2025年1月3日金曜日

【第34話】2025年の抱負:2つの世界のはざまで、自然世界の母国語を探求し続けた冒険者ーータルコフスキー(25.1.4)

タルコフスキー「幼年時代が終わってしまったと感じた時、途方に暮れてしまう」 


タルコフスキーと母

「鏡」から

彼の田舎での幼年時代は自然世界の中の暮らし。そこから都会に移り住み、脱「自然世界」=脳化社会のただ中にほおり込まれ、自分を見失い、苦しむ。
そして、再び、脱「脳化社会」=自然世界を発見し、
そこから、2つの世界のはざまにあって人はどう生きたらよいのか、その意味を彼が自然世界から獲得した母国語を駆使して表現し、終生、問い続けてきた脱「脳化社会」のチャレンジャー。
彼の「ノスタルジア」は単なるロシアへの郷愁にとどまらない。ロシアが保持している雄大な自然世界、その普遍的な世界に対する限りない畏敬、歓喜、愛情に満たされている。

彼の映画、映画論「映像へのポエジア」に触れるたび、彼の問いが聞こえてくる。

君の耳は聞こえているか

の目は見えているか

の鼻は匂っているか

の肌は感じているか

の舌は味わっているか

の骨は動いているか

の脳は動いているか 

の心は愛しているか

「ストーカー」から
「ストーカー」から

「ノスタルジア」から

0 件のコメント:

コメントを投稿

【第114話】なぜ環境権は人権として認められないのか。その最大の理由は 環境権は終焉を迎えた「脳化社会に安住する塀の中の法律」の中に収まらず、まだ誰によっても書かれたことのない未来の法「脳化社会の塀の外に出た法律」の切り札だから(25.7.14)

日本の七不思議の1つ それが環境権。日本で環境権という言葉が初めて提唱されたのは半世紀以上前の1970年、 日本弁護士連合会の人権擁護大会の公害問題に関するシンポジウムの中だった。また、その前年の1969年、画期的な 東京都公害防止条例はその前文で「 すべて都民は、健康で安全かつ...