かつて、柄谷行人は、マルクスに対して、
彼の可能性の中心は、それまで喧伝されてきたような「生産様式」にあるのではなく、資本論で追及されてきた「交換様式」の中にある、
と喝破し(「マルクスその可能性の中心」)、終始一貫その問題を追及し、これを2010年の「世界史の構造」の中で、これまでの世界史を「交換様式」から体系化してみせた。 それは賞賛に値する一方で、柄谷行人が明らかにしたいと考えた未来の「交換様式X」については、依然、霧に包まれ、謎めいていた。つまり、真っ暗闇が覆っていた。
他方、その翌年起きた福島原発事故に対して、上の成果がどう活かされるのか、少なくとも私には不明だった。しかし、その新たな問題も、次のマルクスの指摘によって解決の手がかりが与えられることを知った。それは、マルクスその可能性のもう1つの中心である。
これまで、「交換様式」はたいがい「人間と人間の関係」の中で考えられてきた。柄谷行人の「世界史の構造」もそうだ(以下の彼の図式を参照)
しかし、「交換様式」は「人間と人間の関係」に限られない、「自然と人間の関係」の中でも生じる。それを考え、指摘してきたのがマルクス。そのことを柄谷行人は「世界史の構造」の序説の「5 人間と自然の『交換』」の中で指摘した。しかし、それ以上、本論の中では殆ど取り上げないできた。それをより正面から取り上げたのが、その後に書かれた「『世界史の構造』を読む」の『震災後に読む「世界史の構造」』だった。彼もまた、福島原発事故を経験して、「自然と人間の関係」の中での「交換様式」が平時ばかりではなく、原発事故という異常事態時の中で考えなければならないことを実感した。
そこにもう1つのマルクスの可能性があるばかりか、そこにこそ、彼が明らかにしたいと願いながら、依然、霧に包まれ、真っ暗闇の謎の中にいた未来の「交換様式X」が明らかにされる鍵が秘められている。
それが大災害(カタストロフィー)時における「 自然と人間の関係」の中での「交換様式」の問題。そして、それが「人間と人間の関係」に及ぼす影響の問題も提起されている。そのことを日本史の激動期について養老孟司は考察している(平安末期、江戸末期、大正末期の大災害)。
その意味で、柄谷行人が「人間と人間の関係」の中での「交換様式」を世界史を4つに分類したが、今、この4分類ごとに大災害が「人間と人間の関係」にどのような影響を及ぼすのか、検討する価値がある。
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