以下は、1年前に、私が代理人ではなく、原告本人としてゆうちょ銀行を被告に提訴した人権訴訟の中で体験した体験談である。一見、それはチェルノブイリ法日本版の対話の必要性と可能性と関係なさそうに見える。しかし、それは自分が初めて法律家になったような気がした書面を書いた経験であり、法律家に羽化した瞬間の体験だった。チェルノブイリ法日本版も市民が法律を生成する取組みであり、市民が「法律家」として行動を起こす番である。だから、この「法律家に羽化した体験」は市民主導の「法律家」の行動にとっても意味があると確信する。
ただし、この時の体験談が1回の投稿では書き切れず、5回に分かれている。末尾に、1回目の投稿の冒頭と終わりのさわりを再掲した。
◆【第109話】法律学(自己)批判の最初の一歩:自分が初めて法律家になったような気がした書面を書いた(25.7.6)
◆【第110話】法律学(自己)批判の次の一歩:自分が初めて法律家になったような気がした書面の注釈を書いた(25.7.9)
◆【第111話(追加)】法律学(自己)批判の三歩目:「生ける法=生成法」の最も明確なメッセージである「モンドラゴンの挑戦」に立ち帰る(25.7.13)
◆【第112話(追加)】法律学(自己)批判の四歩目:ゆうちょ裁判が問うた本質的なテーマ、それは「たがために法律はあるのか」(25.7.12)
◆【第113話】 「脳化社会に安住する塀の中の法律」は終焉を迎えた。まだ誰によっても書かれたことのない「脳化社会の塀の外に出た法律」を準備する必要がある。それが「生成法=生ける法」(2)(25.7.13)
いま、私に必要なことは法律家として羽化すること。それが
ヘーゲルの「弁証法」を創造的に否定したマルクスのように、
「概念法学」を創造的に否定することである。
それは概念法学の換骨奪胎だった。概念法学がなぜダメかというと、それは概念法学の組み立てでは、一方で、論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分がおざなりの形式的、定型的な事実にとどまり、他方で、紛争の現場のリアルな事実の核心部分がノイズと扱われ抜け落ちるおそれがあるからだ。とりわけ制定当時に想定していなかった新たな事態が発生したときには、概念法学ではこのおそれが現実化する(これが「法の欠缺」状態の発生である)。概念法学のこの宿命的な機能不全(すなわち「法の欠缺」状態に対応できない)に対し、概念法学にふたたび命を吹き込むのがここでの目的だった。それが「概念法学の換骨奪胎」ーー概念法学の法的論理の枠組みだけ残して、論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分に、概念法学のように形式的、定型的な事実でもってお茶を濁すのではなく、紛争の現場のリアルな事実の核心部分が盛り込まれるように、事実の取捨選択と分析と活用の仕方を面目一新しようとしたのである。
「紛争の現場のリアルな事実の核心部分」の把握の重要性は実はずっと昔から、戦前は末弘厳太郎の「自由法論」「法社会学」、我妻栄の処女論文「私法の方法論に関する一考察」、戦後も民法の星野英一、刑法の平野竜一らが提唱した「利益衡量論」、憲法の芦部信喜が提唱した「立法事実論」などでお馴染みのものだった。しかし、これらの思考方法は一時の流行でもなければ、特定の分野だけのことでもなく、すべての法律問題に及ぶ普遍的、原理的なものであった。
しかし、これまで、ともすると、「概念法学」の弊害に対する反発から「概念法学」の全てが批判の対象となり、法的論理の枠組みすら否定されてしまいがちだった。しかし、ヘーゲルの「弁証法」を創造的に否定したマルクスにならって(末尾の※3)、ここで必要なことは「概念法学」の創造的否定だった。それが法的論理の枠組みである論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分に新たに「紛争の現場のリアルな事実の核心部分」を埋め込んで、そこから(概念法学がもたらした)「死んだ法」に換えて「生きた法」を創造することだった。
その際、私が自覚的にやろうとしたことは、論理と論理をつなぐ橋としての事実の部分に「紛争の現場のリアルな事実の核心部分」を埋め込んだだけではなく、そのあと、その埋め込みに最も相応しい法的な判断を引き出す(それが「法の欠缺」の「補充」という法の創造作用のことである)にあたって、私自身の中で「最も普遍的な判断」とみなしてよいと信ずるものを持ち込んで、法的な評価を引き出したことである。今までと何がちがうかと問われると、それまで私は「法的価値判断の相対性」という考え方に囚われていて、事実問題は真偽の有無を判断できるが、法律問題という価値判断では真偽の有無は判断できない、つまりどこまでいっても相対的な判断にとどまると思ってきた。そのため、法律問題に対しては、あくまでもこれは私個人の主観的な価値判断として主張しているのだというスタンスを取ってきた。
しかし、最近に至り、統計学・疫学の検討をする中でそれはちがうのではないかと思い直すようになった。実はヒュームの懐疑論、ポパーの反証主義からも明らかなとおり、事実問題もまた真偽の有無をついに確定的に判断することは出来ず、あくまでも仮説にとどまる。そうだとしたら、価値判断もまた同様に考えられるのではないか。つまり、これもまた仮説として普遍的な価値判断を提示しているのであり、そうだとしたらこれも許されるのではないかと。
柄谷行人によれば、カントは普遍性を真(科学)の次元のみならず、善(倫理・法)の次元にも拡張したとされるが、私が今回初めてやろうとしたことはカントのこの立場に立とうとしたことである。もちろんこれは仮説としての法的価値判断である。だから、のちにいくらでも反証され、否定されても構わない。しかし、それまでの間、私は自分の法的価値判断を普遍的な性格を持つものとして初めて主張したのである(それでとくに問題はないと考えている)。
その結果、何か変わることでもあるのか?
そう問われると、私は大いにあると答えたくなる。「文は人なり」--このコトバはこの業界に身を置いていると痛切に感じるものである。従って、もし法律問題に対して示す自分の法的価値判断を「普遍的な性格」を持つものとして主張し得たとき、そのコトバは今までにはない説得力を読み手(裁判官や裁判の当事者・支援者)にもたらす力を持つであろうことを私は疑わないからだ。裁判官に向かってに限らず、およそ「法を説いて、人を巻き込む」の極意とは別に手練手管や詭弁的なテクニックを駆使することではなく、こうした原理的なスタイルそのものを地に足をつけて実行することにある。
その取り組みを曲がりなりにも初めてやったのが、ゆうちょ裁判の今回の準備書面(3)だった。
以上の意味で、この短い書面は、これまで書いたことがないような私にとって画期的な書面である。私はこれで法律家として羽化したと思った。
とはいえ、これがどこまで首尾よくいったかどうか、自分では分からない。ただ、これを書き上げたとき、この書面でもってこの裁判の勝負に出よう、それで、まともな裁判官の手で裁かれるのであればそれで構わないという心境になった。つまり、裁判官に向けて、自信をもって自分の愛の告白をつづったラブレターを書いたと思った。
このとき、私は曲りなりに、自分が初めて法律家に羽化したような気がした。
私の願いは、2日前に自分が羽化した「自分が初めて法律家になったような気がした書面」をただのお飾りにして終わるのではなく、これを最初の一歩にして、今後、もっともっと練り上げていき、今度はひとり裁判官だけではなく、裁判に関心を持ってくれるすべての市民に向けて読んでもらえるように、このような書面を何十通、何百通、命がある限り書き続けることである。それが、私にとって「政治・政策問題から人権問題へのシフト」を実践する大切な場のひとつである。
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