1、はじめに
この数年間、小児甲状腺がん裁判の関係で、元甲状腺外科医の菅谷昭さんを何度かお尋ねして意見交換する中で、彼が何度も口にした言葉があったーー甲状腺がんの手術についてなら現役の甲状腺外科医に聞けばよいのに、なんで30年以上前に引退した私のような者にお尋ねになるのでしょうか。
その答えは単純で、現役の甲状腺外科医は貝のように口が固く、本当のことを語ってもらえないからだった。
最初、その流儀が日本の現状で、もともとそういうものだとばかり思ってきた。
しかし、考え直しているうちに、それは別に自然現象でも、普遍的な現象でもない、どこかで誰かの手によって、その流儀が形作られてきた人工的な現象のはずだと気がついた(江戸時代の封建体制が人工的な産物であるのと同じこと)。この気づきは天啓だった。
そうだとしたら、次に「現役の甲状腺外科医が貝のように口が固く、本当のことを語らない」という流儀はどこから始まったのか、その起源を問うことができるし、その問いがものすごく重要ではないかと思うようになった。そう思うようになったのは、以前、柄谷行人と大岡昇平の次の言葉を思い出したことと、つい最近、1本のドキュメンタリー映画を観たからだった。
なぜ過去の歴史を学ぶのか。それについて柄谷行人はこう述べた。
小説の未来は小説の過去にある、と後藤明生が書いている。小説が何処へ行くかを問うには、それがどこから来たかを問うべきである。‥‥これはほかの領域にもあてはまる。われわれがどこへ行くのかを問うには、どこから来たかを問うべきである。資本主義の未来は、資本主義の起源にある。(批評空間93年NO.9編集後記)
これを原発事故の歴史に当てはめるとこうなる。
戦争中の日本軍部の愚劣な作戦を省みて、大岡昇平はこう述べた。
兵士=歩兵は(敵のアメリカ軍や当時の軍部と闘っただけでなく)、明治維新以来の日本の軍部の歴史と闘ってきたようなものだ。「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより
これを原発事故の救済について原子力ムラの愚劣極まりない対応を見て、命を救済するという当たり前のことがなぜできないのかという問いを当てはめるとこうなる。
私たちは市民は、単に放射能や原子力ムラと闘っているのではなく、明治維新以来の日本の歴史と闘っているようなものなのだ。
だとしたら、福島原発事故の未来を決める「原発事故の過去」とは何か、その過去である、私たち市民が闘わざるを得ない「明治維新以来の日本の歴史」とは何なのか。それを突き止める必要がある。そう思ったとき、私のかつての著作権の仕事、ドキュメンタリー「北の波濤」裁判で知り合った硬派のジャーナリスト吉永春子さん(>彼女の意見書)のライフワークが七三一部隊であったことが思い出され、自分の浅知恵のため、ついに吉永春子さんの生前中に、七三一部隊とは311後の日本社会に生きる全ての市民にとってのライフワークとも言うべき最も重要な問題なのだという「七三一部隊の今日的意義」に思い至ることが出来ず、七三一部隊について教えを請わないまま、吉永さんを見送ってしまったことに気がついた。
私の脳裏には今もなお、不屈の面構えをした吉永さんの顔と彼女の言葉が焼き付いている。
2、問題提起ーー医の倫理と核戦争の衝突ーー
先日、川越市の映画館「スカラ座」で「医の倫理と戦争」を観た。私にとって、その題名は、福島原発事故後の日本社会が直面する課題「医の倫理と核戦争」のことだった。福島原発事故は従来の災害・人災の延長線上で考えることはできない。むしろ一種の核戦争というべきである。なぜなら、物理現象として、放射能の生物への攻撃は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない、人間的スケールを超えた、非日常的な、不可解、不条理な現象だから。そして、核戦争の兵器開発に突き進む人たちは、原発事故の健康被害をできる限り過小評価することが至上命題だったから、「医の倫理」との正面衝突は不可避だった。
かつて、第二次世界大戦で医の倫理と戦争との衝突を最も鮮やかに見せつけたのが七三一部隊だった。そこで日常的に行なわれた人体実験は二度と繰り返してはならない重大な戦争犯罪だった。しかし、不可解かつ不条理なことに、この重大戦争犯罪は戦後、裁かれなかった。石井四郎らは米国との間で、七三一部隊の生物実験のデータを提供することと引き換えに自分たちの戦争犯罪を免責するという取引(密約)が成立したから。その結果、七三一部隊は石井四郎をトップとして関連する細菌戦部隊7部隊の総勢1万444名の医療関係者たち(※1)の戦争責任はすでにソ連に逮捕され裁判にかけられた12名以外、すべて不問に付された。その結果、免罪された七三一部隊の大量の隊員は、ひとにぎりの例外(軍人だった石井らや自死したり(※2)40年間洞窟で隠遁生活を送ったりした者(※3))を除いて、戦後日本の医療・医学界・製薬業界に復権し、人体実験で得た研究データを活用したりして要職につき大きな力を持った(加藤哲郎「731部隊と戦後日本」134~135頁。在野民平「細菌戦部隊員の戦後」)。同時にそれは戦後日本の医療・医学界・製薬業界の水面下で、七三一部隊の思想・哲学・方法が伝統として生き延びることだった。お国のためなら「人体実験」に手を染めた思想が水脈のように受け継がれ、311後の核戦争(福島原発事故)の発生で、再び「医の倫理」と衝突したとき、脈々と受け継がれてきた七三一部隊の思想・哲学・方法が原発事故の正しい救済をかつてないほど大きく歪曲していったのではないか。それが、
なんで「現役の甲状腺外科医が貝のように口が固く、本当のことを語らない」のか、その謎を解くカギになるのではないか。それが、
原発事故を起こした加害者たちは、救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、「経済復興」と叫んで堂々と開き直り、
命に危険にさらされた被害者は「助けて」という声すら上げられず、上げようものなら経済「復興」の妨害者として迫害される、
あたかも密猟者が狩場の番人を、盗人が警察官を、演じている。安全を振りまくニセ科学が科学とされ、危険を警鐘する科学がニセ科学扱いされる、狂気が正気とされ、正気が狂気扱いされるという、なぜ、このようなあべこべの不条理な社会が出現したのか、その謎を解くカギになるのではないか。
以下、その仮説の検証作業のためのメモ(この投稿、続く)。
(※1)七三一部隊を本部とする旧日本陸軍の細菌戦部隊の全容の名簿が2025年5月、国立公文書館で公開された職員名簿で明らかになった(以下、2025年8月13日付北海道新聞「旧日本軍731部隊の関連名簿分析 総員1万444人、北海道関係者は154人」より)。
(※2)常石敬一・朝野富三「細菌戦部隊と自決した二人の医学者」
(※3)ドキュメンタリー「医の倫理と戦争」で、監督が映画製作の依頼を受けて最初訪れた千葉県館山にある海軍の地下壕を見学した時、その暗い地下壕の中で40年暮らした菌類研究者がいて、彼は死ぬまぎわに「自分が七三一部隊」の関係者だったと明かしたことが紹介されている。