2026年8月31日月曜日

【第134話】つぶやき(その9)チェルノブイリ法日本版、その対話の必要性と可能性(3)(26.8.31)

これまで日本版のプロジェクトをやってきて、「これはという対話」をしてきた経験は、実は数えるくらいしかなかった。それはもっぱら私の側の責任による。私が相手の心に届くようなメッセージを発信できなかったからだ。
だから、「これはという対話」ができた主な原因も、相手の人が私の心に届くようなメッセージを発信したからだ。その代表格が前松本市長の菅谷昭さん。私はここ1~2年、彼が何気なく発する言葉に「うっ」と詰まる連続だった。その都度、こんなに人を唸らせる言葉を発信する菅谷さんって誰なんだ、自分はいったい今まで彼のことを丸っきり何も分かっていなかったんではないかと思い直したほどだった。

以上は前置きで、ここの主題は、もう一人、私の心に残る人を紹介する(Xさんという)。Xさんは最初、ふくしま集団疎開裁判を支援する会(のちに「脱被ばく実現ネット」と名称変更)に参加し、のちに一念発起し、区議会議員になった。その後はなかなか行動をともにする機会はなかったが、たまに顔を合わせるときに、Xさんが発した言葉は私の心に突き刺さり、私はそこからその言葉をいつまでも反芻する、という経験をした。ひとつにそれは、以下の言葉だった。


これはスペインの寒村モンドラゴンで、内戦で敗北しフランコ将軍に見放された村の再建を、自力で成し遂げた協同組合の創始者のひとり「ホセ・マリーア・アリスメンディアリエタ・マダリアーガ」(通称アリスメンディ)の言葉(以下、モンドラゴン協同組合の紹介)。

私は、アリスメンディがどんな文脈で、この《今日の革命は参加という名前である》を発したのか知らない。けれど、この言葉に接した瞬間、ここには従来の革命のビジョン(例えば階級闘争の中での権力の奪取)とは一線を画した、独特の新しい意味が込められていると直感した。敢えて類比すれば、それは「民主主義の永久革命」、より正確には「(民主主義から政治を抜いた)人権の永久革命」「一歩前に出る永久革命」を彷彿させた。それは私の心をひそかに多いに触発した。

このように、私の中では、アリスメンディのこの言葉は格別の意義を帯びたものだった。そしたら、この言葉に初めて反応したのがXさんだった。それは私に対する貴重な対話の呼びかけを意味した。その時には二言三言、話したきりだったが、その後も、この時の反応は私の脳裏に強烈に焼きついて、折に触れて、この言葉とXさんの反応を反芻し続けた。

その後、或る時、この言葉の「参加」の意味が新しく私の中でまざまざとイメージできた瞬間が訪れた。それが、既成の政治・経済・文化からの脱出を試みる新しい政治・経済・文化への「参加」のこと。私に言わせれば、脱「脳化社会」への「参加」のこと。ただし、この脱「脳化社会」を積極的に定義しろ、明確に定式化しろと言われると、それは「できない」。なぜなら、人類が長い歴史的体験を経て脱「自然社会」=脳化社会に至ったように、脱「脳化社会」もまた、人類の長い試行錯誤の過程の中でおのずと明らかにされるものであって、予め、ニンゲンの頭の中でこしらえた、これこれのビジョンとして示し得るものでは到底ないから。

ともあれ、アリスメンディの「参加」も、単に社会参加を言っているのではなく、今の脳化社会のどんづまりを打開するような新たなシステム、取り組みへの「参加」を言っている。

だから、今、私は、アリスメンディの「参加」に全幅の共感を示したXさんにこう言いたいーー非政治家的政治家に挑戦しませんか。
つまり、最初はともかく、いつまでも既成の枠組みの政治家として頑張ってみたところでつまらない。せっかく区議会議員になったんだったら、過去に経験したことのない未曾有の枠組みの政治家に挑戦してみませんか。それが貴方が共感したアリスメンディの「参加」ーー従来の枠組みの政治家を否定して、今まで誰も挑戦してこなかった新たな枠組みの政治家に挑戦することです。具体的には、「脳化社会」のどん詰まりの成れの果てに迎えた先端科学技術の暴走、つまり福島原発事故の暴走に対し、既成の政治家がみんな自分たちの手に余る取り組みだと、見て見ぬ振りをして「放置」しているのに対し、百年後の日本を見据えて、原発事故の救済の問題と正面から取り組もうという脱「脳化社会」への挑戦、それがチェルノブイリ法日本版の実現への挑戦です。

その最初の一歩を福島県の或る市で始めることにしました。その市の市長と全議員に対して、チェルノブイリ法日本版の必要性と実現のプロセスを解説したブックレット「わたしたちは見ている」を手渡すことにしたのです。昨日、ブックレットを手渡すときに一緒に渡す手紙の文案を作成しました。
私は、311以来、ふくしま集団疎開裁判を通じて、国や自治体の政治家に対する抜きがたい不信感を抱いてきました。彼らにはツバを吐くしかなかった。しかし、今、彼らとチェルノブイリ法日本版について「合意」できなくとも、なおも「対話」することがとても重要だということに気がついた。それで、これまでの「ツバを吐くのをやめて、花を盛る」気持ちに切り替えて、彼らに対するラブレターを初めて書いた。これは2年前、最高裁に対して「ツバを吐くのをやめて、花を盛る」気持ちで書いたラブレターの2通目だった(以下、その経過)。私は一歩前に出ることにした。

その時の報告>最高裁につばを吐くのか、それとも花を盛るのか(24.3.8)

1年8ヶ月後の最高裁からの返信>山が一歩動いた。最高裁にツバを吐かず、花を盛った避難者追出し裁判の理由書に対し、1年8ヶ月後に最高裁から「受理する」と応答(25.12.12)。

その1ヶ月後の最高裁からの返信>311から15年目の今日、最高裁は「百年の悲劇」と決別するため、今まで書かれたことのなかった原発事故の救済のあり方を最高裁判決に書き込んだ。今日まかれた一粒のタネが芽を吹き、葉をつけ、花を咲かせ、豊かな実りをもたらすかどうかーーそれは私たちに掛かっている。人権への道は人類全員の協同労働なのだから(26.1.9)

私は、Xさんにも、このラブレターを送りたい。

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「いま法律があぶない!」をカタチにして解決策を示した「チェルノブイリ法日本版」

           様

1、無知の涙 

 終戦直前に広島で被爆した政治学者の丸山真男は、のちに、自分は原爆はけしからんと言ってきたのに、原爆の本質つまり放射能による健康被害(その惨禍は従来の災害の概念では理解できない。一度ならず毎日々々原爆が落ちているにひとしい)については言ってこなかったと己の無知に恥じ入りました。

私も同様です。私も311まで、日本に原発事故が起きるなんて夢にも思わず、己の無知に恥じ入りました。或いは、原発のことを考えてきた人でも、原発はけしからんとその中止を求めてきたのに、原発事故の本質つまり放射能による健康被害(その惨禍は従来の災害の概念では理解できない。一度ならず毎日々々原発事故が発生しているにひとしい)は言ってこなかったと己の無知に恥じ入りました。黒い雨の被ばくから76年もの間、被ばくによる健康被害にずっと苦しんできた被ばく者の広島長崎の「黒い雨」訴訟が示すとおり、
放射能による健康被害という未曾有の惨禍に対する己の無知に涙を流したことが私たちチェルノブイリ法日本版の会の発足の原点でした。

2、原発事故の救済に無知の日本の法体系

 福島原発事故は、一時は吉田昌郎福一所長(当時)に「東日本壊滅」を覚悟させた[1]ほどの、日本史上最悪の、未曾有の過酷人災でした。この未曾有の原発事故は日本の政治・経済・文化に前例のない甚大な打撃を及ぼしました。しかしその打撃はそれにとどまりませんでした。日本の法体系も未だかつてない深刻な打撃を受けたのです。もともと日本の法体系は原発事故について実効性のある備えがありませんでした。1999年のJCO事故のあと原災法ができ、防災基本計画や防災指針が定められましたが、それは過酷事故が現実化した場合に円滑に実行できるようなものではありませんでした。いざ福島原発事故が発生したら、自治体(双葉町、浪江町等)への連絡すらなく、オフサイトセンター機能せず、病人の避難の混乱から何十人もの死者を出し、SPEEDIやモニタリング情報が市民に隠され、安定ヨウ素剤を配布できなかったという体たらくからも明らかでした。原発事故の救済に関する法体系が文字通りノールール(無法地帯)状態、法的な表現で言えば日本の法体系は原発事故の救済に関する全面的な「法の欠缺(穴)」という状態にありました。しかも、この全面的な「法の欠缺」状態は311後も立法的に解消されず、放置されたままでした。でも、それはどこでもそうなのでしょうか。ちがいます。

 


3、半世紀以上前の日本

半世紀以上前にも、日本は高度経済成長の中で深刻な公害に見舞われ、人々の命、健康、暮らしが危機的な状況にありましたが、その公害に対応する救済法は「法の欠缺」状態でした。この危機の時、全国の市民、自治体が立ち上がり、1970年の「公害国会」で公害対策基本法から「経済の健全な発展との調和を図る」調和条項を削除、命・健康の擁護を最優先とする姿勢に大転換する法改正、水質汚濁防止法の制定など世界最先端の公害対策を盛り込んだ14の新法の制定という抜本的な立法的解決を実行して、公害から人々の命、健康、暮らしを守りました。それだけではありません。

4、40年前の旧ソ連
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年前の旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が発生し深刻な放射能による健康被害に見舞われたとき、被災者やリクビダートルが立ち上がり、旧ソ連は体制崩壊の置き土産として、世界標準と言われる住民避難基準を定めた法律が制定され、放射能から人々の命、健康、暮らしを守りました。それがチェルノブイリ法です。

5、チェルノブイリ法日本版の出番
もしもこの話を今の子どもたちに聞かせたら、彼らはこう思うのではないか――半世紀以上前、日本の公害国会の法律制定のおかげで、その後の子どもは曲がりなりにも公害から健康を守られたんだったら、今の僕たち子どもも同じ目(放射能から健康を守られる)に遭わせてもらってもいいんじゃないか。

もしもこの話を今の子どもたちに聞かせたら、彼らはこう思うのではないか――35年前、経済がガタガタの旧ソ連でも、チェルノブイリ法のおかげで、子どもも大人も曲がりなりにも原発事故から健康を守られたんだったら、旧ソ連よりずっと経済大国の日本の僕たち子どもも同じ目(放射能から健康を守られる)に遭わせてもらってもいいんじゃないか。ちっとも贅沢じゃないんじゃないか。

もしもこの話を子どもたちに聞かせたら、彼らはこう思うのではないか――いま法律があぶない!なぜなら、これではいま子どもがあぶないから。大人が何もせずに放射能で病気になってくたばるのはしょうがないとしても、僕たち子どもまで同じ目に、その巻き添えにするのはやめて欲しい。それって余りに大人の身勝手じゃないか。

いま法律があぶない!そう訴える子どもたちは裸の王様を笑う少年に似ている。なぜなら、法律も裸の王様の服と同じで、誰にも見えないし、臭わない、手でさわれない存在だから。その見えない、あぶない法律を放射能から子どもたちを守る法律に転換するのが「チェルノブイリ法日本版」。

そのチェルノブイリ法日本の必要性と実現のプロセス(公害と同じく、全国の自治体の条例制定から始める)について、もし子どもたちが語るとしたらこんな風に語るのではないかと想像しながら、子どもたちの語り部の積りで作ったのが今、お渡しするブックレット「わたしたちは見ている」です。

今日の、そして未来の、百年後の子どもたちの「声なき声」「名もなき草莽の声」に耳を傾ける積りで、このブックレットを手にとって一読して頂くことを心から願ってやみません。

          2026年8月30日

            「わたしたちは見ている」編者



[1] 《私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。・・・ここで本当に死んだと思ったんです。2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまい、そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる。 最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。・・・放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメ-ジは東日本壊滅ですよ》(2011年8月9日吉田調書52頁)。

 


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