2025年2月5日水曜日

【第78話】2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その5「法治国家の滅亡」(25.2.5)

           2016年10月3日、雨、風呂場の網戸にやってきたカエル


子ども脱被ばく裁判の最高裁判決が示したものその2「法治国家の滅亡」

今振り返って思うことは、この疎開裁判、その後続の子ども脱被ばく裁判の闘い方には大きな欠陥があったのではないかということです。それは、私自身、半世紀前の公害裁判の延長で、被害者の原告の救済を考えて来たことです。確かに、半世紀前、公害裁判の一審判決はすべて被害者救済の判決を出しました。勿論それは公害の市民運動の成果なのですが、他方で、当時の裁判所には、国家や自治体や企業には人災により窮状の中にいる市民を救済すべき責任があるという倫理がありました。しかし、それから半世紀後の日本では、裁判所は今述べたような倫理を捨て、国家や自治体には原発事故による惨状の中にいる市民を救済すべき責任は負わないという立場にシフト(転換)したんだと思いました。とはいえ、それを正面から口にすることはさすがにしない。けれど、裁判所の判決の書きっぷりを眺めていると、福島地裁も仙台高裁も最高裁も、彼らの本音は、人災にもかかわらず、原発事故という未曾有のカタストロフィーについては国家や自治体にできることは限られている、市民の救済なんてとても無理な話だという投げやりの気持ちが行間から漏れてくるのを感じないではおれない。それが、原発事故の救済という問題と正面から向き合う議論(例えば低線量被ばくや内部被ばくの危険性や予防原則の必要性)を決してしようとせず、そこからこそこそ逃げ出す彼らの姿勢からひしひし伝わってくるから(その点、唯一の例外が疎開裁判の高裁決定)。そこから逃げ出した彼らが辿り着いた先は、一審判決が示した、原発事故の救済について陥没している法の穴を穴埋めしないまま、つまり法律の規定がないガタガタのまま、行政庁の自由裁量で処理すればいいんだというロジックだった。

 我が国は「法に基づく統治」という統治原理に立つ法治国家。しかし、福島原発事故を通じて、原発事故の救済の場面で、「法に基づく救済」という法治国家は崩壊し、滅亡した。そして、この法治国家の滅亡にお墨付きを与えたのが子ども脱被ばく裁判の3つの判決だった。かつて「国破れて山河あり」という詩があったが、この3つの判決は「法治国家破れて自由裁量あり」をうたって、法治国家の崩壊と行政庁の自由裁量を全面的に肯定した。

 

「法治国家破れて自由裁量あり」に対する自戒

 いま私が反省するのは、原発事故の救済について、法の穴が全面的に陥没しているにもかかわらず、国会は子ども被災者支援法でお茶を濁しているだけで、学校環境衛生基準ひとつ取っても明らかなように、その穴埋めをしようとしない、この意味で311後の日本は法治国家が滅亡したことをもっともっと声を大にして主張すべきだった。その上で、「法治国家が滅亡したとき、そこで私たちは何をなすべきか」という311後の本質的な課題を裁判所にではなく、市民全員に向けて正面から提起すべきだった。

しかし、私はしなかった。それが出来なかった理由は、私の中で、どこかに、誠実に訴えれば受け止めてくれるという裁判所に対する期待があったから。しかし、昨年末の最高裁の決定でそれが幻想であったこと、法治国家は滅亡したことがハッキリした。
 そのとき、法治国家が滅亡したあとに残されたことは、今回の八潮市の道路陥没のように、原発事故の救済についてざっくり陥没した穴を穴埋めすることです。だが肝に銘じることは、陥没した穴埋めするのはもはや滅亡した国家ではなく、われわれ市民自身だということです。それを言ったのが百年前のオーストリアの法学者エールリッヒです。彼に言わせれば、法律とはそもそも普通の市民が毎日の生活の中から自ら形成する法規範のことだ。つまり、市民が実際の生活現場の中で直面した諸問題を解決するためにみずから編み出したルールを「生ける法」として法規範にするのが法律だと。この「生ける法」を市民の手で生成することこそ、子ども脱被ばく裁判の裁判所が何一つ解決をせずに幕引きをしたことを通じて、裁判所が私たちに示した唯一の貴重な教訓です。

 

子ども脱被ばく裁判の次は、市民自身が「生ける法」を生成する2つのアクション
この教訓を受け取った私は、「生ける法」の生成を次の2つの取組みの中で実行しようと考えています。

ひとつは、昨年出版したブックレット「わたしたちは見ている」に書かれている、1999年に市民の手で立法を実現した情報公開法の、日本各地の自治体で条例制定を積み上げていって法律制定を勝ち取ったその制定の仕方をモデルにして、原発事故の救済についてゴミ屋敷となった日本社会を市民の手で人権屋敷に再建する市民立法「チェルノブイリ法日本版」の実現です。

             ブックレット「私たちは見ている」

 もうひとつは、2013年から福島県の子どもたちを留学させるために長野県松本市で実施して来た松本子ども留学が、このたび、チェルノブイリの保養をモデルにした「自然体験」「養生」「芸術体験」の3つの柱を組み合わせた新たな保養事業の団体(一般社団法人信州無何有の里〔むかうのさと〕)として再スタートします。さらに、保養を被ばくしない権利のひとつである保養の権利の行使として位置づけて、3本柱の保養事業を日本の通常の保養団体のように保養を民間の責任で行なうものではなく、ヨーロッパ並みの公共事業、つまり国家が果すべき社会福祉事業として認知されるように取り組んでいこうと、3日前の2月1日、福島から松本に避難した子ども脱被ばく裁判の原告とYMOの4人目のメンバーといわれるミュージシャンと私の3人の理事が松本の保養施設に集まって誓いを立てたところです。

かつて黒人差別と闘った作家ボールドウィンは「次は火だ」という有名な本を書きました。私にとって、子ども脱被ばく裁判の「次は市民立法だ」です。

   スタートする一般社団法人信州無何有の里の保養施設「奏奏(sousou)」

この続きは>第79話   この前は>第77話

 

 

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

いま、法律があぶないーー法の欠缺をめぐってーー

1、法律家にとっての311  法律家として311福島原発事故で何に一番驚いたか。それは文科省が 学校の安全基準を 福島県の子どもたちだけ年20ミリシーベルトに引き上げたことだ。それは前代未聞の出来事だった。なぜなら、このとき見えない法的クーデタが敢行されたからだ。それについて解説...