2024年10月4日金曜日

【第13話】(核実験の)放射能問題についての黒澤明の感受性は完璧、最高だ(24.10.4→12.16)

              「生きものの記録」ポスター


黒澤は、1954年のビキニ環礁の水爆実験の第五福竜丸被爆事件に触発され、原水爆の恐怖を真正面から取り上げた映画を製作した。その映画について、黒澤明自身、こう書いている。

この映画は、水爆の脅威を描いている。しかし、それをセンセーショナルに描こうとは思っていない。
ある一人の老人を通して、この問題をすべての人が自分自身の問題として考えてくれる様に描きたいのである。

水爆の脅威を「センセーショナル」ではなく、「すべての人が自分自身の問題として考えてくれる様に」と願って描こうとしたとき、黒澤はどのような選択をしたか。

彼は、水爆の脅威に対する人間の反応を、脳化社会の中にすっぽり安住している人たちの「意識」に焦点を当てて描くのではなく、脳化社会から排除される自然、ここではヒトの中にある自然、つまり「動物としての本能」に焦点を当てて描こうとした。
それがこの映画の題名「生きものの記録」だ。
この映画の題名ひとつ取っても、黒澤の哲学が明確に示されている。水爆とは現代先端科学の
粋を集めた産物である。つまり人工世界(脳化社会)の成れの果てである。だから、水爆の実施(実験)は、人類の破滅をもたらす、もはや人工世界の管理の手には負えない巨大な自然的世界だ。だから、人工世界(脳化社会)に安住する人々の「意識」では、とても、水爆の脅威という巨大な自然的世界に立ち向かうことは出来ない。つまり脳化社会という人工世界の意識で立ち向かうのは不可能であり、そこで黒澤は、ヒトの中に残された自然的世界の部分、つまり動物としての本能」に立ち戻るしかないと悟った。それが「生きものの記録」という題名にこめられている。この黒澤明の感受性は完璧であり、養老孟司の「脳化社会」論を40年前に先取りしている。

黒澤がこの映画で願ったことは、
ーーこの主人公は、人間としては欠点だらけかも知れない。しかし、その一見奇矯な行動の中に、生きものの正直な叫びと聞いて貰いたいと思う。

これはこう言い換えられる。
ーーこの主人公は、脳化社会の人間としては欠点だらけかも知れない。しかし、その一見奇矯な行動の中に、脱脳化社会の生きものの正直な叫びと聞いて貰いたいと思う。

それは70年後の今日、放射能のゴミ屋敷と化した日本社会に対して、人権屋敷の再建を考える私たちの行動とまっすぐつながっている。人権屋敷の再建=チェルノブイリ法日本版への私たちの行動もまた、脳化社会という人工世界の意識で取り組むのではなく、ヒトの中に残された自然的世界の部分、つまり動物としての本能」に基づいて取り組んでいるからだ。

そのあと、黒澤明が生涯を通じて描きたかったことは、この「脳化社会の塀の外に出て生きる勇気ある生きものの正直な姿」であったことに気づいた時、当時65歳の老年の黒澤がシベリア撮影をしてまで撮りたかった映画が「デルス・ウザーラ」であったことに深く合点がいった。「生きものの記録から36年後に再び、放射能と向かい合う映画八月の狂詩曲を撮ろうとした時、彼はこれを脳化社会に侵されていないおばあちゃんと孫たちの魂の稲妻のような交流の瞬間として描こうとしたのかにも合点が行き、感銘に襲われた。


         「生きものの記録」映画パンフレット1955年8月。


0 件のコメント:

コメントを投稿

【第96話】5.10(土)第21回新宿デモのお知らせ(25.3.18)

恒例の脱被ばく実現ネット主催の新宿デモが、5月10日(土)行なわれる。 今回のテーマは2つ、福島原発事故が発生したあと、 放射能による健康被害をなかったことにさせない、 他方で放射能回避のために避難を選択した避難者の住宅問題をなかったことにさせない。 それに正面から取り組んだ 3...