【第98話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(2)」人類は死に物狂いのときには途方もない発明・開発を成し遂げた
【第99話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(3)」311後の日本人にやれることがまだある
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311後の日本社会とはなにか。
それは、311後の日本人が絶滅危惧種の仲間入りをしたことである。
それは「原発事故は見えない未知の世界戦争である」ことから引き出せる。
311福島原発事故から14年。福島原発事故が何であったのか、その結果、日本社会はどうなったのか。その正体が分かるまで百年かかるかもしれない。以下は、現時点で突き止められる範囲で福島原発事故の正体を突き止めようとしたメモ。
かつて、もし第三次世界大戦になったら人類は絶滅するだろうと言われた。
そのとき、人々は第三次世界大戦を第一次、第二次世界大戦の延長のようにイメージしていたと思う。
だが、第三次世界大戦とはどのようなものであるのか、実は誰もその正体を知らなかった。
原爆という最終兵器が「核の平和的利用」という美名のもとに生まれ変わるように、第三次世界大戦も変貌を遂げるのだ。
それが原発事故。
たった1分足らずの実験でヨーロッパ全土が人が住めなくなる寸前までいったチェルノブイリ原発事故。
2号機に水が注入できず、あわやメルトダウンして東日本壊滅の危機に瀕した福島原発事故。
それは放射能による人体への無差別大量攻撃という、もうひとつの世界大戦=第三次世界大戦として出現した。しかも、今度は終戦という終わりがなく、放射能という目に見えない長期間にわたる廃墟をもたらす未知の戦争として。
何よりも恐ろしいのは、
私たちがこの「目に見えない長期間にわたる廃墟をもたらす未知の戦争」の正体を殆ど知らないことだ。
そのために、この廃墟のせいで、私たちがどれくらい深刻な健康被害を被るのか、その予測も殆ど「真っ暗闇」の中だ。
そこで、つい考え込んでしまうーー311直後に流布した「健康に直ちに影響はありません」という言葉に再びすがって、根無し草のように行き当たりばったりで当座の生活をしのいでいくしかないのかと。
しかし、そう思う前にまだやれることがある。
そのひとつが、原発事故を百年ちょっと前の第一次世界大戦と比較し、そこから原発事故の正体について手がかりを掴むこと。
第一次世界大戦とは何か。
それは世界史の巨大な一大転換点。ここで人類は経験したことのない悲鳴をあげた。このとき、人類の歴史は決定的に変わった。
疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)とはこの戦争のために発明された言葉のように思える。この時、世界は以下のように一変した。
それまでの限定戦から国家あげての総力戦が出現し、戦争の性格が一変した。
その結果、敵は「相手国のすべての国民」となり、女・子ども・年寄りも含めたすべての国民に対する無差別大量殺戮戦争が出現した。
機関銃の出現により、戦法もそれまでの騎兵と歩兵による短期決戦(会戦)ではなく、機関銃攻撃から身を守る塹壕戦へ、その結果、前線の膠着により前例のない長期にわたる消耗戦が出現した。
その塹壕を突破するために新兵器が次々と開発された。それが巨砲、毒ガス、戦車、飛行機‥‥。
その結果、戦争はそれまでの兵士(歩兵・騎兵)同士の戦いではなく、兵器同士の戦いに変貌した。
しかし、指揮官は次々と投入される新兵器の持つ破壊力を理解し切れず、漫然と従来の習慣に従って兵士中心の戦法を取り続けた。その結果、兵士は無差別大量殺戮の新兵器の前にバタバタと命を落し、経験したことのないような傷を負った。
参考動画:映像の世紀2「大量殺戮の完成~塹壕の兵士たちはすさまじい兵器の出現を見た~」(47分からの場面)
この映像に映る、無差別大量殺戮の砲弾の中をチョロチョロ走り回っては虫けらのように吹き飛ばされていく兵士(人間)たち。彼らの惨憺たる姿から私は、このとき、人類が絶滅危惧種の仲間入りしたことを知らされた。
そう思ったのは私だけではない。大戦直後に欧州を訪問した若き昭和天皇も次のような文を残した(新・映像の世紀 (1)「百年の悲劇はここから始まった~第一次世界大戦~」(39分から))。
破壊せられたる諸都市、
荒廃したる諸森林、
蹂躙せられたる田野の景は、
戦争を讃美し、暴力を謳歌する者の眼には如何に映ずべきか。
同時にこれは、まさに百年後の311福島原発事故を経験した私たちが大気中に大量に放出された放射能の健康影響の深刻さを理解し切れず、漫然と従来の習慣に従って、それまでの自然災害、人災の延長線として済まそうとする姿とそっくりそのままだ。
このとき、311後の私たちも百年前の第一次世界大戦と同様、絶滅危惧種の仲間入りしたのではないか。
それがどれだけ危険で、無謀な態度であるか、それは百年たった時に明らかにされるだろう。しかし、今でもそれを予知することは可能なのだ。
それが、広島、長崎の原爆投下。そこで被爆した人たちの80年間の経験。
例えば、以下のドキュメンタリーは、放射能が時限爆弾として長い時間をかけて被爆者の健康被害をもたらす実相を伝えている。
NHKスペシャル終わりなき被爆との闘い~被爆者と医師の68年~
他方、第一次世界大戦も第二次世界大戦も原発事故も、私たちの普段の日常生活とは隔絶した、特別な出来事であると考える人がいて、その人にとってはこう思えるかもしれないーー311後の日本社会、少なくともここ10年は日常生活が続く毎日であって、もはや非日常の「戦争」状態ではない、だから日常生活を送っている者に非日常の原発事故のことを考えろというのは無理難題だと。
私もずっとそのように考えてきた。しかし、つい先日、その考えは根本的に間違えているのではないかと気がついた。なぜなら、第一次世界大戦も第二次世界大戦も原発事故もある日、突然、ポッと出現した訳ではなく、それまでの日々の政治、経済の積み重ねを踏まえて出現したもので、それらが途方もない破壊的な暴力を秘めていたとしても、それは偶然ではなく、あくまでもそれまでの日々の先端科学技術の積み重ねの末に出現したからだ。
つまり、第一次世界大戦も第二次世界大戦も原発事故も、日常的な政治、経済、先端科学技術の積み重ねの中から出現した非日常的な出来事なのだ。言い換えれば、現代の私たちの日常生活は知らずして高度に組織化、管理化されたいわば「脳化社会」のシステムをインフラにして営まれている。それが平穏に推移するときには日常生活を送れるが、ひとたび「脳化社会」のシステムに不具合が発生したり、暴走した時(コロナ禍のように)には私たちの日常生活は吹き飛び、一気に非日常の事態に陥る。それが高度に組織化、管理化された「脳化社会」の宿命であり、本質だ。
くり返すと、現代の私たちの日常生活もひと皮むけば、いつでも非日常生活を招くリスクを秘めている「脳化社会」というインフラに依存している。自分たちのなにげない日常生活も足元を見たら「板子一枚下は地獄」という非日常の原発事故などのリスクの中で営まれている。それが私たちの日常生活のリアルな正体である。
311後の日本社会は「板子一枚下は地獄」を顕在化した。311で、私たちはボーとしていると、それこそ放射能に根こそぎ命も健康も家族も奪われてしまう世界に突入したのだ。その意味で、311後の日本人は人類絶滅危惧種の仲間入りをしたと思う。
このシビアな認識を共有するかしないか、それはあなた自身が自己決定する問題である。
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