Xさん
柳原です。
これで最後です。
それは、自分の中の間違いについてです。
この夏に養老孟司の「脳化社会」論に出会って以来、彼の言い方がそうさせた面もあるのですが、てっきり、
人間対人間の関係は「脳化社会」の世界、
自然体人間の関係が自然の世界
という風に対応づけました。
その結果、「脳化社会」に対する強い嫌悪感に襲われた私は、人間対人間の関係すべてがうとましく、嫌悪しないではおれなくなりました。つまり人間嫌いが再発してしまいました。
今度は自分なりに理論的確信が伴うだけに、その人間嫌いは深刻な面があり、ちょっと社会生活が出来なくなりました。
といって、適当なところで、お茶を濁して折り合いをつけるのも嫌なので、正直、かなり参りました。
↓
その結果、今、考えていることは、
1、人間対人間の関係を「脳化社会」の世界と対応づけるのは誤っていること、
2、人間対人間の関係の中にも、「脳化社会」の世界が反映した場面と自然の世界が反映した場面の両方があるということ(尤も、後者は稀でしょうが)、
3、問題は、人間対人間の関係の中に、「脳化社会」の世界の病理を克服し、自然の世界の延長を実現できる世界をどうやったら広げられていけるか、(←この問題提起自体が、いまだ未熟、未完成)。極めて図式的な言い方ですが、従来の人間対人間の関係を自然の世界から再構成してみる(これまで真の芸術家たちが挑戦してきたこと)。
その7は以上。
本当はもっと詰めて考える必要があるのですが、ひとまず区切りをつけるため最後は駆け足になりました。
長々とおつきあい頂き、ありがとうございました。
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