8月3日、埼玉から松本市四賀の保養施設「奏奏(sousou)」に向け、移動。
その日から3泊4日で夏休み親子保養キャンプのスタッフ、実態は経験未熟の使い物にならない雑用係りとして参加。
2年ぶりのキャンプ。子どもらに混じって、その道の大ベテランの悠平さん(>2年前の彼の写真)のアドバイスを受けてテント張り、翌日、アルプスあづみの公園行きの補助スタッフとして同行‥‥それらの体験を通じて、私の頭の中がグジャグジャに溶けた気がした。一言で、子どもたちの三無主義(無鉄砲、無頓着、無謀)を目の当たりにして、
全幅の共感が身体中を突き抜ける中、思わず、
自分もあんなふうに「疾走」したい! 水と踊りたい!
| 乳川のミニダムを全力疾走 |
乳川のミニダムの水と格闘 |
この保養キャンプで、信州の大自然と子どもたちの三無主義(無鉄砲、無頓着、無謀)で自分の感性が溶けてしまったーー脳化社会に安住する感性が。
再び、脳化社会の塀の外に出るしかないと思いながら、脳化社会の都会に戻って来た。そしてたまった雑用を片付け、週末に待ち構えていたのは、福島県が福島地裁に提訴した、自主避難者を応急仮設住宅から退去を求める追出し裁判の最終書面の作成・提出の作業。
その内容は2ヶ月前に、4年前、自主避難者が東京地裁に提訴した、福島県を不当な追出しを求めたことに対する損害賠償裁判の最終書面の提出があり(>その報告)、内容はこれと変わらなかった。
しかし、たとえ内容が同じでも、この2ヶ月間に起きた経験、とりわけ信州四賀の保養キャンプのおかげで久々に「脳化社会の塀の外に出る」貴重な経験をしたので、その経験の糧を今度の書面に反映できないものか、帰ってから、つらつらと考えていた。しかし、再び「脳化社会の塀の中に戻って来た」中で、塀の外の体験の意味を振り返ることは「言うは易き」の難行で、思うようにはかどらなかった。試行錯誤の末、裁判官に、これだけは頭に叩き込んで欲しい、と思うエッセンスを冒頭に書いてみようと鉛筆を握った。それが、以下だった。これが疾走する子どもらから授かった三無主義をコトバに変換したささやかな小品だった。しかし、これまで何度も言葉にしてきた「新しい酒は新しい革袋に盛れ 」、これはただの格言ではなくて、歴史の転換期の法律のことだったことに気づいた。それは先週、時間を共有した「疾走」する子どもたち、彼らのおかげである。これこそ「脳化社会の塀の外に出て」、全身でつかんだ貴重な認識だった。
なお、本日提出した最終準備書面の全文>こちら
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第1、はじめに
被告は改めて、被告が本裁判に求める根本的な問題提起について述べる。それは、この問題提起に初めて正面から応答した、本裁判に先行した区域外避難者の応急仮設住宅からの退去を求める裁判(以下、「先行裁判」という)の本年1月9日最高裁判決(乙1。以下、「本判決」という)の三浦守裁判官の意見(以下、「三浦意見」という)と問題意識を共有するものである(>その解説)。
1、転換期の法律――新しい酒は新しい革袋に盛れ――
この格言は社会・歴史の転換期における法のあり方を現したものである。つまり、社会・歴史の転換期においては、新たに出現した現実に従来の法律では対応できず、新たな現実について発生した法の穴(法の欠缺)に対して、穴を埋める(欠缺の補充)必要が生じる。これは法の本来の宿命である。古くは、日本で最初に武家政権が誕生した時、それまでの公家法に替わって武家法(貞永式目)が制定されたのも、日本で最初に国民主権が誕生した時、それまでの明治憲法に替わって日本国憲法が制定されたのも、日本全土で初めて公害が深刻化した時、1970年の公害国会で抜本的な公害対策を盛り込んだ14法が制定されたのも、既成産業への破壊的インパクトを「恐竜の絶滅」になぞらえられたインターネットが登場した時、日本でも従前の法律を抜本的に変更するネット法が制定されたのも、いずれも「新しい酒は新しい革袋に盛れ」をミッションとする法律の姿であった。
とはいえ、これらはいずれも法律の制定による解決、いわゆる立法的解決であるが、立法的解決が間に合わない時には裁判所による司法的解決が登場する。それを説いたのが1981年12月16日大阪国際空港公害訴訟最高裁判決の団藤重光裁判官の次の意見である。
「本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によつては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。」
しかし、諸事情によりその立法的措置が果たされない場合、裁判所による「欠缺の補充」の出番であると次の通り締めくくっている。
「法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない。」(33~34頁)
2、日本で初めて国内避難民が登場したとき
近年、裁判所による「欠缺の補充」の出番となったのが2011年3月の福島原発事故による救済とりわけ大規模の避難者が出現した時の救済である。それまで日本の法体系は原発事故による救済を具体的に制定していなかった[1]。そのため、福島原発事故で出現した「大規模の避難者」をどう扱ってよいのか、福島原発事故前は言うまでもなく、事故後においても法律は空白(法の欠缺)状態だった。この時、この新しい事態に国外から法的な言葉を与えたのが国際人権法の1つ「国内避難の指導原則」だった。この指導原則により日本で最初に「国内避難民」の登場が認められた[2]。
本裁判においても、この「大規模の避難者」について発生した法の欠缺に対して、「国内避難の指導原則」などの国際人権法に基いて法の欠缺を正しく補充し、この補充に基いて「国内避難民」である被告の救済がどうあるべきかを正しく導くことが不可欠である。
かつて東京地方裁判所行政部で名を馳せた藤山雅行裁判官は「法律家の仕事は同時代のみならず歴史的な評価にも耐えうるものでなければならない」と述べた[3]。この言葉は空間的にも時間的にも過去に前例のない惨劇(カタストロフィー)である福島原発事故に由来する本裁判に当てはまるものである。
以上の観点から内堀決定の適法性について、以下、検討する。
[1] その典型が原子力災害特別措置法(原災法)15条に基づき、福島原発事故直後に発令された原子力緊急事態宣言である。同宣言はその対象地域を特定する必要を法文上、明らかにしていないため、内閣総理大臣は対象地域を特定しないまま発令した。
[2] 2018年3月、日本政府は、2017年11月の第3回国連人権理事会の普遍的定期的審査(UPR)においてポルトガルから出された「福島原発事故の全ての被災者に国内避難民に関する指導原則を適用すること」という勧告に対し、「フォローアップすることに同意する」と回答、国際社会に対して受入れを表明した。
[3]藤山雅行編「新・裁判実務大系 第25巻 行政争訟」藤山雅行「はしがき」

