今日、茨城県北から都内経由で自宅に戻った。そこで、感じたことを生き直す(その2)としてメモる。
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生き直す(その2)
2週間ぶりに田舎から都内経由で自宅に戻る。
そのとき、改めて、自分が、上京して以来このかた、都市社会の中でいかにストレスを減らすように無意識のうちにあれこれと工夫してきたかに気づかされた。
その工夫がうまくいったとき、確かに、それによって、少しはストレスが和らぐだろう。
しかし、それは所詮、ストレスの元凶にとってはカエルの面に小便、元凶はびくともしない。だから、都市社会に暮らしている者にとって、都市社会の中で「ゆでガエル」にさせられている過酷な現実に何の変化もない。かすりともしない。
つまり、それらの工夫は精々、「ゆでガエル」がゆであがる速度をちょっとだけ遅らせることができるだけで、抜本的には何一つ改善に向かわない。
つまり、その場しのぎのものでしかない。
表向きはスマートに振舞っているかに見えて、実にみじめな姿。
だったら、そんなみじめったらしい工夫にあくせく心を砕くよりは、
いっそのこと、サッパリと都市社会にアバヨとオサラバして、
脱「都市社会」の生き方を模索、挑戦するほうがずっとポジティブで、健全だ。
そしたら、
それまで娯楽時代劇やヒューマン・ドラマの傑作を撮り続けていた黒澤明は、そこから一転、「どですかでん」(1970年)、自殺未遂を経て、「デルス・ウザーラ」(1975年)という奇妙な映画を撮り始め、そのあと、憑かれたように、「影武者」(1980年)、「乱」(1985年)を撮った訳が分かった気がした。
黒澤は、高度経済成長を暴走する日本の脳化社会の行く末に、人一倍、恐怖を覚え、そこから
一方で、脱「脳化社会」に生きる人たちの姿を描き(どですかでん、デルス・ウザーラ)、
他方で、「脳化社会」のどん詰まりで狂乱の人たちの姿を描いた(影武者、乱)。
それは、黒澤なりに、 サッパリと脳化社会にアバヨとオサラバして、
脱「脳化社会」の生き方を模索、挑戦しようとしたのだ。
そう思ったら、黒澤の一見無謀に思えた仕事ぶりは、何とポジティブで、健全なのだろう。
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