以下は、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会のニュースレターに書いた今年の抱負の文。
その抱負を具体的に述べたのが
【第100話】311後の日本人は今どこにいるのか?これからどこに向かうのか?
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「311から14年」に思うこと
今年の3月11日、兵庫県市川町で日本版の話をする機会を得た。以下、その中で考えたことを記す。
311から14年が経った。もう14年経ったのか、だが百年付き合わざるを得ない原発事故からみたらまだ14年しか経っていないのか、この2つの思いに引き裂かれている。けれど311を経験したから余計なのだろう、自分自身74年生きてみて初めて分かることがいっぱいあった。それは私にとって世界も未来も一寸先は依然真っ暗闇だからである。だから、これから自分が学ぶことがまだまだ山のようにある。そして、それを自分なりに掴んだとき、今まで知らなかった新しい世界と未来が目のまえに開けてくることを確信している。
1年前出版したブックレットで、日本版市民運動の新しいスタイルとして政治・政策から人権にシフトする必要性を提案した(>こちら)。この時、それは自分にとって画期的なものに思えた。だが、数ヵ月後、養老孟司の「脳化社会」論に震撼させられ、上記の提案も「脳化社会」というコップの中の嵐にすぎないと思い知らされ、吹き飛んでしまった(>こちら)。その結果、「脳化社会」そのものとの対決という私にとっての最終目標が目の前に現れた。なぜなら、今日の社会にあって、私たちの命、健康、自由を損ない、最も苦しめているのは一握りの権力者というよりも、私たちを有無を言わせず管理し服従させる「脳化社会」のシステムそのものにあるからだ。福島原発事故がもたらした大きな傷、それは日本社会を人権侵害のゴミ屋敷にしてしまったことだが、それをもたらした最大の張本人は一握りの原子力ムラや権力者ではなく、「脳化社会」そのものにある。私たちは「脳化社会」と対決する中で、日々の生活の中で奪われてきた「自分の人生は自分で決定する」という自己決定の力を回復させなければならない。私の今年の課題もそこにある。
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