ここ数日、14年間のふくしま集団疎開裁判と子ども脱被ばく裁判の振り返りをしていて、次の結論に達したと【第79話】のラストに書いた。
結論
とはいえ、子ども脱被ばく裁判が掲げた目標は、裁判を起こし、審理するだけでは実現されません。そのためには、真実の力と正義の力だけでは足りず、さらに市民の力つまり、この裁判の意義を共有する市民の巨大なネットワークが必要です。なぜなら、この裁判は、福島原発事故後の日本社会をどう建て直すのかという再建の道筋を左右する、最も重要な人権裁判だからです。だから、それはこの裁判が最高裁で幕引きされたあとも続きます。福島原発事故の救済はなにひとつ果たされておらず、深刻な陥没状態のまま、完全な未解決状態にあるからです。従って、この課題は、この裁判が明らかにした真実と正義の力を活用しながら、原発事故の完全救済をめざす市民の巨大なネットワークの形成と取り組む市民運動の中で実現される。
つまり、ふくしま集団疎開裁判から14年目に、この結論を確認した。
‥‥と思って、この裁判関係の情報をネットで辿っていると、落合恵子さんのブログに、ふくしま集団疎開裁判の申立てをした2011年6月24日。
その時、債権者代理人のひとり井戸謙一さんの喋った次の発言が紹介されていた。
「裁判所としては,何らかの救済が必要だと思っても,救済を求めているのが一部の親に過ぎず,それによって,救済を求めていない多くの子や 親に重大な影響を生じうるような決定を出すのは,出しにくいと思います。
すなわち,債権者になっているのは少数の親に過ぎないが,
これを支持するサイレントマジョリティがいることを示さなければ,
裁判所は積極的な決定は出せないと思うのです。
裁判所が最もナーバスになるのは市民の連合の力です。
そこで、当日、少しでも多くの方が、郡山支部の裁判所に集まっていただくようお願い申し上げます」。(落合恵子Journal of Silent Spring)
最強の力は「市民の連合の力」であると。
まさにその通り、何という的確な言葉だろう。
彼は、私がそれから14年目に辿り着いたのと同じ結論を既にこの時発信していた。
そして、この真理の言葉は裁判だけに限らない。市民立法をはじめとしてすべての社会運動に当てはまる。
その上で、本当の課題はこれをどう実行するかにかかっている。
かつてカミュが「犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、証言することへの執念のほか、この世に何があるだろうか」と言ったように、今、自分たちの目の前には次がある。
「犯罪という猛烈な執念に対抗する術として、市民の連合の力を実現することへの執念のほか、この世に何があるだろうか」
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