMの原理からすれば、音楽で成功したクリエーターの協同組合が映画でもやれない筈はない。事実、私が教えている或る映画学校で、若い生徒たちにこの音楽の協同組合の話をすると少なからぬ若者が目を輝かせる。これが成功するかどうかは、殆ど「あきらめないでやり続ける」かどうかにかかっていると思う。もし、NAMが、こうした試みに対し、「あきらめないでやり続ける」ための情報と技術と希望を交流する媒体として役立つのなら、そのときNAMは、「橋のない川」にかけようとする現代の橋となるにちがいない。私の願いもまたそこにあります。
最後に、これまで、経済的な自由や自主性を勝ち取るために、多くのクリエーターの人たちが様々な試みをしてきたと思いますが、それはだいたいうまくいかなかった。しかし、それは彼らがダメだったからではなく、今まで、彼らの目標の実現にとって何が正しい方向か、それがきちんと見出されていなかったからだと思う。そのために、今では、こうした試みに時間と労力を割いてきた多くのクリエーターの人たちはすっかりやる気をなくしているのが現状だと思います。しかし、これらの人たちは、ここに述べたような生産協同組合の可能性について、まだ徹底的に追求してこなかったこともまた事実です。
NAMは、こうした誠実な人たちに対して、生産協同組合の可能性について、「あきらめないでやり続ける」ための情報と技術と希望を提供する媒体であり、自分たちの運動に何が欠けていたのかをもう一度考えさせる貴重な場だと思います。
その意味で、未来以外失うものが何もない若いクリエーター(の卵)だけでなく、過去の運動の中で失ってしまったと思い込んでいる先輩のクリエーターの人たちも、クリエーターである以上は、いつまでたっても否応なしに経済的な自由と自主性の課題を背負わざるを得ないわけですから、そうであるなら、この経済的な自由と自主性を確実に勝ち取るための方向性――生産協同組合の可能性――について、NAMと共に、あきらめずにクリエティブに探求し続けて欲しいと願うものです。
生産協同組合の形態の検討
やや専門的になりますが、ここで、生産協同組合を立ち上げていく際、もっかのところ、法律的にどんな形態が可能であり、またそのうちどれが最も有効なのか、それについて解説しておきたいと思います。
ところで、法律というのは、所詮、特定の現象をあとから正当化するための理屈にすぎませんから、生産協同組合の理想的な形態を考えていくためには、ひとまず法律をカッコに括って、そもそもいかなる形態をめざすことが生産協同組合として有効なのかを見ていく必要があります。
1、徹底したコストダウンをめざした形態を模索
言うまでもなく、私たちは資本主義生産の中におり、生産協同組合を立ち上げていく際にも、こうした資本主義的な企業との過酷な競争に否応なしにさらされます。従って、資本主義的な企業との競争に負けないような工夫を見つけ出すことが不可欠となります。そのひとつが徹底したコストダウンのための工夫です。そこで具体的に考えられたのが、90年代に復活したアメリカ企業の切り札とも言われたアウトソーシング(=業務の一部の外部委託)の協同組合的応用です。
つまり、いくら小さくとも個々の生産協同組合(的な組織)が独立して企業を立ち上げるとなると、例えば、先ほど例にあげたレコード会社にしても、資金の調達から始まって、CDの制作業務、CDの販売業務、CDのプロモーション業務といった様々な分野の業務をひとりでこなしていかなければなりません。これは零細の生産協同組合にとっては大変なことです。しかし、よくよく考えてみると、このうちで、ほかに代替不可能なその協同組合特有の活動というのは、作曲・作詞、レコーディングといった創作的な活動部門だけであって、それ以外の部門というのは、必ずしも個々の生産協同組合自身が担当しなければできないものではありません。ここに目を付けたのが、ほかに代替不可能な創作的な活動部門は個々の生産協同組合に残し、それ以外の部門は、個々の生産協同組合たちが集まって新たに結成した別組織の協同組合に委託するというアウトソーシング方式という工夫です。例えば、先ほどのレコード会社で言えば、新たな協同組合として、資金の調達部門を担当する組織、CDの制作に関する著作権処理などの業務部門を担当する組織、CDの販売業務部門を担当する組織、CDのプロモーション業務部門を担当する組織をそれぞれ立上げ、個々の生産協同組合は、そこに各部門の業務をアウトソーシング(外部委託)することにしたのです。つまり、これによって、クリエーターたちは、最も得意で本来やりたいと思って始めた創造的な分野=音楽活動に専念できることになります。
以上のことを図にしてみると、次のようになります。
2、アウトソーシング方式を可能にするベストの組織形態の検討
(1)、以上のようなアウトソーシング方式でいくと、その形態は次の3つに分類できると思います。
①非代替的な得意分野だけに特化した個々の協同組合
②新たに創設する別の協同組合のうち、資金調達を専門に扱うもの。
③新たに創設する別の協同組合のうち、資金調達以外の生産活動の部門を専門に扱うもの。
ここで、新たに創設する別の協同組合を②資金調達と③それ以外の生産活動の部門とに分けたのは、資金調達は、生産活動から自律した固有の活動であり、資金に特有な事柄・問題をはらむものだからです(業務の主な流れも、それ以外の生産活動の部門が、個々の協同組合→専用の組織 なのに対し、資金調達の場合、専用の組織→個々の協同組合 と正反対になります)。
(2)、まず、②の資金調達を専門に扱う組織形態についてですが、これまでα株式会社の方式とβ民法上の任意組合の方式(民法667条以下)がありました。先ごろ、大正生命から85億円を詐取したとして投資会社「クレアモントキャピタルホールディング」の代表者が逮捕されましたが、あれなどは、株式会社方式の投資専門組織です。これに対し、例えばある映画を製作するために製作資金を集めたいという風に、もっと手軽に投資組織を作りたいときにこれまで活用されてきたのが、民法上の任意組合の方式です。これだと、株式会社方式みたいに、いちいち厳格な組織を立ち上げたり、資金調達の目的が終了するたびに会社を整理するみたいな面倒な手間が要りません。しかし、その代わり、これは投資者に無限責任を負わせる(組合が第三者に負う負債に対し、組合に出資した者は単に出資した金額ではなく、出資者の全財産をもって責任を負わなければならない)ものですから、投資者は、相当のリスクを覚悟しなければなりません。
そこで、そのリスクを軽減し、かつ株式会社ほど厳格な手続が要求されない新しい組織として98年から登場したのが、投資事業有限責任組合法(正式名称は、中小企業等投資事業有限責任組合契約に関する法律)に基づく投資組合です。これは、基本的には従来の民法上の組合の枠組みに立つものですが(従って、株式会社みたいに最低1000万円の資本金が要求されるようなこともありません)、しかし民法上の組合とちがって、投資者(=組合員)は、組合が第三者に負う負債に対し、単に出資した金額だけ責任を負えばよい(有限責任)という立場を採用し、これにより、投資者が安心して投資できるようにしたのです。その意味で、もっかのところ、②の資金調達を専門に扱う組織形態として、この投資事業有限責任組合法に基づく投資組合を選択するのが最適だと思います。
但し、この投資事業有限責任組合法に基づく投資組合にも、なお大きな問題があります。それは、この法律が投資先として許容しているのが、基本的に中小の株式会社だけであり、同じ中小の組織であっても、それ以外の形態の組織、例えば、民法上の任意組合や有限会社や中小企業等協同組合法による企業組合(注1)、事業協同組合(注2)や最近話題のNPO法人などに投資することを認めていないことです(法3条1項)。
そのため、投資専門組織として投資事業有限責任組合法に基づく投資組合を選択した場合、投資先になる個々の協同組合は、株式会社の形態を取らざるを得ません。つまり、①の非代替的な得意分野だけに特化した個々の協同組合の形態は、当面、株式会社の形態を取らざるを得ないことになります。そこで、私たちとしては、とりあえず株式会社の形態を受け入れた上で、その中で、可能な限り協同組合的な組織形態や運営方式を実現できるように、さらに新たな工夫をすることになります(例えば。くじ引き制度。こうした制約の中で、くじ引き制度は協同組合的な運営を実現するものとして大変重要な意味を持つことになるでしょう)。
なお、この個々の協同組合の形態として、株式会社以外のものが、どんな長所や短所を持っているかを表にしてコメントをつけておきましたので、参考にして下さい(ここでは、投資事業有限責任組合法に基づく投資組合のことを「投資事業有限責任組合」と略称します)。
1 民法上の組合
民主的運営の観点(②1)からすれば、出資額の多寡に関わらず、一人一票の原則を取る民法上の組合は結構。が、対外的な債務の責任(①2)について、組合員が個人財産の全てをもって責任を負う無限責任の原則を取るので、この点で問題。
→そこで、対外的な債務の責任についても、組合員の出資額の限度でしか責任を負わない有限責任の原則を取る形態を探すと、思いつくのが、中小企業等協同組合法の企業組合。
*2 中小企業等協同組合法の企業組合
これは、民主的運営の観点(②1)からも、対外的な債務の責任(①2)の点からも、申し分ない制度ですが、反面、組合員になる資格(②2)が非常に厳しくて、原則として事業専従義務を満たした者だけしか組合員になれないという制約がある。
そのため、事情に専念できない形で関与する者も参加を予定している場合、現行法の企業組合では無理。
→組合以外の形態を探してみた場合、思いつくのが、まず小人数での共同経営に適しているのが有限会社。
*3 有限会社
ここの最大の問題点は、資金をどうやって調達するか(①2)。株主(=組合員)という形で多くの人から資金を募集するという方法を取ると、そもそも小規模を前提にした有限会社ではなくなるし、さらに現在の企業と殆ど変わりなくなり、協同組合の民主的な共同経営の理念が後退してしまうおそれがある。その意味で、資金調達の問題(①)と共同経営の問題(②)を区別できる形態が望ましい。そのための技術が、投資事業有限責任組合からの投資(=株式保有)という方法(①1)。しかし、これは、投資事業有限責任組合に関する法律により、有限会社ではダメで、株式会社にしか投資できないことになっています。
ここでは、株式会社の形態を取りながら、いかにして協同組合の民主的な共同経営を実現するかが課題となります。
ひとつの試案ですが、これから立ち上げようとしている雑誌「批評空間」を発行する出版社の場合、株式会社の形態を取りながら、協同組合的な性格を維持するために、とりあえず次のような技術を考えています。
まず、出資はするが編集・経営には関わらない人には、「批評空間」の出版社に投資する投資事業有限責任組合に出資してもらい、投資事業有限責任組合の名で出版社の株を保有することにする。他方で、出資もするし編集・経営にも関わる共同経営者には、出版社の株を直接かつ全員同株数だけ保有することとする。
このようして、資金調達の問題(①)と共同経営者の問題(②2)を区別し、なおかつ同数の議決権を持つ少数の共同経営者により、経営を資本的ではなく協同組合的に運営するようにしたものです。
(3)、さて、残された③の新たに創設する別の協同組合のうち、資金調達以外の生産活動の部門を専門に扱う組織形態については、法律的に特にこれといった制約はありません。法律的には、多くの形態から選択することが可能で、株式会社や有限会社、民法上の任意組合、中小企業等協同組合法による企業組合や事業協同組合まで全て可能です。あとは、協同組合の性格と各業界の実情を踏まえて、最も運営しやすい形態を採用すればいいと思います。
(注1)企業組合
「個人事業者や勤労者(4人以上)が組合に事業を統合(個々の資本と労働を組合に集中)して、組合員は組合の事業に従事し、組合自体が一つの企業体となって事業活動を行う組合です。企業組合は、組合員が共に働くという特色をもっており、そのため組合員に対し組合の事業に従事する義務が課せられております(原則として組合員の3分の2以上が組合の事業に従事しなければなりません。さらに、組合の事業に従事する者の2分の1以上は組合員でなければなりません)。また、組合員は個人に限られますので、会社は加入できませんが、事業者に限らず勤労者なども加入できます。」(全国中央企業団体中央会のホームページの解説より。
http://www.chuokai.or.jp/cat_02/g2.html参照)
(注2)事業協同組合
「組合は組合員の事業を支援・助成するための事業ならばほとんどすべての分野で実施できます。組合の設立も4人以上集まればよく、気心の合う同じニーズをもった事業者だけで比較的自由に設立でき、中小企業者にとって非常に設立しやすい組合として広く普及しており、最も代表的な組合」(同右)
3、投資事業有限責任組合法に基づく投資組合の概要
では、簡単に、投資事業有限責任組合法に基づく投資組合がどんな仕組みになっているか、解説しておきます。
一言で言うと、この投資組合は、もともと中小のベンチャー企業向けの投資組合として最も相応しい形態を備えているものとして構想されたといえます。つまり、
①
1000万円の最低資本金制度などの厳格な手続を要求する株式会社と異なり、民法上の組合と同様、シンプルな組織としてスピーディに立ち上げ、運営することが可能であること、かつ税法上も組合自身に課税されず、二重課税を回避できること。
②
加えて、無限責任を課した従来の民法上の組合と異なり、株式会社の最大のメリットである出資者の有限責任の原則を導入したこと。
③
さらに、従来の民法上の組合と異なる点として、組合員に対する情報開示を担保したこと。
以下、五つの項目に分けて、もう少し細かく見ていきます(以下の解説は、「投資事業有限責任組合法」(編者中小企業庁振興課)の4頁以下の説明を参考にしたものです)。
(1)、基本的な性格
投資事業有限責任組合法に基づく投資組合は、その基本的な性格を民法上の組合と共通にするものです。従って、この投資組合は株式会社のような法人ではありません。従って、組合の財産は、組合自身が独立して保有するものではなく、組合員全員の共有ということになります。また、民法上の組合と同様、組合員全員が組合契約でお互いに結ばれているという関係になります(なお、ひとつの投資組合の組合員の人数は最大で49名までとされています)。従って、法人でないために、税法上も組合自身には課税されず、個々の組合員のみが課税されるだけという、株式会社に比べ有利な扱いになるのです(従来、株式会社方式を取らず、あえて民法上の組合方式で投資ファンドを作ってきた大きな理由はこの税制面でのメリットからです)。
(2)、政策立法としての性格
今回制定された投資事業有限責任組合法において、出資者の有限責任という特例を導入した最大の理由は、ベンチャー企業への資金供給を円滑にするためであり、それゆえ、この政策目的に沿って本法の適用範囲もおのずと限定されています。つまり投資先の限定です。民法上の組合の場合、投資先が限定されるようなことはありません。しかし、本法では、投資が許される投資先は、いわゆるベンチャー企業としての資格を備えるもの、つまり、株式会社であり(それ以外の形態は許されない)、しかも一定の条件を満たす中小の株式未公開企業に限定されます(2条1項)。
(3)、出資者=組合員の責任の範囲
前述した通り、投資事業有限責任組合法において、出資者の有限責任という特例を導入したのですが、より細かく見ていくと、次のような二種類の責任の取り方となっています。
①.一般の組合員:出資額の限度でしか責任を負わない有限責任組合員(9条2項)
②.業務執行を行う組合員:出資者の全財産をもって責任を負わなければならない無限責任組合員(2条2項・7条1項)
つまり、投資組合の組合員のうち、業務の執行を行い運営の中心になる組合員に限って無限責任を負わせ、組合と取引に入る第三者(以下、組合債権者と略称)の保護を図ったもので、こうした二段構えの方法でかかる組合債権者の保護と一般投資家の保護(有限責任)との調整をはかったものです。
(4)、組合債権者の保護
このように、組合債権者の保護のために、業務執行組合員に無限責任を負わせていますが、これ以外にも次のような保護を与えています。
①
組合の名称中に必ず「投資事業有限責任組合」という文字を入れなければなりません(5条)。
取引に入ろうとする第三者が、この組合が何者であるかを名称から判別できるようにしています。
②
組合に関する登記を義務づけています(4条)。
つまり、組合契約の内容のうち重要な事項を一般に公開することにしたものです。ちなみに、法人格のない組織の登記を認めたのは、わが国の登記制度上初めてのことです(法律がいかに臨機応変にできているものかを示す好例です)。
③
組合員の出資の方法が、金銭その他の財産に限定されています(6条2項)。
つまり、民法上の組合で認められている労務による出資は、ここでは認められません。
④
組合財産の分配(組合員に対する配当)について、一定の制限を設けています(10条)。
つまり、民法上の組合では組合財産はいつでも制限なしに組合員に分配できるのに対し、有限責任の原則を導入した本法では、組合財産が債務超過(負債が資産を上回る場合)の場合には組合財産の分配を禁止したもので、これによって組合財産の最低限の維持を図ろうとしたものです。
⑤但し、それ以上、株式会社の最低資本金(1000万円)の制度のように、一定額を常に維持することまで義務づけることまでは、投資効率向上の観点を優先して、採用しませんでした。
(5)、情報開示の徹底
一般投資家及び組合債権者の保護ため、彼らに対する情報開示の徹底を図っています。
①無限責任組合員(=執行組合員)は、組合の事業について財務諸表等(貸借対照表・損益計算書・業務報告書など)の作成が義務づけられています(8条1項)。
②無限責任組合員は、財務諸表等について、公認会計士等による外部監査を受け、かれらの意見書作成を義務づけられています(8条2項)。
③組合員及び組合債権者は、財務諸表等及び公認会計士等の意見書を閲覧・謄写することができます(8条3項)。
4、実務的な情報
今まで述べてきた協同組合の諸々の形態について、もっと詳しい実務的な情報を知りたい方は、次の文献やホームページを参考にして下さい。
(1)、投資事業有限責任組合法に基づく投資組合について
参考文献:「投資事業有限責任組合法」(編者 中小企業庁振興課。発行 通商産業調査会)
問合せ先:通産省中小企業庁(http://www.chusho.miti.go.jp/)
(2)、中小企業等協同組合法による企業組合や事業協同組合のことについて
参考文献:「中小企業等協同組合法の解説」(編者 中小企業庁指導部組織課。発行 ぎょうせい)
問合せ先:通産省中小企業庁(http://www.chusho.miti.go.jp/)
また、実務的な相談は、全国中小企業団体中央会(http://www.chuokai.or.jp/)
*生産協同組合の法律問題に関する質問等は、次のメールアドレスまでご連絡下さい。
NAM法律:nam-law-jp@md.neweb.ne.jp
以上
(2000年9月12日)