2025年5月2日金曜日

【第103話】「百年の悲劇はここから始まった~福島原発事故~(6)」対症療法が人々を破滅の淵に引きづり込む(25.5.2)

 私事で恐縮だが、1週間前、ノートパソコンのメール保存用のドライブが満杯寸前となり、赤信号がともったので、容量を増やすために、ほかのドライブで容量が余っている部分をこちらに移動しようと、久々にパーティション用のソフトを使って操作したところ、再起動したらCドライブ以外のドライブ(文書関係もチェルノブイリ法日本版の関係のデータも)がすべて消えてしまった。モノグサな性格のため、パーティション用のソフトの使用方法をしっかり再読せず、うろ覚えで操作したため、どこかでエラーをおかしたらしい。思ってもみない異常事態に愕然とし、それから丸2日間、ベトナムで暮らす息子の同級生にアドバイスをもらいながら復旧作業に追われた。3日目の朝、半ばヤケクソ・神頼みの積りでやった「ドライブの再割り当て」で、消えたドライブが復活(PC上で認識)した。
解決の途端、それまでの緊張が一気に緩み、腰痛になり、心身にえらくこたえたことが自覚された。
そのとき、つい先日の高速道路のETCのトラブル(4日後の時点で原因不明)、
埼玉県八潮市で発生した下水道管破損のトラブルが思い出された(「本格的な復旧までは、急いでも3年程度かかる」)。さらには、タービン発電機の発電試験というたった1分未満のありふれた実験中に、原子炉の出力が暴走し、あわや欧州全土で人が住めなくなる大惨事寸前までいったチェルノブイリ原発事故が思い出された。

それまで自分のパソコンのトラブルをこのように大規模トラブル・事故とつなげて考えたことがなかったのに、このときばかりはつなげて考えないではおれなかった。その訳は昨夏、養老孟司の「脳化社会」論を知ったためである。徹底的に効率を追求し、高度の情報管理システムで回っている今の情報化社会が「脳化社会」の行き着いた先であり、この点では規模はちがってもパソコンのシステムも変わらない。それは一方で高速の情報処理を実現して我々に恩恵をもたらしてくれると同時に、ひとたび不具合・トラブルが発生したあかつきには、ときとしてシステムは暴走し、それまで被ってきた恩恵をチャラにするほどの桁違いの障害、トラブルを引き起こす。 

その意味で、「脳化社会」が行き着いた先である私たちの情報化社会とは、一見、快適に見える日常生活の足元で、ひとたび不具合・トラブルが発生したあかつきには想定外の異常事態に至るリスクをはらんでいる「板子一枚下は地獄」の世界である。

そして、私はこれまで、この
「板子一枚下は地獄」を自覚しないまま、パソコンの不具合・トラブルが発生したら、そのつど、泥縄式に復旧に励んで、あとは温泉でもつかってストレスを回復してきた。しかし、養老孟司の「脳化社会」論を知った以上、これが対症療法でしかなく、根本的には「脳化社会」の構造的な問題の解決には指一本、関わっていないということは明らかだった。そして、その場しのぎのお茶を濁す自分の態度に耐えられなくなった。
なぜなら、
私の態度は今の社会の態度と変わらないからーー今の社会は「脳化社会」の構造的な問題に目をつぶり、そこから発生する途方もないカタストロフィーや災害、事故(原発事故、コロナ、ピーファスなど)に対症療法でお茶を濁して済まそうとしているからだ。とりあえず当座のトラブルは収めたかもしれないが、構造的な問題には指一本対策を取らない。その結果、同様のトラブルを対症療法でだましだましし、先送りしているにすぎない。

第100話】で書いた通り、私たちは「脳化社会」号という巨大船舶の乗客であり、この船舶は先端科学技術を備えれば備えるほど難破したときの被害の甚大さは測り知れない。
これに対し、これまで対症療法でも何とかやってこれたんだから、これからも対症療法でいけばいいし、それしかないと考える人がいる。とくに科学技術による経済的繁栄に打ち込んできた人たちはーー自身を否定しないためにもーーそう考える傾向がある。
しかし、その対症療法が結局、「脳化社会」の構造的な問題に目をつぶり、先端科学技術の暴走を抜本的に止めることにならず、人類を絶滅危惧種にまで追い詰めてきたのではないか。
福島原発事故への対策と救済も同様だ。原発事故直後の事故対策が対症療法であったのはやむを得ないとしても、その後14年経った今日まで、原発事故の構造的な問題にまでメスを入れて抜本的な対策を講じる話は聞いたことがない。みんなその場しのぎでお茶を濁して一件落着としている、つまりずっと対症療法を続けている。
その態度は原発事故の救済でも同様だ。原発事故の救済を、この間の対症療法的なやり方を振り返り、原発事故の構造的な問題を踏まえて、抜本的な救済のシステムを構築するという話も聞いたことがない。子ども被災者支援法は生きているらしいが、その関係省庁の役人が抜本的な救済のシステムの構築に向けて検討を進めているという話も聞いたことがない。ここでも過去の対症療法的な救済で一丁上がりとしている。

どこもかしこも対症療法が蔓延している。
そして、この態度こそ原発事故の構造的な問題に目をつぶり、人類を絶滅危惧種にまで追い詰めるのではないか。
人類の破滅的な事態が発生してから、やっぱり対症療法ではダメだったと悔い改めるような真似は断じてしたくない。


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