これまで、頭の中がグジャグジャになり、「幕末の黒船のごとく、能天気に眠りこける私の脳天を一挙に打ち砕いた」衝撃的な体験が3回あった。1つめは1989年6月、中国国家が市民を虐殺した「天安門事件」。2つめは、2003年3月、アメリカ国家がイラクを侵略した事件。3つめが2011年3月に発生した福島原発事故。
1つめの「天安門事件」のあと、柄谷行人しか読むに値するものはなかった>駄文(そして30年後、「天安門事件」の意味を丸山眞男から教わった>こちら)。
2つめの米国のイラク侵略のあと、「アメリカこそ世界最悪のテロ国家」(リトルモア)と喝破したアメリカ人のチョムスキーしか読むに値するものはなかった。マスコミはマスゴミとして読まず、彼のアーカイブ(>HP)もしくはデモクラシーナウ(>HP)にアクセスするしかないと思った。
3つめの福島原発事故のあと申し立てたふくしま集団疎開裁判の支援のために、チョムスキーに連絡を取ろうと思い、2012年1月、彼からメッセージが届いた。それは2千数百年前の古代イスラエルの旧約聖書に登場する預言者のような次の言葉だった。
「社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。日本にとって、そして世界中の私たち全員にとって、この裁判は失敗が許されないテスト(試練)なのです。」(2012年1月12日>原文)
その後も、集団疎開裁判の節目節目に、彼はこのような明快なメッセージを寄せてくれた。
福島のような大惨事を防ぐために解決しなくてはいけない、化石燃料、原子力、代替エネルギーや組織にまつわる問題が山済みであることは事実ですが、一部の問題はとても緊急を要するもので、他のいかなることよりも最優先されなくてはいけないことの第一は、 被ばくの深刻な脅威にさらされている数十万の子どもたちを救うことです。
この緊急の課題に対して解決策を見つけ、政府にそれをさせるためのプレッシャーを日本の市民の力でかけなくてはいけません。そして、その非常に重要な取組みに、私も支援できることを望んでいます。
そして、第二次疎開裁判の原告探しが困難な状況の中にあったとき、2014年3月、来日したチョムスキーの激励を受け(以下の面会)、決意を新たにして原告探しに励み、同年8月、第二次疎開裁判=子ども脱被ばく裁判の提訴に漕ぎ着けた。
しかし、子ども脱被ばく裁判の審理が開始されたあと、チョムスキーへの依頼がパタッと途絶えた。最大の理由は、緊急の仮処分を求めた最初の疎開裁判と異なり、今度の裁判が科学裁判として問題の解明にかなりの時間を要する長期戦となったため、彼に緊急アピールを求める局面がなくなったことによる(ただし、チェルノブイリ法日本版の会の節目にはその都度、彼から暖かい激励のメッセージが寄せられた>2018.3結成集会。2019.8直接請求アクション)
そうこうしているうちに10年が経った。
ここしばらく、子ども脱被ばく裁判の振り返りをする中で、自分がいかにチョムスキーに支えられてきたか、改めて思い知り、今、再び、彼の存在が何であったのか、とりわけ昨夏遭遇した「脳化社会」論からみて彼は何であったのか、これを自問自答のように考えてきた。
実は、チョムスキーが明らかにするアメリカ国家の欺瞞性、悪辣さぶりは、それがアメリカ国家の正体を暴くものとして文句なしに重要だと思う反面、次第に、それだけでは何か足りない、この悪を克服するためには、さらに何かが付け加わらないとダメではないかと物足りなく思うようになった。しかし、私自身がその足りないものが何か分からず、ボーとしたまま時間が経過した。昨夏、「脳化社会」論に出会ったとき、これがチョムスキーに対して私が物足りないと思っていたこと(の1つ)ではないかと思った。
そこで、私はひとまずチョムスキーから離れて、自分で「脳化社会」論から311後の日本社会を認識してみようと思った。
そして、たまたま今日、デモクラシーナウの以下の動画(ハワード・ジンと出演)を観た。
In Rare Joint Interview, Noam Chomsky and Howard Zinn on Iraq, Vietnam, Activism and History(2007年4月16日)
それは例によって、アメリカ国家ら権力者たちの欺瞞を暴くものだったが、チョムスキーの姿勢が改めてとても印象に残った。それが、まるで狼が獲物を嗅ぎつけるように、権力者たちの欺瞞をこれでもかこれでもかとくんくん嗅ぎつける彼の執念だった。その執念は「脳化社会」の塀の中の人間の振る舞いというより、「脳化社会」の塀の外の自然界に住む生き物の振る舞いのように思えた。
思い起こせば、彼の生い立ちがそもそも「脳化社会」の塀の中の人間の振る舞いではなかった。小さい頃から自分のしたいこと、欲することしか関心がなくて、大学も教室の正規の授業なぞ全く無視して、気に入った教師の家に入り浸って、興味の向くままに学びをしてきた。殆ど野良犬みたいな学生だった。
彼が理想とするアナーキズムも、普通のそれとはかなり異質だ。インタビューで、こう答えている。
「生活のあらゆる側面での権威、ヒエラルキー、支配の仕組みを探求し、特定し、それに挑戦することにおいてのみ、意味があると思っています」
つまり、彼が理想とすることは、抑圧、人権侵害に反抗、抵抗すること、その実行にのみ自由、人権保障の意味があると考えていること。最初から自由、人権があるのではなく、抑圧、人権侵害への反抗・抵抗を通じてのみ初めて自由、人権が見出せる、と。
人権のエッセンスは抵抗権にある(宮沢俊義)、彼のアナーキズムのエッセンスもこれと同じだ。昨年出版したブックレット「わたしたちは見ている」のエッセンス=人権侵害と抗うことを通じて人権保障を実現する、これと彼のアナーキズムのエッセンスも同じだ。
確かに、チョムスキーは「脳化社会」批判を口にしない(私が知る限り)。しかし、そうだとしても、彼自身の生き方そのものが「脳化社会」の塀の外の自然界に住む生き物の振る舞いであって、この意味で「脳化社会」批判なんだ。
彼が権力者たちの欺瞞を、狼が獲物を嗅ぎつけるように飽くなく嗅ぎつけたように、私も「脳化社会」の破綻をくんくん嗅ぎつける努力をすることーーそれが今、彼から授かった最大の宝物という気がする。
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