今年で311から14年。これを戦前の歴史に当てはめると、満州事変勃発から終戦までに相当する。終戦で日本は天皇主権から国民主権に歴史が大転換したけれど、311から14年経った今年、そのような歴史の大転換は来るのだろうか。たとえ、来ないとしても、いつ、歴史の転換のようなものが訪れるのだろうか。
そういう気持ちから、311直後のことを振り返り、あの疾風怒濤の時間に匹敵する過去の歴史があるだろうか?と思ったとき、チェルノブイリ事故は当然として、それ以外にもあることに気がついた。それが第一次大戦。そこで、これと比較してみようと思った。すると、思いもよらない共通点が見つかった。それは311に対する私の認識を変えた。
雑文だが、今まで明確に出来なかった私の今後の行動を決定する、私にとって今までで一番重要な文。
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「311後の日本人」の起源は百年前の第一次大戦後の人類にある。
1、その理由は、
百年前の第一次大戦のとき、人類は先端科学技術を総動員して一般市民を無差別大量攻撃にさらすという前代未聞の危険な時代に突入した。311福島原発事故もまたその延長線上にある。
2、その帰結は、
その当時、第一次大戦の悲劇(危険性)を認識しなかった人類はその後もこの悲劇をくり返した。この意味で「世界の百年の悲劇はこの世界大戦から始まった」(新・映像の世紀 (1)「百年の悲劇はここから始まった~第一次世界大戦~」)。
これと同じく、福島原発事故の悲劇を認識しない日本人は今後もこの悲劇をくり返す。日本の百年の悲劇は311から始まった。
具体的にそれは、日本人が絶滅危惧種の仲間入りをしたこと。
にもかかわらず、日本は、ウクライナが憲法を改正して、ウクライナ市民を絶滅危惧種から守ることを国家の義務と宣言した(※ウクライナ憲法16条)のと正反対の態度を取り、その厳粛な現実から目を背け続けて、正真正銘の絶滅危惧種への途を突き進んでいる。
3、そこからの課題は、
この絶滅危惧種から抜け出すこと。
具体的には、放射能の危険から命、健康を守る社会システムを作り上げること。
それは市民が主導して実現するしかないこと。
私たちは、この厳粛な現実から目を背けない。
4、具体論
【第97話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(1)」311後の日本人は絶滅危惧種の仲間入りを果した
【第98話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(2)」人類は死に物狂いのときには途方もない発明・開発を成し遂げた
【第99話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(3)」311後の日本人にやれることがまだある
【第101話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(4)」習慣が人々を破滅の淵に引きづり込む
【第102話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(5)」新・学問のすすめと偽善のすすめ
【第103話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(6)」対症療法が人々を破滅の淵に引きづり込む
5、参考映像
新・映像の世紀 (1)「百年の悲劇はここから始まった~第一次世界大戦~」
映像の世紀2「大量殺戮の完成~塹壕の兵士たちはすさまじい兵器の出現を見た~」
NHKスペシャル終わりなき被爆との闘い~被爆者と医師の68年~
6、2つの現実、日常生活と非日常生活について
確かに、第一次世界大戦も第二次世界大戦も福島原発事故も現実の出来事だった。けれど、それは非日常の出来事であって、私たちの日常生活とは無縁の出来事。可哀相だけれど、それに遭遇した人たちは運が悪い、バッドタイミングだとしかいいようがないーー311から時間が過ぎるにつれ、このように思っている人がますます増えているように思う。
しかし、そこには根本的な思い違いがある。 私たちの日々の日常生活と目を覆いたくなる残虐な非日常の出来事(第一次・第二次世界大戦、福島原発事故)とは無関係どころか、実はコインの表と裏の関係にある。両者をつないでいるのが「脳化社会」。私たちの日常生活は朝目がさめてから夜眠りにつくまで100%「脳化社会」のインフラに依存している。そして、ひとたびこの「脳化社会」に不具合、暴走が起きると、コロナ禍や埼玉県八潮市の下水管破損事故のように、私たちを一気に非日常の異常事態の世界に引きずり込む。今、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、「脳化社会」号という巨大船舶の乗客であり、この船舶は先端科学技術を備えれば備えるほど難破したときの被害の甚大さは測り知れない。私たちは「脳化社会」に生きている限り、一寸先は闇=非日常の異常事態という現実を受け入れざるを得ない。
※ウクライナ憲法16条(1996年)
ウクライナの環境を保全し、未曽有の災害であるチェルノブイリ事故への対策に取り組むこと、ウクライナ民族の子孫を守ること、これらは国家の義務である。