2025年4月29日火曜日

【第100話】311後の日本人は今どこにいるのか?これからどこに向かうのか?「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~」(25.4.30)

今年で311から14年。これを戦前の歴史に当てはめると、満州事変勃発から終戦までに相当する。終戦で日本は天皇主権から国民主権に歴史が大転換したけれど、311から14年経った今年、そのような歴史の大転換は来るのだろうか。たとえ、来ないとしても、いつ、歴史の転換のようなものが訪れるのだろうか。
そういう気持ちから、311直後のことを振り返り、あの疾風怒濤の時間に匹敵する過去の歴史があるだろうか?と思ったとき、チェルノブイリ事故は当然として、それ以外にもあることに気がついた。それが第一次大戦。そこで、これと比較してみようと思った。すると、思いもよらない共通点が見つかった。それは311に対する私の認識を変えた。
雑文だが、今まで明確に出来なかった私の今後の行動を決定する、私にとって今までで一番重要な文。

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「311後の日本人」の起源は百年前の第一次大戦後の人類にある。

1、その理由は、
百年前の第一次大戦のとき、人類は先端科学技術を総動員して一般市民を無差別大量攻撃にさらすという前代未聞の危険な時代に突入した。311福島原発事故もまたその延長線上にある。

2、その帰結は、
その当時、第一次大戦の悲劇(危険性)を認識しなかった人類はその後もこの悲劇をくり返した。この意味で「世界の百年の悲劇はこの世界大戦から始まった」(新・映像の世紀 (1)「百年の悲劇はここから始まった~第一次世界大戦~」)。
これと同じく、福島原発事故の悲劇を認識しない日本人は今後もこの悲劇をくり返す。日本の百年の悲劇は311から始まった。
具体的にそれは、日本人が絶滅危惧種の仲間入りをしたこと。
にもかかわらず、日本は、ウクライナが憲法を改正して、ウクライナ市民を絶滅危惧種から守ることを国家の義務と宣言した(ウクライナ憲法16条)のと正反対の態度を取り、その厳粛な現実から目を背け続けて、正真正銘の絶滅危惧種への途を突き進んでいる。

3、そこからの課題は、
この絶滅危惧種から抜け出すこと。
具体的には、放射能の危険から命、健康を守る社会システムを作り上げること。
それは市民が主導して実現するしかないこと。
私たちは、この厳粛な現実から目を背けない。

4、具体論
【第97話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(1)」311後の日本人は絶滅危惧種の仲間入りを果した
【第98話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(2)」人類は死に物狂いのときには途方もない発明・開発を成し遂げた
【第99話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(3)」311後の日本人にやれることがまだある
【第101話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(4)」習慣が人々を破滅の淵に引きづり込む
【第102話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(5)」新・学問のすすめと偽善のすすめ
【第103話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(6)」対症療法が人々を破滅の淵に引きづり込む

5、参考映像
新・映像の世紀 (1)「百年の悲劇はここから始まった~第一次世界大戦~
映像の世紀2「大量殺戮の完成~塹壕の兵士たちはすさまじい兵器の出現を見た~
NHKスペシャル終わりなき被爆との闘い~被爆者と医師の68年~

6、2つの現実、日常生活と非日常生活について
確かに、第一次世界大戦も第二次世界大戦も福島原発事故も現実の出来事だった。けれど、それは非日常の出来事であって、私たちの日常生活とは無縁の出来事。可哀相だけれど、それに遭遇した人たちは運が悪い、バッドタイミングだとしかいいようがないーー311から時間が過ぎるにつれ、このように思っている人がますます増えているように思う。

しかし、そこには根本的な思い違いがある。 私たちの日々の日常生活と目を覆いたくなる残虐な非日常の出来事(第一次・第二次世界大戦、福島原発事故)とは無関係どころか、実はコインの表と裏の関係にある。両者をつないでいるのが「脳化社会」。私たちの日常生活は朝目がさめてから夜眠りにつくまで100%「脳化社会」のインフラに依存している。そして、ひとたびこの「脳化社会」に不具合、暴走が起きると、コロナ禍や埼玉県八潮市の下水管破損事故のように、私たちを一気に非日常の異常事態の世界に引きずり込む。今、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、「脳化社会」号という巨大船舶の乗客であり、この船舶は先端科学技術を備えれば備えるほど難破したときの被害の甚大さは測り知れない。私たちは「脳化社会」に生きている限り、一寸先は闇=非日常の異常事態という現実を受け入れざるを得ない。

ウクライナ憲法16条(1996年)
ウクライナの環境を保全し、未曽有の災害であるチェルノブイリ事故への対策に取り組むこと、ウクライナ民族の子孫を守ること、これらは国家の義務である。

【第99話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(3)」311後の日本人にやれることがまだある(25.4.29)

それは少なくとも次の3つ。
1、ひとつは脱被ばくのアクション。
福島原発事故直後に原発で何が起きたのかを再認識し、
事故直後に政府、福島県、アメリカらは何をしたのかを再認識し、
それに対し、事故直後に市民はどう対処したのかを再認識し、
そこから市民は「何をなすべきだったのか」をつかむこと。
それは単に過去の振り返りにとどまらない。なぜなら、政府らは福島原発事故から学んで未来の原発事故に対処するから、市民もそれ以上に福島原発事故から学んで二度と後悔をしないように、来るべき原発事故への行動の指針を立てる必要がある。
そのために、この取り組みをおこなう。

2、2つ目は被ばくによる健康影響。
福島原発事故直後に、市民の健康影響(急性障害など)に何が起きたのかを再認識し、
のみならず、事故から中長期的な視野で、市民の健康影響に何が起きているのかを注意深く把握に努め、
それらに対し、世界の古今東西文明を問わず、可能なる対策として何があるのかすべての扉を叩いて探求に努めること(あたかも誰よりも熱心に内部被ばくの危険性に目を向けた肥田舜太郎さんが同時に、免疫力の増強に努める療法を熱心に推進したように)。

3、3つ目は脱被ばくによる生活再建のビジョン作りとネットワーク作り。
福島原発事故直後に、被ばくを避けるために避難したいと思ったにもかかわらず、避難出来なかった多くの人たち、或いはいったん避難したけれど、まもなく帰還を余儀なくされた多くの人たち。その人たちの避難を困難にさせた最大の要因は避難先で生活再建を実行する見通しだった。なぜなら、国も福島県も避難者が帰還するのなら協力するが、避難先で生活再建を果すことには徹底的に非協力的だったため、人々はもっぱら自力で生活再建を果すしかなく、ハードルが極めて高かったから。
チェルノブイリ法日本版は避難者が避難先で生活再建を果すことが可能になるように、国や自治体に必要なサポートをする法的な義務を負わせるもの(つまり生活再建権の保障)。
ただし、チェルノブイリ法日本版が避難者に血の通った生きた生活再建権を実現するためには、事前に、市民自身の手で、原発事故という国難に対して、市民型公共事業として避難者の生活再建を果すためのインフラ作り、ネットワーク作りを準備しておく必要がある。
そのために、どんなインフラ、どんなネットワーク作りが必要かについて、人類がこれまで、市民型公共事業の取組みとして実践してきた市民の相互扶助組織=協同組合を手がかりに、その設計図を作り、実際のネットワーク作りに着手することが来るべき未来の原発事故への備えとして求められる。

【第98話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(2)」人類は死に物狂いのときには途方もない発明・開発を成し遂げた(25.4.29)

 世界史の一大転換点となった第一次世界大戦。目を見張るのは、わずか4年の間に、戦争に投入された兵器が激変したこと。巨砲、毒ガス、戦車、飛行機‥‥かつて想像できなかったような新しい兵器が次々と矢継ぎ早に開発、投入され、戦争の概念が一変、兵士同士の戦いは兵器同士の戦いに変貌した。その急激な変貌に追いつかなかった現地の指揮官は習慣に縛られて旧来の人間中心の戦法に頼り、ために、莫大な数の兵士が命を落とした。これは明らかな人災、犯罪だった。

思うに、第一次世界大戦が始まったとき、時間の概念も一変した。大戦前の平時の時間に対し、大戦の異常事態のもとで猛烈なスピードの時間が出現した。 戦争の性格が軍人による限定戦から、国家総動員の総力戦に変貌したとき、戦争は国家の命運=生死を左右する決戦となったため、国家総動員として戦争に参加した全国民は文字通り死に物狂いの運命に巻き込まれた。なかでも、兵器開発こそ国家の命運=生死を左右する事業として最も熾烈な使命が与えられ、開発者はしのぎを削ったと思われる。それが短期間の間に、巨砲、毒ガス、戦車、飛行機‥‥と次々と新たな兵器が誕生した所以であった。

思うに、この時、人類は、死に物狂いのときには途方もない発明・開発を成し遂げることができることを証明してみせた(もっとも、それらはいずれも人類を無差別大量に殺戮する道具だったが)。
これに対し、【第97話】で述べたように、第一次世界大戦に匹敵する福島原発事故のあと、人類は、原発事故の救済が必死に求められたにもかかわらず、はたして、それに応えるような発明、開発(それが途方もない発明とまではいわなくていいが)が成し遂げられただろうか。
そのような話は事故から4年どころか14年たった今もひとつとして聞かない。聞こえてくるのは福島原発事故の前に巨額をつぎ込んで開発したSPEEDIを事故後には活用が削除されたといったマイナスの話だけ。

そこから引き出す教訓の第1は、原発事故の救済に必要な発明、開発が求められているにもかかわらず何ひとつ実行出来ないのは、我々が原発事故後の世界に生きていけないこと=絶滅危惧種の仲間入りをしたことを証明したものである。
第2は、 原発事故の救済に必要な装置、システムの発明、開発を政府に依存・期待しても永遠に不可能であり、それを可能にする唯一の道は市民が自らが取り組む市民型公共事業の中にしかないということ。人類が死に物狂いになって取り組むとき、それは途方もない力を発揮し、求めに応じた発明、開発をやってのける。
かつて、それは(使われ方はネガティブなものだったが)第一次世界大戦で証明された。
現代において、それは(死に物狂いではなかったかもしれないが)市民の創造力が結集されたリナックスの体験からも明らかだ。この意味で市民型公共事業は原発事故後の世界を照らす希望の星だ。

【第97話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(1)」311後の日本人は絶滅危惧種の仲間入りを果した(25.4.29)

【第98話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(2)」人類は死に物狂いのときには途方もない発明・開発を成し遂げた
【第99話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(3)」311後の日本人にやれることがまだある

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311後の日本社会とはなにか。
それは、311後の日本人が絶滅危惧種の仲間入りをしたことである。
それは「原発事故は見えない未知の世界戦争である」ことから引き出せる。

311福島原発事故から14年。福島原発事故が何であったのか、その結果、日本社会はどうなったのか。その正体が分かるまで百年かかるかもしれない。以下は、現時点で突き止められる範囲で福島原発事故の正体を突き止めようとしたメモ。

かつて、もし第三次世界大戦になったら人類は絶滅するだろうと言われた。
そのとき、人々は第三次世界大戦を第一次、第二次世界大戦の延長のようにイメージしていたと思う。
だが、第三次世界大戦とはどのようなものであるのか、実は誰もその正体を知らなかった。
原爆という最終兵器が「核の平和的利用」という美名のもとに生まれ変わるように、第三次世界大戦も変貌を遂げるのだ。
それが原発事故。
たった1分足らずの実験でヨーロッパ全土が人が住めなくなる寸前までいったチェルノブイリ原発事故。
2号機に水が注入できず、あわやメルトダウンして東日本壊滅の危機に瀕した福島原発事故。
それは放射能による人体への無差別大量攻撃という、もうひとつの世界大戦=第三次世界大戦として出現した。しかも、今度は終戦という終わりがなく、放射能という目に見えない長期間にわたる廃墟をもたらす未知の戦争として。

何よりも恐ろしいのは、
私たちがこの「目に見えない長期間にわたる廃墟をもたらす未知の戦争」の正体を殆ど知らないことだ。
そのために、この廃墟のせいで、私たちがどれくらい深刻な健康被害を被るのか、その予測も殆ど「真っ暗闇」の中だ。
そこで、つい考え込んでしまうーー311直後に流布した「健康に直ちに影響はありません」という言葉に再びすがって、根無し草のように行き当たりばったりで当座の生活をしのいでいくしかないのかと。
しかし、そう思う前にまだやれることがある。
そのひとつが、原発事故を百年ちょっと前の第一次世界大戦と比較し、そこから原発事故の正体について手がかりを掴むこと。

第一次世界大戦とは何か。
それは世界史の巨大な一大転換点。ここで人類は経験したことのない悲鳴をあげた。このとき、人類の歴史は決定的に変わった。
疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)とはこの戦争のために発明された言葉のように思える。この時、世界は以下のように一変した。
それまでの限定戦から国家あげての総力戦が出現し、戦争の性格が一変した。
その結果、敵は「相手国のすべての国民」となり、女・子ども・年寄りも含めたすべての国民に対する無差別大量殺戮戦争が出現した。
機関銃の出現により、戦法もそれまでの騎兵と歩兵による短期決戦(会戦)ではなく、機関銃攻撃から身を守る塹壕戦へ、その結果、前線の膠着により前例のない長期にわたる消耗戦が出現した。
その塹壕を突破するために新兵器が次々と開発された。それが巨砲、毒ガス、戦車、飛行機‥‥。
その結果、戦争はそれまでの兵士(歩兵・騎兵)同士の戦いではなく、兵器同士の戦いに変貌した。
しかし、指揮官は次々と投入される新兵器の持つ破壊力を理解し切れず、漫然と従来の習慣に従って兵士中心の戦法を取り続けた。その結果、兵士は無差別大量殺戮の新兵器の前にバタバタと命を落し、経験したことのないような傷を負った。
参考動画:映像の世紀2「大量殺戮の完成~塹壕の兵士たちはすさまじい兵器の出現を見た~」(47分からの場面)

この映像に映る、無差別大量殺戮の砲弾の中をチョロチョロ走り回っては虫けらのように吹き飛ばされていく兵士(人間)たち。彼らの惨憺たる姿から私は、このとき、人類が絶滅危惧種の仲間入りしたことを知らされた。
そう思ったのは私だけではない。大戦直後に欧州を訪問した若き昭和天皇も次のような文を残した(新・映像の世紀 (1)「百年の悲劇はここから始まった~第一次世界大戦~」(39分から))。
破壊せられたる諸都市、
荒廃したる諸森林、
蹂躙せられたる田野の景は、
戦争を讃美し、暴力を謳歌する者の眼には如何に映ずべきか。


同時にこれは、まさに百年後の311福島原発事故を経験した私たちが大気中に大量に放出された放射能の健康影響の深刻さを理解し切れず、漫然と従来の習慣に従って、それまでの自然災害、人災の延長線として済まそうとする姿とそっくりそのままだ。
このとき、311後の私たちも百年前の第一次世界大戦と同様、絶滅危惧種の仲間入りしたのではないか。
それがどれだけ危険で、無謀な態度であるか、それは百年たった時に明らかにされるだろう。しかし、今でもそれを予知することは可能なのだ。
それが、広島、長崎の原爆投下。そこで被爆した人たちの80年間の経験。
例えば、以下のドキュメンタリーは、放射能が時限爆弾として長い時間をかけて被爆者の健康被害をもたらす実相を伝えている。

NHKスペシャル終わりなき被爆との闘い~被爆者と医師の68年~

他方、第一次世界大戦も第二次世界大戦も原発事故も、私たちの普段の日常生活とは隔絶した、特別な出来事であると考える人がいて、その人にとってはこう思えるかもしれないーー311後の日本社会、少なくともここ10年は日常生活が続く毎日であって、もはや非日常の「戦争」状態ではない、だから日常生活を送っている者に非日常の原発事故のことを考えろというのは無理難題だと。

私もずっとそのように考えてきた。しかし、つい先日、その考えは根本的に間違えているのではないかと気がついた。なぜなら、第一次世界大戦も第二次世界大戦も原発事故もある日、突然、ポッと出現した訳ではなく、それまでの日々の政治、経済の積み重ねを踏まえて出現したもので、それらが途方もない破壊的な暴力を秘めていたとしても、それは偶然ではなく、あくまでもそれまでの日々の先端科学技術の積み重ねの末に出現したからだ。
つまり、第一次世界大戦も第二次世界大戦も原発事故も、日常的な政治、経済、先端科学技術の積み重ねの中から出現した非日常的な出来事なのだ。言い換えれば、現代の私たちの日常生活は知らずして高度に組織化、管理化されたいわば「脳化社会」のシステムをインフラにして営まれている。それが平穏に推移するときには日常生活を送れるが、ひとたび「脳化社会」のシステムに不具合が発生したり、暴走した時(コロナ禍のように)には私たちの日常生活は吹き飛び、一気に非日常の事態に陥る。それが高度に組織化、管理化された「脳化社会」の宿命であり、本質だ。
くり返すと、現代の私たちの日常生活もひと皮むけば、いつでも非日常生活を招くリスクを秘めている「脳化社会」というインフラに依存している。自分たちのなにげない日常生活も足元を見たら「板子一枚下は地獄」という非日常の原発事故などのリスクの中で営まれている。それが私たちの日常生活のリアルな正体である。
311後の日本社会は「板子一枚下は地獄」を顕在化した。311で、私たちはボーとしていると、それこそ放射能に根こそぎ命も健康も家族も奪われてしまう世界に突入したのだ。その意味で、311後の日本人は人類絶滅危惧種の仲間入りをしたと思う。

このシビアな認識を共有するかしないか、それはあなた自身が自己決定する問題である。





【第108話】2025年の気づき10:住まいの権利裁判、「損害の欠缺」の補充の法理を考えている中で、初めて「欠缺の補充の(具体的な)法理」の意味を突き止める経験をした(25.6.11)

◆ はじめに 311後の日本社会の最大の法律問題ーーそれは原発事故の救済に関する全面的な「法の欠缺」状態の解決である。なぜなら、311後の日本社会は原発事故の救済に関して、これまでの「法治国家」から「放置国家」に転落したから。ただし、これはひとり国家だけの責任ではない。法律家も含...