世界史の一大転換点となった第一次世界大戦。目を見張るのは、わずか4年の間に、戦争に投入された兵器が激変したこと。巨砲、毒ガス、戦車、飛行機‥‥かつて想像できなかったような新しい兵器が次々と矢継ぎ早に開発、投入され、戦争の概念が一変、兵士同士の戦いは兵器同士の戦いに変貌した。その急激な変貌に追いつかなかった現地の指揮官は習慣に縛られて旧来の人間中心の戦法に頼り、ために、莫大な数の兵士が命を落とした。これは明らかな人災、犯罪だった。
思うに、第一次世界大戦が始まったとき、時間の概念も一変した。大戦前の平時の時間に対し、大戦の異常事態のもとで猛烈なスピードの時間が出現した。 戦争の性格が軍人による限定戦から、国家総動員の総力戦に変貌したとき、戦争は国家の命運=生死を左右する決戦となったため、国家総動員として戦争に参加した全国民は文字通り死に物狂いの運命に巻き込まれた。なかでも、兵器開発こそ国家の命運=生死を左右する事業として最も熾烈な使命が与えられ、開発者はしのぎを削ったと思われる。それが短期間の間に、巨砲、毒ガス、戦車、飛行機‥‥と次々と新たな兵器が誕生した所以であった。
思うに、この時、人類は、死に物狂いのときには途方もない発明・開発を成し遂げることができることを証明してみせた(もっとも、それらはいずれも人類を無差別大量に殺戮する道具だったが)。
これに対し、【第97話】で述べたように、第一次世界大戦に匹敵する福島原発事故のあと、人類は、原発事故の救済が必死に求められたにもかかわらず、はたして、それに応えるような発明、開発(それが途方もない発明とまではいわなくていいが)が成し遂げられただろうか。
そのような話は事故から4年どころか14年たった今もひとつとして聞かない。聞こえてくるのは福島原発事故の前に巨額をつぎ込んで開発したSPEEDIを事故後には活用が削除されたといったマイナスの話だけ。
そこから引き出す教訓の第1は、原発事故の救済に必要な発明、開発が求められているにもかかわらず何ひとつ実行出来ないのは、我々が原発事故後の世界に生きていけないこと=絶滅危惧種の仲間入りをしたことを証明したものである。
第2は、 原発事故の救済に必要な装置、システムの発明、開発を政府に依存・期待しても永遠に不可能であり、それを可能にする唯一の道は市民が自らが取り組む市民型公共事業の中にしかないということ。人類が死に物狂いになって取り組むとき、それは途方もない力を発揮し、求めに応じた発明、開発をやってのける。
かつて、それは(使われ方はネガティブなものだったが)第一次世界大戦で証明された。
現代において、それは(死に物狂いではなかったかもしれないが)市民の創造力が結集されたリナックスの体験からも明らかだ。この意味で市民型公共事業は原発事故後の世界を照らす希望の星だ。
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