
ベランダにやってきた沈思黙考中のカエル
AIをボロ糞に言う人がいる。
しかし、AIが無条件にボロ糞なわけではない。でなかったら、ここまでAIが人々に使われるはずがないから。
AIに使用価値があるとしたら、それはコンピュータやインターネットという脳化世界の中で、膨大な情報から必要なものを取り出してくる検索機能にある。原理的にそれ以上でもそれ以下でもない。
世のAI学者は一生懸命、検索機能に学習機能を付け足して、検索機能の精度をあげようとする。確かに精度はあがるかもしれない。けれど、それだけ。所詮、脳化社会の中での精度の向上でしかない。
ひとたび、脳化世界の塀の外の自然世界に出たなら、この自然世界に対しては、そんな検索機能も学習機能もーー全く無力だとは言わないがーー脳化世界の中で発揮するような精度は全く保障されない。そんな論理一辺倒で割り切れるほど、自然世界は単純ではないから(それは福島原発事故の収拾の陣頭指揮に立って亡くなった吉田所長の証言に赤裸々に示されている)。
この訓えを忘れて、脳化世界の中でAIが発揮する成果がそのままその塀の外の自然界でも通用すると思い込むとき、それが「安全神話に眠り込む」ということだ。それが破綻したことは2011年3月11日の福島原発事故の発生で証明された。
にもかかわらず、そのあとすぐに、この安全神話が復活した。今度は原発事故の健康への影響をめぐって健康被害のデータがないからという恐ろしく貧しい理由で。 脳化世界で重宝されるデータが脳化世界の塀の中でひとつの約束事としてそれなりに通用するのを一概に否定はしない。けれど、それが脳化世界の塀の外の自然世界にそのまま通用するほど、自然世界は単純ではない。
しかし、脳化世界に生きる人たちは、絶えず、この「安全神話に眠り込む」ようにコントロールされている。この刷り込み(マインドコントール)は、これまでやられてきた宗教(オウム真理教、統一教会など)や政治(ヒットラー、スターリンなど)のどんなマインドコントロールよりもずっと精巧で、陰湿で、強力だ。だから、人々はいとも簡単に、自分が住んでいる脳化世界がこの世の世界だと信じ込んでしまう。しかし、これは地球誕生以来、厳然と存在し続けてきた自然世界をじわじわと浸潤してきた人工世界のことなのだ。
この脳化世界と自然世界の厳然たるちがいを忘れて、 人がAIやデータに依存し、これらに支配された脳化世界に安住し続けるとき、そのとき、養老孟司が警鐘を鳴らしたように、「AI支配でヒトは死ぬ」。
それは誇張でもハッタリでも何でもない。
311を経験し、原発事故の救済を何一つ出来ないでいる私たちはいま、脳化世界の成れの果てに立っている。
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