2025年2月16日日曜日

いま、法律があぶないーー法の欠缺をめぐってーー

1、法律家にとっての311
 法律家として311福島原発事故で何に一番驚いたか。それは文科省が
学校の安全基準を福島県の子どもたちだけ年20ミリシーベルトに引き上げたことだ。それは前代未聞の出来事だった。なぜなら、このとき見えない法的クーデタが敢行されたからだ。それについて解説しよう。

2、
法治国家から放置国家への転落
 311まで決められていた年1ミリシーベルトの防護基準は原発が通常運転している時の基準で、それまで安全神話の惰眠をむさぼっていたわが国は原発が事故を起こした時の安全基準を法律で何も定めていなかった。この法の穴を法律用語で「法の欠缺」と言う。
社会生活が変化すれば法律も当然、その変化に対応できない穴が生まれる。コンピュータやインターネットが出現し新しい事態が発生したとき、それまでの法律がこれらの事態を解決する基準を用意してないことは当然だ。法律の使命は「新しい酒は新しい革袋に盛れ」で、新しい事態に対して関係当事者の人権、利益が適正に守られるように新たな法秩序を産み出して名実ともに 正義・公平に適った法律にバージョンアップすることだ。

 そして、原発の世界は1986年に史上最悪の原発事故であるチェルノブイリ事故を経験し、原発を保有する国々はこの事態に対応するよう備えをする覚悟を迫られた。しかし、このとき日本政府は「わが国の原発はソ連の原発と技術も構造もちがう、チェルノブイリのような事故は絶対起きない」と豪語し、その備えをしない途を選択した。そして 311を迎えた。それはチェルノブイリ事故の経験から学ばず、己の科学技術水準に自惚れた日本政府と原発管理者の奢りに脳天から鉄槌を下した決定的な出来事だった。このときもし、日本政府と原発管理者が己の奢りを猛省し、自然界の猛威を謙虚に受け止める姿勢を示したなら、半世紀前、深刻な公害ニッポンの危機に対して、抜本的な対策を取った「公害国会」のようなアクションを取っただろう。つまり原発事故の救済に対して、日本の法律が全面的な「法の欠缺」状態にあることを素直に承認し、放射能による健康被害を受ける関係者の命、健康、暮らしが適正に守られるようにこの穴を埋める新たな法律が作られたはずだ。これが「新しい酒は新しい革袋に盛れ」の通り、たえずバージョンアップする法律の本来の姿だ。
しかし、311で
法律のこの使命は正常に作動せず、「美しい言葉」で語られた子ども被災者支援法の掛け声以外に、現実には、放射能による健康被害を受ける関係者の命、健康、暮らしが適正に守られるようにこの穴を具体的に埋める、チェルノブイリ法に匹敵するような新たな法律は何一つ作られなかった。つまり、311で日本の法律の使命は異常事態に陥って、原発事故の救済について全面的な「法の欠缺」状態が発生し、なおかつその誠実な「欠缺の補充」も見事にひとつも実行されなかった。その前代未聞の異常事態ぶりを端的に示した出来事が次の3つだ。 

3、文科省20ミリシーベルト通知
 一番目が文科省の20ミリシーベルト通知。このとき、日本の法律は原発事故の時の安全基準を何も定めていなかったという「法の欠缺」状態にあった。そのとき、原発事故の時の安全基準について行政庁がなんらかの措置に出る場合には、この「法の欠缺の穴埋め(専門用語で補充)」をする必要があり、その補充した法律規範に従って行政行為をすることが求められた。この「欠缺の補充」にあたっては、まず第1に、我が国において、憲法と条約(国際人権法)は法律の上位規範であり、従って、法律は上位規範である憲法と条約(国際人権法)に適合するように「欠缺の補充」をされる必要がある。ところが、この時、文科省が参照したのは国外の一民間団体でしかないICRPが表明したお見舞い勧告だった。文科省がこの重大な通知を出すにあたって参照したのは、国内の法律でも憲法でも条約(国際人権法)でもなくて、ICRPという私的団体の私文書。国内の法規範に従わず、ただの私文書に従って、これに適合するように、福島県の子どもたちの運命を左右するような通知を出した。これを法秩序の崩壊=見えないメルトダウンと呼ばすして何と呼んだらよいのだろうか。これに比べれば、いま対岸で吹き荒れている、当初あくまでも諮問委員会でしかなく、公式の政府機関ではなかった政府効率化省のトップに就任したマスク氏が、法律に基づかずにトランプ大統領の支持を根拠に、米国際開発局(USAID)の職員に休職措置の通知を出すなど米連邦政府職員の大量解雇を開始した振る舞いが、まだずっとマシに思えるほどだ。

4、
学校環境衛生基準
 二番目が、法の欠缺を補充する義務を日本政府がボイコットした学校環境衛生基準。半世紀前、深刻な公害ニッポンの危機に対処するため、この時世界最先端の安全基準を制定するに至った。それが、子どもたちの通う学校の環境衛生基準として毒物に生涯晒された場合、10万人に1人に健康被害が発生というもの。ところで、311後に環境基本法を改正し、それまで適用を除外していた放射性物質を同法の規制対象に組み込んだ。その結果、放射性物質も他の有害物質と同様、生涯晒された場合、10万人に1人に健康被害が発生が環境衛生基準となった。これを日本政府は学校環境衛生基準として書き込む義務を負うに至った。ところが、これをストレートに表わすと、年0.00286ミリシーベルト、つまり年20ミリシーベルトの7千分の1の値。半世紀前に導入し確立された学校の環境衛生基準の根拠に従ったこの数値を、しかし、日本政府は放射性物質の学校環境衛生基準として制定しようとしない。つまり環境基本法の改正によって自分に課せられた義務、その履行を日本政府は白昼堂々とサボっている。これではもはや法が支配する法治国家ではなくて、無法が支配する放置国家だ。

5、災害救助法 
 三番目が、原発事故で避難した被災者(これが国際人権法上の「国内避難民」であることは日本政府も認める)の救済に適用された災害救助法。
災害救助法は実は、311まで原発事故を想定していなかったため、当然その救助も想定しておらず、その結果、原発事故の救済について、全面的な「法の欠缺」状態にあった。しかし、他の法律と同様、災害救助法もまた311後に率直な自己反省の中から、「国内避難民」の人権保障を実現するための誠実な「欠缺の補充」を行う法改正をひとつも実行しなかった。福島原発事故の救済について全面的な「法の欠缺」状態のまま、福島県トップの内堀知事は無償提供の打切りという決定を下し、「国内避難民」である区域外避難者を避難先としてあてがわれた仮設住宅から追い出した。これに比べれば、政府効率化省トップのマスク氏の振る舞いがまだマシに思えるのは私だけだろうか。

6、法律があぶないとき、どこに向かうべきか
 以上の通り、いま、法律は、未だかつてないほどあぶない。だが、その解決は法律の解決だけでは済まない。その時、法律を支えている(というより、正確には法律が奉仕している)私たちの社会生活そのものが未だかつてなくあぶないからだ。だから、法律の危機とは社会生活に対する差し迫った危機のイエローカードのこと。いま、法律の使命が異常までに機能不全に陥っているのは、法律の根底にある私たちの社会生活が原発事故で破綻しただけでなく、実はいま、至る所で破綻をきたしているからだ。昨年11月、文科省から発表された「小中学生の不登校が過去最高、いじめも重大事態」は不登校・いじめを引き起こす現代社会の構造にメスを入れない限り、いくら法律の改正に励んでも何も変わらないことを示している。
昨年来、日本中を騒がせている水道水のピーファス問題も、ピーファスという4700種類以上の有害化学物質を産み出した現代の先端化学技術のあり方にメスを入れない限り、いくら法律の整備をしたところで絵に描いた餅で終わることを示している。それと同様、原発事故の救済問題も、例えば「国内避難民」である区域外避難者の住宅問題の解決ひとつとっても、災害救助法や福島県知事決定の根底にある、従来の自然災害とは根本的に異質な放射能災害の特質・桁違いの長期戦を余儀なくされる構造的な課題に正面から目を向けてメスを入れない限り、たとえどんな立派な法律論でいくら災害救助法の改正に励んでも「カエルの面にションベン」である。

 半世紀前、公害問題で苦しんだ日本社会は、無数の無名の市民と宇井純、原田正純、田尻宗昭、戒能通孝、美濃部亮吉元都知事らが命がけで公害問題と取り組み、尽力を尽くした末に、先端科学技術の枠組みの中で問題の解決を勝ち取った。しかし今、日本社会は放射能災害、ピーファス問題などこれら先人の努力の賜物が無に帰すような新たな問題の試練にさらされている。今度の試練はもはや先端科学技術の枠組みの中では問題の解決が出来ない様相を帯びているからだ。いま、私たちは先端科学技術の枠組みの外に出て、それと一線を画す新たな視点で問題解決の探求が求められている。私はその手がかりを養老孟司の脱「脳化社会」論とチェルノブイリ法の日本版に見出している。
 しかし、紙面が尽きたので、
この手がかりについてはまた別の機会に書こうと思う。

(2025.2.16)

 

 


2025年2月14日金曜日

【第90話】【第73話】の「僕の森は戦場だった」の本人の音声ファイルの追加(25.2.14)

本日、1月27日の住まいの権利裁判で意見陳述した原告本人から音声ファイルが送られてきたので、ネットに公開(当日の裁判の報告>【第73話】)。
この音声は、後日、彼が意見陳述原稿(全文>こちら)を読み上げたもの。けれど、その朴訥な語り口は裁判当日と変わらない。
自分から意見陳述しますと志願した彼が、どんな心境で、311後に激変した自身の苦難の14年間を振り返って、裁判所に語ろうと思ったのか。また、311まで彼がどのように自然の中で「木こり」として生きてきたのか。そうしたことについて、彼の朴訥な語り口から思いをめぐらす。

    以下の写真は、原告らが国と東京都から避難先として提供された東雲の国家公務員宿舎



【第73話】「僕の森は戦場だった」:福島の木こりだった避難者が住まいの権利裁判で意見陳述(25.1.31)

               意見陳述原稿1頁目(全文>こちら


2025年2月12日水曜日

【第89話】2025年のつぶやき7:ジソブがとうとう結婚した(25.2.13)

韓国ドラマ「カインとアベル」(2009年)主演のソ・ジソブ

昨日、あのソ・ジソブがついに結婚したことを知った。
311のあと、頭の中がグジャグジャになり、原発事故という未曾有の異常事態とどう向き合うのか逡巡する中、目の前に現れたのが古代イスラエルの旧約聖書の預言者たちだった。
人権も憲法もない古代イスラエル国家の圧制のもとで、思い切り逡巡しながらも、圧制に抵抗して避難(出エジプト)を説き、実行に移したモーセ。「暗い見通しの中で希望を語り続けた」預言者エレミヤたち。 
その中で、日本の映画・ドラマは観ることができなくなり、唯一、惹きつけられたのは韓国のドラマ「エデンの東」「カインとアベル」。


「エデンの東」第2回「父の死」
そこには、お前が死んでも墓を暴いてでも復讐するといった不退転の執念が描かれていた。
そこに登場したのがソ・ジソブ。
彼の演技を超えたリアリティに一も二もなく惹きつけられた。
そのあとの彼が出演するドラマにも惹きつけられた(「ゴメン愛してる」「バリの出来事」)。
それは市民の手で独裁制を退場させた1987年の民主化後の韓国が舞台だったが、彼が演じる登場人物はみんな民主化された韓国の中での悲劇・苦悩を象徴的に示していた。

それは、昨夏気づいた「もうひとつの独裁制」である「脳化社会」の塀の中に生きる悲劇・苦悩だった。
だが、その悲劇・苦悩を演じるジソブ自身の次第にその殺伐としていく風貌を見ていて、彼は実生活の中で、その悲劇・苦悩に耐えられず、押しつぶされてしまうのではないかと思った。

……しかし、とうとう彼は同伴者を見出した。
四半世紀前の盟友パク・ヨンハの自死を乗り越えて、新しい絆を作っていこうと一歩前に出た彼に心から祝福したいと思った。
そして、ジソブ、もう一歩前にーー君がドラマで散々演じてきた舞台、現在の韓国=「もうひとつの独裁制」である「脳化社会」、その塀の外に出ることをめざそう、今度は同伴者もいるし。

2025年2月11日火曜日

【第88話】2025年の気づき7:10年ぶりにノーム・チョムスキーの可能性の中心が見つかった気がした(25.2.11)

これまで、頭の中がグジャグジャになり、「幕末の黒船のごとく、能天気に眠りこける私の脳天を一挙に打ち砕いた」衝撃的な体験が3回あった。1つめは1989年6月、中国国家が市民を虐殺した「天安門事件」。2つめは、2003年3月、アメリカ国家がイラクを侵略した事件。3つめが2011年3月に発生した福島原発事故。

1つめの「天安門事件」のあと、柄谷行人しか読むに値するものはなかった>駄文(そして30年後、「天安門事件」の意味を丸山眞男から教わった>こちら)。
2つめの米国のイラク侵略のあと、「アメリカこそ世界最悪のテロ国家」(リトルモア)と喝破したアメリカ人のチョムスキーしか読むに値するものはなかった。マスコミはマスゴミとして読まず、彼のアーカイブ(>HP)もしくはデモクラシーナウ(>HP)にアクセスするしかないと思った。

3つめの福島原発事故のあと申し立てたふくしま集団疎開裁判の支援のために、チョムスキーに連絡を取ろうと思い、2012年1月、彼からメッセージが届いた。それは2千数百年前の古代イスラエルの旧約聖書に登場する預言者のような次の言葉だった。

社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。日本にとって、そして世界中の私たち全員にとって、この裁判は失敗が許されないテスト(試練)なのです。」(2012年1月12日>原文

その後も、集団疎開裁判の節目節目に、彼はこのような明快なメッセージを寄せてくれた。


福島のような大惨事を防ぐために解決しなくてはいけない、化石燃料、原子力、代替エネルギーや組織にまつわる問題が山済みであることは事実ですが、一部の問題はとても緊急を要するもので、他のいかなることよりも最優先されなくてはいけないことの第一は、 被ばくの深刻な脅威にさらされている数十万の子どもたちを救うことです。
 
この緊急の課題に対して解決策を見つけ、政府にそれをさせるためのプレッシャーを日本の市民の力でかけなくてはいけません。そして、その非常に重要な取組みに、私も支援できることを望んでいます。

そして、第二次疎開裁判の原告探しが困難な状況の中にあったとき、2014年3月、来日したチョムスキーの激励を受け(以下の面会)、決意を新たにして原告探しに励み、同年8月、第二次疎開裁判=子ども脱被ばく裁判の提訴に漕ぎ着けた。


しかし、子ども脱被ばく裁判の審理が開始されたあと、チョムスキーへの依頼がパタッと途絶えた。最大の理由は、緊急の仮処分を求めた最初の疎開裁判と異なり、今度の裁判が科学裁判として問題の解明にかなりの時間を要する長期戦となったため、彼に緊急アピールを求める局面がなくなったことによる(ただし、チェルノブイリ法日本版の会の節目にはその都度、彼から暖かい激励のメッセージが寄せられた>2018.3結成集会。2019.8直接請求アクション

そうこうしているうちに10年が経った。
ここしばらく、子ども脱被ばく裁判の振り返りをする中で、自分がいかにチョムスキーに支えられてきたか、改めて思い知り、今、再び、彼の存在が何であったのか、とりわけ昨夏遭遇した「脳化社会」論からみて彼は何であったのか、これを自問自答のように考えてきた。

実は、チョムスキーが明らかにするアメリカ国家の欺瞞性、悪辣さぶりは、それがアメリカ国家の正体を暴くものとして文句なしに重要だと思う反面、次第に、それだけでは何か足りない、この悪を克服するためには、さらに何かが付け加わらないとダメではないかと物足りなく思うようになった。しかし、私自身がその足りないものが何か分からず、ボーとしたまま時間が経過した。昨夏、「脳化社会」論に出会ったとき、これがチョムスキーに対して私が物足りないと思っていたこと(の1つ)ではないかと思った。
そこで、私はひとまずチョムスキーから離れて、自分で「
脳化社会」論から311後の日本社会を認識してみようと思った。
そして、たまたま今日、デモクラシーナウの以下の動画(ハワード・ジンと出演)を観た。
In Rare Joint Interview, Noam Chomsky and Howard Zinn on Iraq, Vietnam, Activism and History(2007年4月16日)


それは例によって、アメリカ国家ら権力者たちの欺瞞を暴くものだったが、チョムスキーの姿勢が改めてとても印象に残った。それが、まるで狼が獲物を嗅ぎつけるように、権力者たちの欺瞞をこれでもかこれでもかとくんくん嗅ぎつける彼の執念だった。その執念は「脳化社会」の塀の中の人間の振る舞いというより、「脳化社会」の塀の外の自然界に住む生き物の振る舞いのように思えた。

思い起こせば、彼の生い立ちがそもそも「脳化社会」の塀の中の人間の振る舞いではなかった。小さい頃から自分のしたいこと、欲することしか関心がなくて、大学も教室の正規の授業なぞ全く無視して、気に入った教師の家に入り浸って、興味の向くままに学びをしてきた。殆ど野良犬みたいな学生だった。

彼が理想とするアナーキズムも、普通のそれとはかなり異質だ。インタビューで、こう答えている。
生活のあらゆる側面での権威、ヒエラルキー、支配の仕組みを探求し、特定し、それに挑戦することにおいてのみ、意味があると思っています」 

つまり、彼が理想とすることは、抑圧、人権侵害に反抗、抵抗すること、その実行にのみ自由、人権保障の意味があると考えていること。最初から自由、人権があるのではなく、抑圧、人権侵害への反抗・抵抗を通じてのみ初めて自由、人権が見出せる、と。
人権のエッセンスは抵抗権にある(宮沢俊義)、彼のアナーキズムのエッセンスもこれと同じだ。昨年出版したブックレット「わたしたちは見ている」のエッセンス=人権侵害と抗うことを通じて人権保障を実現する、これと彼のアナーキズムのエッセンスも同じだ。


確かに、チョムスキーは「脳化社会」批判を口にしない(私が知る限り)。しかし、そうだとしても、彼自身の生き方そのものが「脳化社会」の塀の外の自然界に住む生き物の振る舞いであって、この意味で「脳化社会」批判なんだ。

彼が権力者たちの欺瞞を、狼が獲物を嗅ぎつけるように飽くなく嗅ぎつけたように、私も「脳化社会」の破綻をくんくん嗅ぎつける努力をすることーーそれが今、彼から授かった最大の宝物という気がする。

2025年2月10日月曜日

【第87話】2025年の気づき6:昨年出版したブックレット「わたしたちは見ている」のエッセンスを12年前の官邸前アクションで語っていた(25.2.11)

昨年出版したブックレット「わたしたちは見ている」のエッセンスは、
原発事故の救済は政策論争のレベルのことではなく、人権問題のレベルのことだ。
だから、原理的に賛成・反対はあり得ず、誰も反対しない、できない問題だ。
しかし、現実には、この問題は国政に大きな影響をもたらす、という理由で、様々な思惑、政争に絡め取られて、結果的には、救済がボイコットされ、途方もない人権侵害が放置されている。
いま改めて、
原発事故の救済を正しく、人権侵害の救済の問題として解決すべきだ。

ところが、これと同じことを既に、12年前の2012年のふくしま集団疎開裁判の二審の官邸前アクション(2012年9月28日)の中で語っていたことを発見(以下の動画)。
本来、人権問題であるのを、政策問題にすり替えて、子どもたちの命、健康が脅かされている。この由々しい事態は断じて許されないと。 

本来なら、このエッセンスをその後も我々の根本の主張して、一貫して強調、主張すべきだった(なぜ、それが出来なかったのか。ひとつは人権の認識が弱かった、表面的だった)。


    2012年9月28日 ふくしま集団疎開〜明日、仙台高裁で審尋(Ourplanet-TV)

【第86話】パンセ:311後の日本社会からAIを評価する「AIは人類の希望の星なのか、それとも絶滅の道具なのか」(25.2.11)


ベランダにやってきた沈思黙考中のカエル
 
今朝、ベランダにやってきた朝飯中のヒヨドリ

AIをボロ糞に言う人がいる。
しかし、AIが無条件にボロ糞なわけではない。でなかったら、ここまでAIが人々に使われるはずがないから。
AIに使用価値があるとしたら、それはコンピュータやインターネットという脳化世界の中で、膨大な情報から必要なものを取り出してくる検索機能にある。原理的にそれ以上でもそれ以下でもない。

世のAI学者は一生懸命、検索機能に学習機能を付け足して、検索機能の精度をあげようとする。確かに精度はあがるかもしれない。けれど、それだけ。所詮、脳化社会の中での精度の向上でしかない。

ひとたび、脳化世界の塀の外の自然世界に出たなら、この自然世界に対しては、そんな検索機能も学習機能もーー全く無力だとは言わないがーー脳化世界の中で発揮するような精度は全く保障されない。そんな論理一辺倒で割り切れるほど、自然世界は単純ではないから(それは福島原発事故の収拾の陣頭指揮に立って亡くなった吉田所長の証言に赤裸々に示されている)。

この訓えを忘れて、脳化世界の中でAIが発揮する成果がそのままその塀の外の自然界でも通用すると思い込むとき、それが「安全神話に眠り込む」ということだ。それが破綻したことは2011年3月11日の福島原発事故の発生で証明された。

にもかかわらず、そのあとすぐに、この安全神話が復活した。今度は原発事故の健康への影響をめぐって健康被害のデータがないからという恐ろしく貧しい理由で。 脳化世界で重宝されるデータが脳化世界の塀の中でひとつの約束事としてそれなりに通用するのを一概に否定はしない。けれど、それが脳化世界の塀の外の自然世界にそのまま通用するほど、自然世界は単純ではない。

しかし、脳化世界に生きる人たちは、絶えず、この「安全神話に眠り込む」ようにコントロールされている。この刷り込み(マインドコントール)は、これまでやられてきた宗教(オウム真理教、統一教会など)や政治(ヒットラー、スターリンなど)のどんなマインドコントロールよりもずっと精巧で、陰湿で、強力だ。だから、人々はいとも簡単に、自分が住んでいる脳化世界がこの世の世界だと信じ込んでしまう。しかし、これは地球誕生以来、厳然と存在し続けてきた自然世界をじわじわと浸潤してきた人工世界のことなのだ。

この脳化世界と自然世界の厳然たるちがいを忘れて、 人がAIやデータに依存し、これらに支配された脳化世界に安住し続けるとき、そのとき、養老孟司が警鐘を鳴らしたように、「AI支配でヒトは死ぬ」。

それは誇張でもハッタリでも何でもない。

311を経験し、原発事故の救済を何一つ出来ないでいる私たちはいま、脳化世界の成れの果てに立っている。

           

【第86話】2025年の気づき5:「市民立法」のエッセンスを司法で実現していたのが2012年の「世界市民法廷」(25.2.10)

 以下は、2012年のふくしま集団疎開裁判の「世界市民法廷」その可能性の中心を探る試み。

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「市民立法」のエッセンスは「市民の自己統治」。自分たちの暮らしは自分たちで考え、他人に決定されるのではなく、自分自身で決定する(自己決定)。

それは現代の代表民主制、分業社会では容易なことではない。しかし、社会の大変動のとき、カタストロフィー(大災害)のとき、代表民主制・分業社会の機能不全が露わになったら、「生きる」ことを放棄しない限り、その時には「市民の自己統治」に戻るしかない。
その「市民の自己統治」を立法(法律を作る)場面で実行するのが「市民立法」。
これを、政府が機能不全に陥っている原発事故の救済で具体化しようとしてするのが市民立法「チェルノブイリ法日本版」の運動。

だったら、「市民の自己統治」を司法(法律を適用する)場面で実行するのは「市民法廷」。
だったら、2012年2月・3月に東京と郡山でやった「世界市民法廷」は、裁判所が機能不全に陥っている原発事故の救済で「市民の自己統治」を具体化したものだ。

つまり2012年に、私たちは、「市民立法」の司法版を知らないうちに実行していた。

道理で、「世界市民法廷」を開催したあと、今まで経験したことのないほどの充実感、ものすごい手ごたえを感じた。その手ごたえは、市民がみずから自己統治を実行していたからなんだと今、気 がついた。

だとしたら、市民立法の新しいビジョンも先行した「(世界)市民法廷」から与えられる気がした。それが、市民が自分たちで法律を制定するプロセスを「(世界)市民法廷」のように、演劇のカタチで市民の前に発表するというもの。そして、その市民立法の演劇を観た市民が、一種の陪審員(主権者)として、私たちが発表した市民立法に是か非かの評決を下す(もちろん理由も述べて)。
採決は「世界市民法廷」の評決のように公表され、公表された一覧表を世界中の市民が眺めて、そこで理解を深め、自らも評決を投じる。

こうした方式は「世界市民法廷」でやってきたことだが(>こちら)、これがひとつひとつ「市民の自己統治」を具体化するものであるなら、これらは「市民立法」にも応用できるのではないか。その気づきの前に戦慄が……(続く) 

【第85話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心番外編その4「311直後から真理をズカッと語ってきた山本太郎の永久保存版の言葉」(25.2.10)

ノーム・チョムスキー

2003年世界社会フォーラム(Wikipediaから)

山本太郎

   2011年10月15日疎開裁判郡山デモ


311直後、日本の知識人が沈黙する中、外からズカッと真理を語ったのが米国のアクティヴィスト、言語学者のノーム・チョムスキー。彼はふくしま集団疎開裁判の世界市民法廷(>映像ドキュメント世界市民法廷への道(1) 同(2))に向けて、次のように語った。

社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。日本にとって、そして世界中の私たち全員にとって、この裁判は失敗が許されないテスト(試練)なのです。」(2012年1月12日>原文

311直後、日本の知識人が沈黙する中、外からズカッと真理を語ったもうひとりのアクティヴィスト。俳優の山本太郎。彼はふくしま集団疎開裁判の仙台高裁決定直後の新宿デモで、次のように語った。

原発が嫌だということは被ばくが嫌だからですよね。
放射性物質と人間の体は合い入れないものだ、だからこそ嫌なんだってことなんですもんね。
脱原発だけ言って被ばくを言わない政治が、一体何なんだってことなんですよ。
子ども被災者支援法、形だけ作ったけどその後どうなってんだってねぇ。
これに予算つけるまでは補正予算なんかにOK出さないよって、なんでそういう駆け引きしないんですかね。
(2013年5月18日新宿デモ>彼のスピーチ

野党(国民民主党)が「年収103万円の壁」、引き上げなければ補正予算にOK出さないよ、と駆け引きして引き上げさせたのはつい最近の話。つまり、やる気があればいくらでもやれるってことを鮮やかに証明して見せた。その真実を11年前に指摘したのが山本太郎。 

そして、彼の上記発言は同時に、これを聴く我々市民に対して単刀直入の次の問いかけでもある。

脱原発だけ言って被ばくを言わない市民、一体何なんだってことなんですよ。



2025年2月8日土曜日

【第84話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心番外編その3「山本太郎との掛け合いの中で決意を新たにした永久保存版の言葉」(25.2.9)

        2011年12月14日疎開裁判一審決定後の記者会見(山本太郎さんからの呼びかけ)

2月、14年間のふくしま集団疎開裁判と子ども脱被ばく裁判の振り返りをしていて、次の結論に達したと【第79話】のラストに書いた。

結論
とはいえ、子ども脱被ばく裁判が掲げた目標は、裁判を起こし、審理するだけでは実現されません。そのためには、真実の力と正義の力だけでは足りず、さらに市民の力つまり、この裁判の意義を共有する市民の巨大なネットワークが必要です。なぜなら、この裁判は、福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判だからです。だから、それはこの裁判が最高裁で幕引きされたあとも続きます。福島原発事故の救済はなにひとつ果たされておらず、深刻な陥没状態のまま、完全な未解決状態にあるからです。従って、この課題は、この裁判が明らかにした真実と正義の力を活用しながら、原発事故の完全救済をめざす市民の巨大なネットワークの形成と取り組む市民運動の中で実現される。


しかし、弁護団の井戸謙一さんは、疎開裁判の申立のときに既にこの真理「市民の連合の力こそ最強」を表明していたことを
第81話】に書いた。


他方、私も、
疎開裁判の一審決定が野田首相の冷温停止宣言と同日ほぼ同時刻に出された2011年12月14日の記者会見の場で、東京から駆けつけた山本太郎さんから「一審決定に対する逆転」の呼びかけに応える中で、この真理「市民の連合の力こそ最強」を表明していたことを思い出し、それが翌年からの世界同時発信の世界市民法廷(>呼びかけ)として、そして翌夏からの官邸前、国会前、文科省前、財務省坂上でのアクション(>呼びかけ)として具体化されたこと、それは今、生成途上の現在進行形の取組みであること、そしてこれが私たちの行動の原点であることを今、再び胸に刻む。

山本太郎さんのコメント


太郎さんからの「一審決定に対する逆転」という呼びかけに応えた私のコメント



2025年2月7日金曜日

【第83話】2025年つぶやき7:子ども脱被ばく裁判の最高裁棄却決定から日本版を再発見する(25.2.7)

                                       今日、ベランダにやって来たヒヨドリ

昨年11月29日、大阪高槻市でやったチェルノブイリ法日本版の学習会(>報告)。そのレジメの表題は
脱「脳化社会=セルフネグレクト社会」から日本版を再発見する(>レジメ

ちょうど同じ頃、子ども脱被ばく裁判の上告審で、最高裁は棄却する決定を出した(>報告)。
それを受けて、311から14年続けられた2つの脱被ばく裁判を振り返り、
子ども脱被ばく裁判の最高裁棄却決定から日本版を再発見する
を引き出す必要があると考えた。
それをやったのが以下である。

2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その1「未来について語る」(25.2.5) 

同上その2「外圧の力 

同上その3「狐につままれた二審決定

同上その4 「最高裁判決は理由をボイコット

同上その5 「法治国家の滅亡

同上その6 「子ども脱被ばく裁判が日本を変えた

同上番外編園良太さんが私を変え、新人類の仲間入りをさせてくれた

同上番外編2疎開裁判の申立の時、永久保存版の言葉を語っていた井戸謙一さん

2025年2月6日木曜日

【第82話】2025年つぶやき6:私は希望を恐れない。 だが、(25.2.6)

私は希望を恐れない。

だが、虚偽を恐れる。

最も恐れるのは、

虚偽の上に希望を託すこと。

放射能災害のあと、虚偽の上に希望を再建すること。

それが虚偽まみれのソ連を崩壊に導いた。

右ならえで、同じ道を同じ事故を起こしたこの国も歩んでいる。

だから、放射能災害のあと、最も必要なのは

勇気

虚偽を恐れる勇気。


            クマタカ  野鳥の素顔 <野鳥と日々の出来事>

【第81話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心番外編その2「疎開裁判の申立の時、永久保存版の言葉を語っていた井戸謙一さん」(25.2.6)

    私の大学:足立区の都営団地と生活保護不正受給事件の法廷前の廊下(1972年)

            
ここ数日、14年間のふくしま集団疎開裁判と子ども脱被ばく裁判の振り返りをしていて、次の結論に達したと【第79話】のラストに書いた。

結論
とはいえ、子ども脱被ばく裁判が掲げた目標は、裁判を起こし、審理するだけでは実現されません。そのためには、真実の力と正義の力だけでは足りず、さらに市民の力つまり、この裁判の意義を共有する市民の巨大なネットワークが必要です。なぜなら、この裁判は、福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判だからです。だから、それはこの裁判が最高裁で幕引きされたあとも続きます。福島原発事故の救済はなにひとつ果たされておらず、深刻な陥没状態のまま、完全な未解決状態にあるからです。従って、この課題は、この裁判が明らかにした真実と正義の力を活用しながら、原発事故の完全救済をめざす市民の巨大なネットワークの形成と取り組む市民運動の中で実現される。

つまり、ふくしま集団疎開裁判から14年目に、この結論を確認した。

‥‥と思って、この裁判関係の情報をネットで辿っていると、落合恵子さんのブログに、ふくしま集団疎開裁判の申立てをした2011年6月24日。

その時、債権者代理人のひとり井戸謙一さんの喋った次の発言が紹介されていた。 

裁判所としては,何らかの救済が必要だと思っても,救済を求めているのが一部の親に過ぎず,それによって,救済を求めていない多くの子や 親に重大な影響を生じうるような決定を出すのは,出しにくいと思います。
すなわち,債権者になっているのは少数の親に過ぎないが,
これを支持するサイレントマジョリティがいることを示さなければ,
裁判所は積極的な決定は出せないと思うのです。
裁判所が最もナーバスになるのは市民の連合の力です。
そこで、当日、少しでも多くの方が、郡山支部の裁判所に集まっていただくようお願い申し上げます
」。(落合恵子
Journal of Silent Spring

最強の力は「市民の連合の力」であると。
まさにその通り、何という的確な言葉だろう。
彼は、私がそれから14年目に辿り着いたのと同じ結論を既にこの時発信していた。 

そして、この真理の言葉は裁判だけに限らない。市民立法をはじめとしてすべての社会運動に当てはまる。

その上で、本当の課題はこれをどう実行するかにかかっている。

かつてカミュが「犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、証言することへの執念のほか、この世に何があるだろうかと言ったように、今、自分たちの目の前には次がある。

犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、市民の連合の力を実現することへの執念のほか、この世に何があるだろうか

 

 

2025年2月5日水曜日

【第80話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心番外編「園良太さんが私を変え、新人類の仲間入りをさせてくれた」(25.2.6)

これは、私が市民運動の旧人類から新人類に変化を遂げたーーそれも、サナギがチョウに変化したら元に戻らないように、後戻りすることのない変化を遂げた瞬間を振り返ったもの。

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疎開裁判の申立から1年経った2012年6月24日、今まで一番長いブログ記事を投稿した。

「6.24」提訴から一周年の思い――なぜ、ふくしまで集団疎開が実現しないのか
https://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/07/blog-post_06.html

なぜ、こんな長い文を書いたのか。その理由は単純で、1年やってきて、裁判の取組みが膠着状態となり、このままではジリ貧だという追い詰められた気分に陥り、そこから何とか打開策を求めてもがいていたからだ。それは社会的裁判にとっての3本柱のうち、真実の力(事実問題)でも、正義の力(法律問題)でもなくて、最後の市民の力だった。マスコミの完全黙殺により、市民の力の結集が圧倒的に不利になっていて、そこを打開するために、今までのやり方、市民運動の経験者による集会開催、記者会見、署名といった伝統的なやり方では足りないことが明白だった。

ならば、それに代わる新たなやり方はどこにあるのか。「新しい酒は新しい革袋に盛れ」をどうやって実行したらよいのか。せっかく世界市民法廷で高揚した市民運動を、このあと、どうやって維持、発展させていったらよいのか、その展望が見つからず、悶々とする日々が4,5,6月と続いた。

その中で出会ったのが若者園良太さんだった。彼は言った
「外に出ましょう」
!?
それまで、裁判の訴えをするのは法廷か屋内の集会か記者会見場と決まっていて、どれもみんな建物の中だった。しかし、彼はそんなまだろっこしいことはやめて、ズバリ路上で、それもあたり構わず、どこでも訴えることを勧めた。

こうして、2012年7月の金曜日、教師に引率されて生まれて初めて遠足に出かける小学1年生のガキみたいに、トラメガを持つ園さんに引率されて、官邸前に出かけた。そこは反原連主催の金曜アクションが行なわれていて、たくさん人が集まっていた。だが、私たちの出番はなかなか来なかった。すると、園さん曰く
「行きましょう」
!? どこへ
と尋ねる間もなく彼はスタコラ移動して、官邸脇の路上で、少しスペースのある場所を探しては、そこに立って、トラメガを使ってガンガン、アピールし始めた。そのあと、私にマイクを渡しながら言った。
「柳原さんの番です」
!?

生まれてこの方で、路上で大声をあげてアピールする経験なぞ一度もなかった私はどぎまぎした。しかし、園さんの決然とした姿に「出来ない」とも言えず、迷った末に、えい、今さら失うものは何もないと、とは言っても恐る恐る、清水寺の舞台から飛び降りるような気分で夢中でなにか喋った。
これが生まれて初めての路上スピーチデビューだった。その瞬間、自分がサナギからチョウに羽化したような、否、これは水中動物が長らく棲んでいた水中とオサラバして、陸にあがって陸上動物に進化した瞬間のように、全身が生まれ変わったような気がした。八百年前の鎌倉仏教の逵説法も、こんな風にしてやったのかと一瞬、感慨がよぎった。が、そんな感慨に浸る間もなく、園さん曰く
「次、行きましょう」
そこから別のスピーチの出来る場所を求めて移動した。そして、新しい場所でまたガンガン、アピールした。この彼のテキパキした行動力に、半ば驚驚嘆し、半ばちょっと待ってと付いて行くのがやっとだった。

この瞬間、疎開裁判の運動のスタイルが一変し、新たなスタイルが確立した。
折りしも、路上には、政府の原発事故救済政策に不信、不満を抱く市民が大勢駆けつけていた。こんなチャンスはあるものかと、路上で訴える確かな手ごたえを確信した。

それまで閉塞状態にあった私は、わらをも掴む思いで、7月27日から「建物から外に出て、路上で訴える」路上アクションのスタートに打開の道を賭けました。
子どもたちを核戦争から守れ! 7.27ふくしま集団疎開裁判官邸前抗議行動、スタート&第3回世界市民法廷(官邸前広場)の開催
https://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/07/blog-post_23.html

それは、それまで屋内で開催して成功した世界市民法廷で高揚した市民運動を、今度は路上で、官邸前広場で世界市民法廷を開くというやり方で、この運動を発展させるというものでした。

その成果は直ちに現れて、官邸前に来た山本太郎さんが、人々にこの裁判の重要性を熱く訴えて、人々に届けた(以下の動画)。


そして、人々のアドバイスもあり、園さんの「いつでもどこでもアピール」というスタンスで、路上アクションの場所を官邸前に限定せず、広く長時間使える場所として文科省前と財務省坂上に陣取って、毎週金曜日、この裁判の最新情報を、人形劇形式、遠方にいる小出裕章さんらとの電話中継、武藤類子さん指導のかんしょ踊りなどなど、様々な出し物を交えて、疎開裁判を市民が裁く「路上世界市民法廷」をやり続けました。

その中で、毎回、大勢、共感した市民が「私も何か」と手を上げると、園さんがテキパキと、「はい、あなた、来週からこれやって下さい」と差配をしてくれて、見る見るうちに何十人もの集団に膨れ上がった。2012年10月に国連ジュネーブに福島の現実を訴えに行くプロジェクトを立てたのも、金曜アクションに来たスイスとイギリス在住の人たち(彼らが国連で通訳を担当してくれた)との交流がきっかけだった。様々なアクションがみんな、この時の路上アクションから始まった。
それがふくしま集団疎開裁判の運動を支える市民の強力なネットワークの核になった人たち(当時はふくしま集団疎開裁判の会、今の脱被ばく実現ネット)だった。


 2012年10月5日  ふくしま集団疎開裁判 財務省坂上アクション

まとめ。
このとき、市民の強力なネットワーク形成の種をまいたのは、
「外に出ましょう」
と声掛けしてくれた園良太さんです。彼はあたかも雪の結晶を作るチリのような存在でした。もし彼がいなかったら、この時の市民の強力なネットワークの結晶は出来なかった。
なぜなら、311後の市民運動は、過去に経験したことのない未曾有の過酷事故=福島原発事故に相応しい、その未曾有さに匹敵するだけの新しいスタイルが求められていたのですが、この時、路上アクションという原発事故に匹敵する新しいスタイルが誕生した。その新しさを誰よりも早く、的確に、直感で掴んでいたのが新人類の園さんで、その新しさを分かっていなかった旧人類の私は彼の後押しナシには、この新しいスタイルの運動にとうてい入っていけなかった。

あれから13年が経過、今また、この時の経験を、現時点の状況の中で活かすための振り返り、創造的な取組みが求められている。それに立ち向かうためにも、市民の強力なネットワークの形成の種となった2012年夏の経験の意味を振り返る必要があると痛切に感じている。


【第79話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その6「子ども脱被ばく裁判が日本を変えた」(25.2.5)

           2025年2月7日、ベランダにやってきたヒヨドリ(川越)

下の原稿のスピーチ(あとで喋り直した完全版)



アンコール(追伸)その1
子ども脱被ばく裁判最高裁判決が「理由をボイコット」した理由

それは最高裁が私たちを敵視していたからではない。私たちが示した理由をくつがえすだけの理由が示せなかったからだ。

 最高裁とて、司法の本来の姿が「理由を示してなんぼ」の世界であることは百も承知している。だから、国の原発事故の責任を否定した6.17判決も理由を示した。しかし、この裁判ではそうはいかなかった。
私は、上告理由書の作成に参加したとき、これがもし将棋の世界だったら、藤井七冠のように完全に詰んだと確信した。最高裁がもし将棋の世界のように理詰めで、私たちが示した理由をくつがえそうとしたら、自分たちは詰んだと悟っただろう。だから、6.17判決のように正面から理由を示すことはあきらめて、裏から尻尾を巻いて逃げ出す道を選択したのだ。それが理由を示さない三行半の判決の正体である。
この意味で、最高裁判決こそ私たちの上告理由書に敗北した。


アンコール
(追伸)その2
子ども脱被ばく裁判の成果:子ども脱被ばく裁判が日本を変えた

 しかし、そんな楽屋裏を知らない人たち、とくに子ども脱被ばく裁判のことを知っても共感しない人からこんな目で見られていた――そんな裁判やって日本の社会を変えられるのか。ほろみろ、最高裁の判決で変えられなかったじゃないか。

 しかし、私はこう答える。次の理由から、子ども脱被ばく裁判をやって日本の社会を確実に変えることができたと。

①.福島原発事故は日本史上最悪の未曾有の過酷事故であり、事故の被ばくにより多くの子ども・市民の命、健康が前代未聞の危機に陥った時、この事故発生の張本人の1人である日本政府は事故後に「事故を小さく見せること」しか眼中になく、その結果、多くの子ども・市民に無用な被ばくをさせ、未曾有の危機を招いた。すなわち
・子どもの命・人権を守るはずの文科省が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の当事者になり、
・加害者が救済者のつらをして、命の「復興」は放置し、経済「復興」に狂騒し、
・被害者は「助けてくれ」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者として迫害された。
この国家の犯罪の法的責任を真正面から問い、「異常が正常とされ、正常が風評被害や異端とされる世界」その世界のあべこべを根本から正そうとしたのが子ども脱被ばく裁判です。

 子ども脱被ばく裁判を起こし、国や自治体の責任を追及することによって、日本の社会は、過酷事故により人権侵害が発生したとき、人々は泣き寝入りせず、このような裁判を起こして国や自治体の責任を追及する社会に確実に一歩、変わったのです。


②.子ども脱被ばく裁判の審理の中で、これまで明らかにされなかった数々の新事実、新法律問題が明らかにされた。私の担当したものだけでも次のことが明らかにされた。

第1に、未曾有の過酷人災である福島原発事故がもたらした衝撃は日本の政治経済にとどまらず、日本の法体系にも及んだ。2011年3月11日まで日本政府は安全神話のもとで原発事故の発生を想定しておらず、備えが全くなかった。これに対応して、日本の法体系もまた原発事故の救済に関する備えが全くなく、文字通りノールール状態つまり全面的な「法の欠缺」状態であった。
のみならず、この全面的な「法の欠缺」状態は原発事故後においてもなお立法的解決が図られず、放置されたままだった。このような時、裁判所に求められることは、深刻な全面的な「法の欠缺」状態に対し、その穴埋め(補充)作業である。その欠缺の補充作業において主導的な役割を果すのが法律の上位規範である憲法及び条約とりわけ避難民の人権救済と積極的に取り組んできた国際人権法である。
第2に、原発事故の救済に関して、行政庁の裁量の適法性を判断するためには、従来の「裁量権の逸脱・濫用」の法理はそのまま使えない。なぜなら、ここで行政庁が従うべき法律が全面的な「法の欠缺」状態=深刻な陥没状態にあるからである。その結果、この判断のために、まず、全面的な「法の欠缺」状態を正しく補充する必要がある。それが第1に掲げた国際人権法による補充の必要性・重要性である。
第3に、福島原発事故の被災者は311の前にだけ、この国の主権者であり、人権の主体であった訳ではなく、福島原発事故発生後も途切れることなく主権者であり、人権の主体であった。ところが、現実には、ひとたび事故が発生すると、被災者は20キロ圏内の避難指示など国が出す指示命令等に従うだけの、あくまでも保護や救助の対象としてだけの、専ら受身の存在としてしか扱われるだけで、この国の主権者、人権の主体として扱われたことは一度もなく、権利者の地位が認められたことは一度もなかった。しかし、これは明らかにおかしい。被災者は原発事故発生後も、どこにいようとも、一瞬たりとも、この国の主権者、人権の主体であることをやめたことはない。日本国憲法はこのことを当然の大前提として承認している。この裁判でもこの大原則を肝に銘ずる必要がある。
このように、子ども脱被ばく裁判を起こし、審理する中で、日本の社会は、このように今まで明らかにされてこなかった問題が明らかにされる社会に確実に一歩、変わったのです。


③.裁判を受ける権利は主権者である国民が人権侵害を受けたとき、侵害から救済されるための必須の人権です。裁判が起こせないなら、国民は主権者でないにひとしい。子ども脱被ばく裁判は被災者が人権侵害を受けたとき、裁判を起こすことによって、日本の社会は、国民主権を実現する社会に確実に一歩、変わったのです。

結論
とはいえ、子ども脱被ばく裁判が掲げた目標は、裁判を起こし、審理するだけでは実現されません。そのためには、真実の力と正義の力だけでは足りず、さらに市民の力つまり、この裁判の意義を共有する市民の巨大なネットワークが必要です。なぜなら、この裁判は、福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判だからです。だから、それはこの裁判が最高裁で幕引きされたあとも続きます。福島原発事故の救済はなにひとつ果たされておらず、深刻な陥没状態のまま、完全な未解決状態にあるからです。従って、この課題は、この裁判が明らかにした真実と正義の力を活用しながら、原発事故の完全救済をめざす市民の巨大なネットワークの形成と取り組む市民運動の中で実現される。
私にとってそれは、市民立法「チェルノブイリ法日本版」の運動です(詳細は>こちら)。

この前は>第78話  一番はじめは>第74話
番外編その1>第80話 
番外編その2>第81話

【第78話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その5「法治国家の滅亡」(25.2.5)

           2016年10月3日、雨、風呂場の網戸にやってきたカエル


下の原稿のスピーチ(あとで喋り直した完全版)

 

子ども脱被ばく裁判の最高裁判決が示したものその2「法治国家の滅亡」

今振り返って思うことは、この疎開裁判、その後続の子ども脱被ばく裁判の闘い方には大きな欠陥があったのではないかということです。それは、私自身、半世紀前の公害裁判の延長で、被害者の原告の救済を考えて来たことです。確かに、半世紀前、公害裁判の一審判決はすべて被害者救済の判決を出しました。勿論それは公害の市民運動の成果なのですが、他方で、当時の裁判所には、国家や自治体や企業には人災により窮状の中にいる市民を救済すべき責任があるという倫理がありました。しかし、それから半世紀後の日本では、裁判所は今述べたような倫理を捨て、国家や自治体には原発事故による惨状の中にいる市民を救済すべき責任は負わないという立場にシフト(転換)したんだと思いました。とはいえ、それを正面から口にすることはさすがにしない。けれど、裁判所の判決の書きっぷりを眺めていると、福島地裁も仙台高裁も最高裁も、彼らの本音は、人災にもかかわらず、原発事故という未曾有のカタストロフィーについては国家や自治体にできることは限られている、市民の救済なんてとても無理な話だという投げやりの気持ちが行間から漏れてくるのを感じないではおれない。それが、原発事故の救済という問題と正面から向き合う議論(例えば低線量被ばくや内部被ばくの危険性や予防原則の必要性)を決してしようとせず、そこからこそこそ逃げ出す彼らの姿勢からひしひし伝わってくるから(その点、唯一の例外が疎開裁判の高裁決定)。そこから逃げ出した彼らが辿り着いた先は、一審判決が示した、原発事故の救済について陥没している法の穴を穴埋めしないまま、つまり法律の規定がないガタガタのまま、行政庁の自由裁量で処理すればいいんだというロジックだった。

 我が国は「法に基づく統治」という統治原理に立つ法治国家。しかし、福島原発事故を通じて、原発事故の救済の場面で、「法に基づく救済」という法治国家は崩壊し、滅亡した。そして、この法治国家の滅亡にお墨付きを与えたのが子ども脱被ばく裁判の3つの判決だった。かつて「国破れて山河あり」という詩があったが、この3つの判決は「法治国家破れて自由裁量あり」をうたって、法治国家の崩壊と行政庁の自由裁量を全面的に肯定した。

 

「法治国家破れて自由裁量あり」に対する自戒

 いま私が反省するのは、原発事故の救済について、法の穴が全面的に陥没しているにもかかわらず、国会は子ども被災者支援法でお茶を濁しているだけで、学校環境衛生基準ひとつ取っても明らかなように、その穴埋めをしようとしない、この意味で311後の日本は法治国家が滅亡したことをもっともっと声を大にして主張すべきだった。その上で、「法治国家が滅亡したとき、そこで私たちは何をなすべきか」という311後の本質的な課題を裁判所にではなく、市民全員に向けて正面から提起すべきだった。

しかし、私はしなかった。それが出来なかった理由は、私の中で、どこかに、誠実に訴えれば受け止めてくれるという裁判所に対する期待があったから。しかし、昨年末の最高裁の決定でそれが幻想であったこと、法治国家は滅亡したことがハッキリした。
 そのとき、法治国家が滅亡したあとに残されたことは、今回の八潮市の道路陥没のように、原発事故の救済についてざっくり陥没した穴を穴埋めすることです。だが肝に銘じることは、陥没した穴埋めするのはもはや滅亡した国家ではなく、われわれ市民自身だということです。それを言ったのが百年前のオーストリアの法学者エールリッヒです。彼に言わせれば、法律とはそもそも普通の市民が毎日の生活の中から自ら形成する法規範のことだ。つまり、市民が実際の生活現場の中で直面した諸問題を解決するためにみずから編み出したルールを「生ける法」として法規範にするのが法律だと。この「生ける法」を市民の手で生成することこそ、子ども脱被ばく裁判の裁判所が何一つ解決をせずに幕引きをしたことを通じて、裁判所が私たちに示した唯一の貴重な教訓です。

 

子ども脱被ばく裁判の次は、市民自身が「生ける法」を生成する2つのアクション
この教訓を受け取った私は、「生ける法」の生成を次の2つの取組みの中で実行しようと考えています。

ひとつは、昨年出版したブックレット「わたしたちは見ている」に書かれている、1999年に市民の手で立法を実現した情報公開法の、日本各地の自治体で条例制定を積み上げていって法律制定を勝ち取ったその制定の仕方をモデルにして、原発事故の救済についてゴミ屋敷となった日本社会を市民の手で人権屋敷に再建する市民立法「チェルノブイリ法日本版」の実現です。

             ブックレット「私たちは見ている」

 もうひとつは、2013年から福島県の子どもたちを留学させるために長野県松本市で実施して来た松本子ども留学が、このたび、チェルノブイリの保養をモデルにした「自然体験」「養生」「芸術体験」の3つの柱を組み合わせた新たな保養事業の団体(一般社団法人信州無何有の里〔むかうのさと〕)として再スタートします。さらに、保養を被ばくしない権利のひとつである保養の権利の行使として位置づけて、3本柱の保養事業を日本の通常の保養団体のように保養を民間の責任で行なうものではなく、ヨーロッパ並みの公共事業、つまり国家が果すべき社会福祉事業として認知されるように取り組んでいこうと、3日前の2月1日、福島から松本に避難した子ども脱被ばく裁判の原告とYMOの4人目のメンバーといわれるミュージシャンと私の3人の理事が松本の保養施設に集まって誓いを立てたところです。

かつて黒人差別と闘った作家ボールドウィンは「次は火だ」という有名な本を書きました。私にとって、子ども脱被ばく裁判の「次は市民立法だ」です。

   スタートする一般社団法人信州無何有の里の保養施設「奏奏(sousou)」

この続きは>第79話   この前は>第77話

 

 

 

 

 

【第77話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その4「最高裁判決は理由をボイコット」(25.2.5)

            2016年10月7日、晴れ、庭の切り倒した木の中に座るカエル

下の原稿のスピーチ(あとで喋り直した完全版)



第二次疎開裁判=子ども脱被ばく裁判のスタート
 首の皮一枚で繋がっていたのがこれで気を取り直して、そこから再び、新たな原告の輪をひとりずつ増やしていって、何とか2014年8月の25家族の提訴に漕ぎ着けました。当時、この提訴が信じられず、夢を見ているような気持ちでした。
すると審理が始まると、疎開裁判では経験したことのなかった新たなハードルに遭遇。それは、金沢という裁判長が子ども人権裁判は請求が特定されていないんじゃないかとケチをつけ門前払いの可能性を持ち出して来たこと。裁判長はこの問題に執着し、このまま行くと、折角1年以上かけて提訴に漕ぎ着けたのに、今度の裁判はあっさり門前払いで蹴散らされてしまうのかと頭を抱えてしまった。そのため、提訴後最初の1年間はこの難問をクリアするためにが費やされるという想定しなかった苦労を味わうことになる。
しかし、2016年5月、裁判長は私たちの必死の応答に、門前払いをあきらめ、審理に入ることを宣言。このとき、私はこれで勝てると思った。

 

子ども脱被ばく裁判の一審判決
 しかし、これは甘かった。2人目の遠藤裁判長はそうはしなかったから。彼は2021年3月1日の判決で、一方では、1人目の裁判長が門前払いしなかった子ども人権裁判を再び殆ど門前払いで蹴散らし、他方では、この裁判が科学裁判であるにも関わらず、科学的事実の問題は慎重に認定を避け、すべてを法律問題の中で処理する、それも予防原則という観点はカケラもなく、市民の要求を拒絶する際に使われるお馴染みの行政庁の自由裁量論というテクニックを使って、私たちの主張をことごとく拒絶し蹴散らした(詳細>こちら)。その後の二審も最高裁の判決も基本的にはこの一審判決をこれでよしとしたものだった。

しかし、一審判決は疎開裁判の仙台高裁の決定と比べると違いが歴然としている。
第1に事実問題に対する態度が全くちがう。疎開裁判の仙台高裁は事実問題に果敢に取り組んだ。これに対し、一審判決は科学裁判にも関わらず事実問題から完全に逃げた。一審判決は逃げた上で、
第2に、法律の規定がないんだからその穴は行政庁の自由裁量で埋めればよいという前代未聞の恐ろしいロジックを持ち出した。もともと法治国家である以上、自由裁量といっても法律の規定があることを前提にして、当該法律が政策について行政庁の自由裁量に任せる趣旨であるかどうかが問われるのであって、そのためには法律の規定がなくてはいけない。もし法律の規定がない場合には、まずなすべきことは陥没している法の穴を穴埋め(法の欠缺の補充)して法律の規定を回復することが先決であって、法律がないままをで、当該法律が行政庁の自由裁量に任せる趣旨であるかどうかなんてどうして判断できるでしょうか。判断しようがありません。
だから、一審判決のように、陥没している法の穴を穴埋めしないまま、つまり法律の規定を回復しないまま、行政庁の自由裁量で処理すればいいんだというロジックは結局、法律に従った統治つまり法治国家の否定であり、法律に縛られない行政の独裁権力にお墨付きを与えるものです。同時にこれは「法による裁判」という司法の根本原理を自ら否定するもので、司法の自死です。

 

子ども脱被ばく裁判の最高裁判決が示したものその1「理由をボイコット」
 私たちが2024年1月4日、上告した親子裁判、それはこの裁判こそ福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判である。これに対し、最高裁は、私たちが上告理由書を提出してからわずか8ヶ月という、中国の政治的裁判の超高速処理にも劣らない異例のスピードで却下の決定を下した。

 この最高裁の判断はほかの福島関連の裁判と比べて次の際立った特徴がある。

 この裁判は、被ばくとりわけ内部被ばくの危険性を正面から問うた重要な科学裁判である。どんなに科学技術が進歩したとはいえ、しかも人類が放射能を発見してから140年経ったにもかかわらず、小児甲状腺がんひとつとっても明らかなように、放射能による健康影響のメカニズムは今なお殆ど分からず、ブラックボックスの状態にある。このような現状のもとで放射能被ばくとどう向き合うのか。過去に過酷な経験をしたチェルノブイリ事故から学ぶしかない、そう言ったのは元松本市長の菅谷昭さん(菅谷昭「原発事故と甲状腺がん」)。
 私たちは10年間、チェルノブイリ事故の教訓とその後の知見に基づき、国と福島県の責任を明らかにしてきた。これに対し、私たちを蹴散らした一審判決も二審判決もなぜ私たちの主張が採用されないのか、そのきちんとした理由付けが何もなかった。そこで、最高裁に高裁判決と私たちがこの10年間取り組んできた主張と証拠を詳細に主張した上告理由書の一体どちらの理由が正当であるのか、その判断を最高裁に仰いだ。
 しかし、最高裁もまた、一審判決、二審判決と同様、どちらの理由が正当であるのか、その理由は全く、ひとつも示さないまま、ただ4行と2行の判決文でおまえたちの主張はダメだと言って蹴散らした。
 一般事件なら、最高裁が理由を示さず、結論だけで判断を示すことはよくある。しかし、重要な人権裁判については、最高裁はこれまでも結論が市民の主張を退ける時でも、最低限、その退ける理由は自ら具体的に示して来た。有名な1967年の朝日訴訟最高裁判決。これは原告の朝日茂さんの死亡により訴訟は終了したと訴えを退けたが、しかし、それに続いて、「念のため」と断って、25頁にもわたって最高裁の考えを示した。2022年、福島原発事故に対する国の責任を否定した最高裁6.17判決すらその理由を明らかにした。

 なぜか。それは「理由を示す」こと、それが司法が他の立法や行政と根本的にちがうところだから。今の国家に、なぜ立法や行政のほかにわざわざ司法があるのか。それは国が結論を下すときに単に結論を示せば足りるのではなく、「なぜその結論が導けるのか理由を示して、結論の証明をすること」が求められるからです。司法というのは、理由を示してなんぼの世界。その司法が理由を示さなかったらどうなるのか。司法の自殺です。司法自身が人権侵害を放置するゴミ屋敷です。

これを子どもが聞いたらどう思うだろうか。子ども脱被ばく裁判の主役は子どもだからです。もともと、最高裁は子どもにも分かる言葉で、自分が下した判決の理由を示す必要があった。しかし、たった4行や2行の言葉で、原告の子どもたちが数万行を使って求めていた問題に対する応答が出来るだろうか。できるはずがない。最高裁は、このことだけでも、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちに謝るべきである。そればかりか、子ども脱被ばく裁判の原告の子どもたちは福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちを代表して提訴した人たちです。だから、最高裁は、自分の三行半の判決に対し、福島原発事故で被ばくした全ての子どもたちに向かって謝るべきである。それをしない限り、みずから司法の自殺行為に出た最高裁は永遠に立ち直れない。

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【第76話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その3「狐につままれた二審決定」(25.2.5)

            2019年11月24日、家に迷い込んだカマキリを外に出した


          下の原稿のスピーチ(時間切れで途中を端折った不完全版)


下の原稿のスピーチ(あとで喋り直した完全修復版)


集団疎開裁判の結末と次のアクションに向けて新たな困難

2013年1月21日の第3回の審尋が終わってからさんざん待たせた挙句、同年4月24日に出た決定は却下。しかし、事実認定はすべて我々の主張を認めた()。だったら、そこからどうして却下になるのか、この狐につままれた決定はAP通信を通じて全世界に報道。

                ワシントンポスト

)事実認定の理由づけ
(1)
、郡山市の子どもは低線量被ばくにより生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される、
(2)
、除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない
(3)
、被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない
(4)
、「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である 


この報道で世界中の市民が日本の司法の矛盾を知った、ひとり日本国民を除いて。この決定で私たちは頂上の一歩手前の9合目まで登った。あとはすぐさま第二次疎開裁判を提訴して、この矛盾だらけの法律論を論破して頂上に攻め上ろう、それがこの決定から引き出された結論でした。この決定の翌月の5.18新宿デモは山本太郎司会のもとで次のアクションに向けて、参加者から次々と熱いアピールが表明された。

               20135.18新宿デモ

 ところが、ここで思いがけないハードルに遭遇。原告になる子どもたちが見つからなかったのです。子ども福島の中がゴタゴタしており、あちこち原告探しに行ったのですが、誰も手を上げない。その間、ずっと水中に潜っているような閉塞感に襲われ、もうダメなんじゃないかとすら思った。砂をかむような空白の7ヶ月が過ぎて、2013年暮れ、一通のショートメールが「行政を頼りにしてきたけれど今日、当てにできないと分かりました。裁判をします」と。それをキッカケに一気に6家族ほどが原告に。 しかしホッとしたのも束の間、その地元で市長選が始まると、裁判は市長との関係を悪くするので辞退したいという連絡が。それで再び振り出しに。その結果、別の自治体に住む1家族だけになってしまった。その惨状を救ったのがその直後来日したチョムスキー。彼は福島の人たちと話したいと、過密スケジュールの中をこの家族に会って激励してくれた。


チョムスキーと福島の人たちの面談(Ourplant-TV「ふくしまの声を聴く」)

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【第75話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その2「外圧の力」(25.2.5)

           2019年11月24日、家に迷い込んだカマキリ


     
           以下の原稿のスピーチ



集団疎開裁判の争点と経過

 この裁判は最初から世界レベルの闘いでした。というのは、裁判のテーマが文科省の20mSv通知(>原文)を撤回させ、福島の子どもたちを集団疎開させることだったので、文科省がこの通知を国内法ではなく、海外のICRPの勧告(>原文)を根拠にしていた点に焦点を合わせ、我々もICRP勧告のいかがわしさを明らかにするために、ICRPに対抗して放射線防護を提唱していたECRR(欧州放射線リスク委員会。2010年勧告「放射線に安全な線量はない」)の科学事務局長のクリス・バズビーさんに来日して、被ばくとりわけ内部被ばくの危険性を福島県で講演して欲しいと依頼しました。国際原子力ムラとの闘いが最初からのテーマでした。幸いバズビーさんは快諾し来日が実現しました。ところが、彼は福島県での講演を拒否したのです。チェルノブイリ事故でECRRの仲間が亡くなった経験から、原発事故から100キロ圏内には入らない方針だと言うのです。そこで、100キロ圏内には入らないよう車で栃木県の山奥を迂回するからと彼に拝み倒して、福一から100キロスレスレの会津若松で講演してもらいました(彼の記者会見映像。東京早稲田奉仕園での講演会)。

           2011719日 バズビーさん(会津若松)

 バズビーさんにはテレビ出演もしてもらったのですが、マスコミは彼を黙殺し、彼の声は一部の人にしか届きませんでした。
 他方、国内で、この疎開裁判に最も尽力した市民のひとりが山本太郎さんだった。彼はこの裁判を文字通り命がけで応援し、10月15日の郡山デモに駆けつけ陣頭指揮をとってアピールし(>その動画)、誰もが知っている福島出身の有名人に拝み倒して、福島の子どもたちの集団疎開を求めるメッセージ映像を制作し証拠として提出し(>彼のメッセージ動画)、12月16日の突然の却下決定の時にも急きょ東京から郡山に駆けつけて記者会見に立ち会ったのです(>会見動画)。その後も仙台高裁の決定が出るまで(>その動画の一つ)、出たあとに惜しみなく尽力を注いだ(>2013年5月18日判決直後アクションの新宿デモ

7月5日に第1回期日があり、この時、子ども脱被ばく裁判とちがって、一審の郡山支部の偉かったところは「疎開の終わりはいつまでか」と尋ねて門前払いしなかったことです(>報告の動画)。しかし、その後態度が二転三転し、半年後の2012年12月16日、野田首相の収束宣言と同じ日のほぼ同時刻に合わせて「100mSv以下なら問題ない」と却下の決定を出し、私たちは蹴散らされました(>直後の会見動画)。仮処分事件なので、通常は一審でほぼ決着がつく。二審の結果はペラ一枚の紙切れが届いてあっという間に幕切れのはずで、絶体絶命だった。ところがここで異変が起き、二審は1年4ヶ月の異例の展開。そこには世界からの力があった。

まず、12月16日の却下決定を黙殺した日本のマスコミを尻目に、韓国の公共放送KBSがこの裁判について詳しく取り上げた番組「世界は今」を制作・放送して韓国で話題となり、私たちはその映像を逆輸入して日本で拡散しました(>こちら)。

KBS「世界は今」2012年1月)


ついで、2012年正月、知識人で真っ先に声をあげたのは日本ではなく、 世界の良心と言われるチョムスキーだった。それは普遍的な意味を持つ次のメッセージだった。

社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。日本にとって、そして世界中の私たち全員にとって、この裁判は失敗が許されないテスト(試練)なのです。

このメッセージに引きづられて大江健三郎らが応援エールを寄せたアクション、それが東京と郡山で、アイリーンさんたちの同時通訳で世界にリアルタイムで発信した世界市民法廷の開催(>Ourplanet動画 東京前半 後半)。
ここまでの経過を映像でまとめたのが
映像ドキュメント世界市民法廷への道(1) 同(2)

その市民法廷で被告郡山市の「不知」という認否が無責任だと大いに注目を浴びもの笑いにされ、その夏からの官邸前アクションに毎金曜日参加し、毎回、裁判支援者が二桁のペースで増えるような盛り上がりをみせ( >7/25の動画 9/14の動画 9/28の動画 10/5の動画)、ところが、裁判が長引いて冬場に入った時、金曜アクションは真冬の中でも続けられ(>12月21日の動画)、その間に201210月、国連人権理事会で日本の人権侵害状況を審査するUPRに合わせて、双葉町長の井戸川さんを誘ってジュネーブに行き、サイドイベントで福島の現実をアピールし(>動画)、UPRではオーストリア政府が日本政府に対し「福島の住民の健康の権利守れ」という勧告を表明(>記事)。これは福島の人権問題が国連の文書に初めて登場した画期的な瞬間だった(>詳細)。さらに、ジュネーブ市長(>動画)やオーストリア首相(>文書)などから世界中からの応援メッセージが裁判所と被告郡山市を脅かし、その中で、裁判所が異例の「審尋」を開くと通告してきました(>報告)。

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【第74話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その1「未来について語る」(25.2.5)

           2019年7月2日、家の不意の来客カミキリムシ君

弁護団 柳原敏夫

以下と【第75話】【第76話】【第77話】【第78話】【第79話】【第80話】【第81話第84話は、2月4日にやった子ども脱被ばく裁判の総括集会で喋った内容。10年間の子ども脱被ばく裁判の振り返りを通じて、この裁判の可能性の中心を探り、そこから「次のアクションは何か?」を具体的に示そうとしたもの。以下、その動画(ただし、時間の都合で前半しか話できなかった←その後、後半を喋った動画を第76話】【第77話】【第78話】【第79話で公開)


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はじめに

今日は子ども脱被ばく裁判の締め括りということで、今日ここにおられない原告の皆さん、支援者の皆さんにもお話する滅多にないチャンスと考えて、儀礼的な話ではなく、これだけは伝えたいという話をしたいと思います。

それはおもに311から数年間の話です。これまで、311当時の話はただの昔話、ノスタルジアに浸っているだけに思えて思い出しませんでした。しかし、最近、変わりました。当時の動画を観て、これは決して過ぎ去った過去の出来事ではない、これから起きるであろう未来の出来事について語っているのだと気がついたからです。だから、これから私が話すことは未来の出来事について語っているのだと思って聞いて下さい。


311の衝撃

私は311で人間関係ががらりと変わりました。今付き合いのある人の百人中99人は311後に知り合った人たちです。言い換えれば、311でそれまで100人中99人の人とは付き合えなくなりました。311のあと、私は、自分がたとえ鶴や亀のように何百年も生き長らえたとしても経験できない、頭の中がグジャグジャになるものすごい体験をしたのだと思いました。しかし、周りには原発事故は一過性の事故だと考えて済まそうという人が沢山いました。私にとって最大のハードルは原子力ムラではなく、現代文明の終わりを暗示する原発事故と向き合おうとしない人々、現代文明の管理社会が敷いたレールの上をこれまでずっと走ってきて、今も走ることを止められない人々でした。

しかし、原発事故と向き合おうとしないのは素人の一般市民ばかりではなく、その上がいたのです。私の腰が抜けるほど驚きだったのは、2011年4月19日の文科省の20mSv通知でした(>原文)。あの通知を知った瞬間、私は教育と放射能のプロのはずの文部科学省は気が狂ったと思いました。過去最大の児童虐待を自らおこなったからです。ただ、さらにショックだったことは、このキ○ガイ沙汰の通知は今すぐ撤回させるべきなのに、原発や原爆の裁判の関係者に打診しても誰もその裁判をやろうというリアクションがなかったことです。うちひしがれる中で、だったらあきらめるのか。そんな訳にはいかないと自問自答の末、放射能のど素人の無謀な取組みであることは百も承知で、30歳そこそこの長野県松本市の弁護士と2人で、裁判の原告探しに、2011年5月22日、郡山市に出かけ、子ども福島の準備集会(>その動画)で訴えて14人の子どもたちと出会いました(>その訴えの動画)。それが624日に福島地裁の郡山支部に仮処分の申立をしたふくしま集団疎開裁判の始まりでした。


2011年5月22子ども福島の準備集会(郡山)

そのとき、弁護団が放射能のど素人だけではさすがに信用がなさ過ぎるというので、志賀原発の差止判決を書いた、311直前に退官して彦根で疲れを癒していた井戸謙一さんに、彼は学生時代、セツルメントというサークルの後輩だったので、この時ばかりは先輩風を吹かせて、無理やり拝み倒して弁護団に参加してもらいました。

疎開裁判、624日の仮処分の申立>Ourplanet動画

この続きは>第75話

いま、法律があぶないーー法の欠缺をめぐってーー

1、法律家にとっての311  法律家として311福島原発事故で何に一番驚いたか。それは文科省が 学校の安全基準を 福島県の子どもたちだけ年20ミリシーベルトに引き上げたことだ。それは前代未聞の出来事だった。なぜなら、このとき見えない法的クーデタが敢行されたからだ。それについて解説...