2025年2月5日水曜日

【第75話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その2「外圧の力」(25.2.5)

           2019年11月24日、家に迷い込んだカマキリ


     
           以下の原稿のスピーチ



集団疎開裁判の争点と経過

 この裁判は最初から世界レベルの闘いでした。というのは、裁判のテーマが文科省の20mSv通知(>原文)を撤回させ、福島の子どもたちを集団疎開させることだったので、文科省がこの通知を国内法ではなく、海外のICRPの勧告(>原文)を根拠にしていた点に焦点を合わせ、我々もICRP勧告のいかがわしさを明らかにするために、ICRPに対抗して放射線防護を提唱していたECRR(欧州放射線リスク委員会。2010年勧告「放射線に安全な線量はない」)の科学事務局長のクリス・バズビーさんに来日して、被ばくとりわけ内部被ばくの危険性を福島県で講演して欲しいと依頼しました。国際原子力ムラとの闘いが最初からのテーマでした。幸いバズビーさんは快諾し来日が実現しました。ところが、彼は福島県での講演を拒否したのです。チェルノブイリ事故でECRRの仲間が亡くなった経験から、原発事故から100キロ圏内には入らない方針だと言うのです。そこで、100キロ圏内には入らないよう車で栃木県の山奥を迂回するからと彼に拝み倒して、福一から100キロスレスレの会津若松で講演してもらいました(彼の記者会見映像。東京早稲田奉仕園での講演会)。

           2011719日 バズビーさん(会津若松)

 バズビーさんにはテレビ出演もしてもらったのですが、マスコミは彼を黙殺し、彼の声は一部の人にしか届きませんでした。
 他方、国内で、この疎開裁判に最も尽力した市民のひとりが山本太郎さんだった。彼はこの裁判を文字通り命がけで応援し、10月15日の郡山デモに駆けつけ陣頭指揮をとってアピールし(>その動画)、誰もが知っている福島出身の有名人に拝み倒して、福島の子どもたちの集団疎開を求めるメッセージ映像を制作し証拠として提出し(>彼のメッセージ動画)、12月16日の突然の却下決定の時にも急きょ東京から郡山に駆けつけて記者会見に立ち会ったのです(>会見動画)。その後も仙台高裁の決定が出るまで(>その動画の一つ)、出たあとに惜しみなく尽力を注いだ(>2013年5月18日判決直後アクションの新宿デモ

7月5日に第1回期日があり、この時、子ども脱被ばく裁判とちがって、一審の郡山支部の偉かったところは「疎開の終わりはいつまでか」と尋ねて門前払いしなかったことです(>報告の動画)。しかし、その後態度が二転三転し、半年後の2012年12月16日、野田首相の収束宣言と同じ日のほぼ同時刻に合わせて「100mSv以下なら問題ない」と却下の決定を出し、私たちは蹴散らされました(>直後の会見動画)。仮処分事件なので、通常は一審でほぼ決着がつく。二審の結果はペラ一枚の紙切れが届いてあっという間に幕切れのはずで、絶体絶命だった。ところがここで異変が起き、二審は1年4ヶ月の異例の展開。そこには世界からの力があった。

まず、12月16日の却下決定を黙殺した日本のマスコミを尻目に、韓国の公共放送KBSがこの裁判について詳しく取り上げた番組「世界は今」を制作・放送して韓国で話題となり、私たちはその映像を逆輸入して日本で拡散しました(>こちら)。

KBS「世界は今」2012年1月)


ついで、2012年正月、知識人で真っ先に声をあげたのは日本ではなく、 世界の良心と言われるチョムスキーだった。それは普遍的な意味を持つ次のメッセージだった。

社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。日本にとって、そして世界中の私たち全員にとって、この裁判は失敗が許されないテスト(試練)なのです。

このメッセージに引きづられて大江健三郎らが応援エールを寄せたアクション、それが東京と郡山で、アイリーンさんたちの同時通訳で世界にリアルタイムで発信した世界市民法廷の開催(>Ourplanet動画 東京前半 後半)。
ここまでの経過を映像でまとめたのが
映像ドキュメント世界市民法廷への道(1) 同(2)

その市民法廷で被告郡山市の「不知」という認否が無責任だと大いに注目を浴びもの笑いにされ、その夏からの官邸前アクションに毎金曜日参加し、毎回、裁判支援者が二桁のペースで増えるような盛り上がりをみせ( >7/25の動画 9/14の動画 9/28の動画 10/5の動画)、ところが、裁判が長引いて冬場に入った時、金曜アクションは真冬の中でも続けられ(>12月21日の動画)、その間に201210月、国連人権理事会で日本の人権侵害状況を審査するUPRに合わせて、双葉町長の井戸川さんを誘ってジュネーブに行き、サイドイベントで福島の現実をアピールし(>動画)、UPRではオーストリア政府が日本政府に対し「福島の住民の健康の権利守れ」という勧告を表明(>記事)。これは福島の人権問題が国連の文書に初めて登場した画期的な瞬間だった(>詳細)。さらに、ジュネーブ市長(>動画)やオーストリア首相(>文書)などから世界中からの応援メッセージが裁判所と被告郡山市を脅かし、その中で、裁判所が異例の「審尋」を開くと通告してきました(>報告)。

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