「大地の子」
1、ふたりの親
正月、NHKの番組「しろくまピース」を観た。
しろくまのピースが喜怒哀楽を人間以上に激しく示す姿に、少年時代愛読した「シートン動物記」の記憶がまざまざと蘇った。
自然世界は人間が作り出した人工世界=脳化社会と比べ物にならないくらい豊饒の世界だ。ピースを見ていて、つくづく親を決めるのは子ども自身なのだとも思った。私もまた、自分で親を決めてきたから。
ものごころついてまもなく、裏日本の自宅から清水トンネルを抜けて東京港区田町の叔母一家に遊びに行くのが何よりも楽しみだった。或るとき、帰りの上野駅のホームで、叔母と別れるのがつらくて、叔母にしがみついておんおん泣いて彼女を思い切り困らせた。聞き分けのなかった私は、この時、叔母こそ私の育ての母親だと悟ったのだった。
40代に、知的財産権の紛争で困っている方から相談を受けた。彼は東京都の日中友好協会を事実上、背負っている人で、その紛争解決のため、一緒に中国に渡り、奔走した。その中で、彼の生い立ちーー特攻隊の生き残りとして、終戦後1年かけて、亡くなった仲間の遺族の家を北海道から九州まで一軒一軒回り、お線香をあげた。その中で戦後をどう生きるかを考え抜き、二度と戦争をしないために、民衆レベルで平和運動の取組みをしようと日中友好協会の活動に身を捧げてきた。とつとつと、そしてとどまることのない情熱を込めて彼の口から生い立ちを聞かされたとき、絶対永久平和主義者としての彼の人間としての大きさに震撼させられ、この人こそ私の育ての父親だと悟った(彼は、日本政府が福島の子どもたちを集団避難させないのに対し、市民が自発的に子どもの避難先を準備しようと始めた「まつもと子ども留学」基金の設立総会にも、名古屋の出張の帰りに参加した〔以下の写真参照〕)。
2013年9月1日「まつもと子ども留学基金」設立総会
日中戦争の過酷で数奇な運命のもとで、親を決めた(決めざるを得なかった)戦争孤児の物語が「大地の子」である。
2、ふたりの親のドラマ
それは「大地の子」。ふたりの親の一方は「人間の条件」の主役を演じた仲代達也。他方は、「變臉 この櫂に手をそえて」(>その紹介)の変面王を演じた朱旭。
311後、ふくしま集団疎開裁判を続ける中で、ひそかに観ていたドラマ・映画があった。
韓国ドラマ「エデンの東」「カインとアベル」、韓国映画「ブラザーフッド」。
311の直前、私は自分のライフワークを準備中だったが、原発事故がすべてを変えてしまった。目の前にライフワークが示されたからだ。とはいえ、このライフワークは正直なところ、自分の手に余る、とても自分の背に背負い切れることではないと思えた。するとそのとき、自分の前に現われたのは旧約聖書のモーセ、エレミアたちだった。彼らは神から命令を受けたとき、それに応える力も意思もないとして懊悩した人たちだった。或いは自分の愛する者のため途方もない困難に立ち向かうドラマだった。それが韓国ドラマ「エデンの東」「カインとアベル」、韓国映画「ブラザーフッド」だった。
そのあと、ふくしま集団疎開裁判の仙台高裁の決定が出るまでのロスタイムの間、じりじりする中で、私は初めて日本のドラマを観た。それが「大地の子」。観終わったとき、「こいつは俺のために作られたドラマだ」と思った。それは主人公陸一心が労働改造所先の内モンゴルで知り合った看護婦の江月梅との間で次のシーンがあったからである(>動画)。
そのとき、私たちはどんなむごい境遇でも決して自分の心を失わない「大地の子」でありたい、なりたいと思った。どんなむごい境遇でも自分の心を失わないこと--それは3.11以後の日本社会に生きるために必要な人間の条件だから。
3、陸一心が労働改造先で知り合ったもうひとりの朋輩
しかし、昨夏、「脳化社会」論を知り、「脳化社会」を鋭く批判する、幼少期を中国で過ごした安部公房、武満徹たちから、中国の農村に存在する「脳化社会」に浸潤されない世界で生きる人々の脱「脳化社会」的な姿に関心を抱くようになった。その1つが「大地の子」で、主人公陸一心が労働改造先の内モンゴルで知り合った、同じ囚人でひつじ飼いの黄書海が主人公に話す次の言葉だった。
「もし、君の両親が日本人なら、日本の民族の言葉、母国語を知らないことは、人間として不幸なこと、恥だよ、私は日本で生まれ育ち、日本の教育を受けたが、ずっと中国語を勉強し、母国語を忘れなかった。‥‥君が望むなら、羊を追いながら、日本語を教えてあげよう」
こう話す黄書海は日本に生まれ、日本から帰国した華僑だった。
もし今、自分の出自=自然世界の出であることを自覚したのなら、出自である自然世界の言葉ーーそれは私にとっての母国語ーーそれを知らないことは人間として耐え難いほど不幸なこと、恥ではないか。陸一心が自然世界(労働改造先の内モンゴル)で黄書海から母国語を学んだように、私もまた、自然世界で生きるすべを身をもって示した朱旭、ファーブル、シートン、坂本繁二郎、宮沢賢治、養老孟司、安部公房、武満徹、タルコフスキーたちから母国語を学ぼうと。
それが自然世界の中に身を置いて、そこで見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わって、震えて、喜怒哀楽を思いきり全開した個人的体験という固有言語で綴られる私の母国語の学び。母国語で語られた私のスケッチブック。私の唯一無二の宝物。
そしたら、その次は、私の個人的体験という固有言語で綴られた母国語を使って、脱「脳化社会」を再構成するスケッチ、設計図に挑戦してみること。
2025年に、この執念以外に、この執念以上に、追求すべき執念があるだろうか。
※関連記事:養老孟司、安部公房との出会い
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