2008年6月放送のNHK「知るを楽しむ 第2回」 ビンタか死か 後編
水木しげる「だいたい戦争というのは無理なんじゃないですか」
2年前、水木しげるの謎について、次のようなコメントを書いたことがある。
「総員玉砕せよ!」
これは私が今まで読んだ漫画の中で、これ以上の人権侵害はないと思えるほどの人権侵害の極致を描いた作品でした。
しかし、それを描いた当の水木しげるは、生涯一度も「人権」も「人権侵害」というコトバを口にしませんでした。
これが私にとってずっと謎でした。
その謎が解けたと思ったのが、2年ほど前に、避難者追出し裁判の弁護をする中で、国際人権法の問題を考えることになり、国際人権法の中で、人権の出発点になるのは「自己決定」だということを知った時でした。これは水木しげるの生き方そのものを最もリアルに語るコトバだったからです。
この時、私が人権の本質について、まだ何も知らなかったことに気がついたのです。
そして、水木しげるこそ人権の本質をいち早く的確に掴んでおり、にもかかわらず、日本社会では(憲法の教科書でも)「人権の本質は自己決定だ」なんて誰も言わないから、彼もまた日本社会の中で、「オレは人権主義者だ」と言わなかった(言っても誰にも理解されないと思った?)んだと思いました。
彼の死を報じたこの記事には自己決定を貫く彼の生き様が如実に現れていると思いました。
・・・私は(国の)命令をあまり聞かなかった。“自分の命令”を聞いていただけだから。
ただ、この時、水木しげるの「自己決定」の中身にまで踏み込まなかった。しかし、今、彼の「自己決定」の中身に踏む込んでみたとき、実に、本当に見事までにひとつの立場で貫かれていることに気づいた。それが、
「脳化社会」の塀の外に出て、自然世界の中で生きる
というスタンス。水木しげるは養老孟司の偉大な先達。私が求めている人権主義者の極地が彼の哲学(自然哲学)の中に詰まっている。
それが、2008年6月放送のNHK「知るを楽しむ(第1回)」の第2回で、水木しげるの次のコトバ。
「だいたい戦争というのは無理なんじゃないですか」
その無理なことを無理やりやらせるところに人権侵害が発生する。
すると、原発についても、これと同様に、次のように問うのが最も考え抜くに値する問い方ではないか。
「だいたい原発事故というのは無理なんじゃないですか」
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