今週1月27日に、東京地裁で、避難者が福島県を訴えた「住まいの権利裁判」(>2022年の提訴時の報告)の第12回目の弁論があり、その公開法廷で、郡山で木こりをしていた原告が意見陳述をした(全文>こちら)。裁判前のスピーチと裁判後の報告集会の動画(UPLAN提供)と裁判の提出資料は末尾。
6年前、東京の東雲国家公務員宿舎のそばで、この原告の人と初めて会ったときのことはよく覚えている。彼は私の「311まで何をしていたのですか?」の問いに、
「木こりです」
と答えた。百年前の宮沢賢治の童話(グスコーブドリの伝記やなめとこ山の熊)の世界からやってきたような彼の風貌と彼の職業がぴったり一致した。
しかし、これは現代の話だった。森の中で生計を立ててきた彼の人生は311で破壊される。放射能に汚染された森の中で生きていくことは不可能だったから。とりあえず落ち着いた避難先はそれまでの森の生活とは縁もゆかりもない都会の真っ只中。生活が一変し、心身ともに狂い出すのは必然。人に言えないその苦しみの中で、この裁判の原告になることは彼にとって生きる誇りを支える大切なものに思えた。
避難後ずっと体調がよくない中を、今回、初めて公開の法廷の場で意見陳述をするという機会を前に、原稿を作成し、27日の期日に裁判官の前で読み上げるために自分なりに万全の準備を心がけてきたことが、当日の、彼の全身から闘志みなぎる雰囲気から伝わってきた。
原発事故さえなければ、郡山で、ずっと自然豊かな山の暮らしを続けていた、こんな都会のど真ん中の裁判所の法廷で喋るなんてことはあり得なかった、「なんで、オレはここにいなければいけないんだ!」という理不尽さ、悔しさが陳述の随所に、全身からにじみ出るのが伝わってきた。
2年前、チリの詩人パブロ・ネルーダの
「チリの森を知らないものは、この惑星がわからない」
という言葉はこの人にピッタリ当てはまるのではないかと思い、
「福島の森を知らないものは、この惑星がわからない」
それで、ネルーダの詩を読んでいると、次の詩集があることを知った。
「木こりよ めざめよ」
それで、この一節をコピーして、あなたのことをうたった詩ですとこの人に渡した。
私は、昨夏以降、「脳化社会」に安住して生きる生き方に心底嫌気が差し、脱「脳化社会」をめざす生き方にシフトしてきた。
それは現代社会の不登校児・異端児みたいなものだ。
しかし、その結果、他方で、宮沢賢治の世界にいるような「木こり」がまるで自分の本当に大切な親友に思えるようになった。
いま、私はこの原告が「木こり」であったことが誇らしい、
311の思いもよらない福島原発事故で都会の真っ只中にほおり込まれて、大変な苦しみの中にいながら、自身の矜持を失わずに、この日、法廷で自身の思いを堂々と陳述したことが本当に素晴らしいと思う。
この日の彼の証言は脳化社会に抵抗する日本の市民にとって、永久に胸に刻む価値のある、かけがいのない宝物だ。
◆裁判前のスピーチ(東京地裁前)
◆裁判後の報告集会(参議院議員会館)
提出書面
◆原告(避難者)準備書面(19)--真の争点形成に向けて一歩前に出る--
被告県の争点整理案に対する応答が種々の点でおざなり、表面的なので、より充実した内容になるように再度の応答を求めて再質問したもの (全文>こちら)。
前回期日に裁判所より被告に、原告準備書面(14)に対する認否とくに争う所を明らかにするように指示したのに対し、応答したもの。
しかし、その内容は文字通り、内容のないもの(全文>こちら)。