2025年2月7日金曜日

【第83話】2025年つぶやき7:子ども脱被ばく裁判の最高裁棄却決定から日本版を再発見する(25.2.7)

                                       今日、ベランダにやって来たヒヨドリ

昨年11月29日、大阪高槻市でやったチェルノブイリ法日本版の学習会(>報告)。そのレジメの表題は
脱「脳化社会=セルフネグレクト社会」から日本版を再発見する(>レジメ

ちょうど同じ頃、子ども脱被ばく裁判の上告審で、最高裁は棄却する決定を出した(>報告)。
それを受けて、311から14年続けられた2つの脱被ばく裁判を振り返り、
子ども脱被ばく裁判の最高裁棄却決定から日本版を再発見する
を引き出す必要があると考えた。
それをやったのが以下である。

2025年の振り返り:子ども脱被ばく裁判その可能性の中心その1「未来について語る」(25.2.5) 

同上その2「外圧の力 

同上その3「狐につままれた二審決定

同上その4 「最高裁判決は理由をボイコット

同上その5 「法治国家の滅亡

同上その6 「子ども脱被ばく裁判が日本を変えた

同上番外編園良太さんが私を変え、新人類の仲間入りをさせてくれた

同上番外編2疎開裁判の申立の時、永久保存版の言葉を語っていた井戸謙一さん

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【第114話】なぜ環境権は人権として認められないのか。その最大の理由は 環境権は終焉を迎えた「脳化社会に安住する塀の中の法律」の中に収まらず、まだ誰によっても書かれたことのない未来の法「脳化社会の塀の外に出た法律」の切り札だから(25.7.14)

日本の七不思議の1つ それが環境権。日本で環境権という言葉が初めて提唱されたのは半世紀以上前の1970年、 日本弁護士連合会の人権擁護大会の公害問題に関するシンポジウムの中だった。また、その前年の1969年、画期的な 東京都公害防止条例はその前文で「 すべて都民は、健康で安全かつ...