2025年1月22日水曜日

【第68話】パンセ:「小沢征爾の中国の弟子たちの追悼コンサート」番組の衝撃(25.1.22)

 昨年末(12月30日)放送の、NHK「小澤征爾が遺したもの〜教え子たちの追悼コンサート〜」を観た。それで、それまでの小澤征爾の見方が変わってしまった。

これまでずっと、小澤征爾にどこかいかがわしいものを感じて来た。彼が指揮する演奏を聞いても「美しい。でも、それだけだろ」としか思わなかった。そのため、彼を胡散臭いものとしてずっと遠ざけて来た。
しかし、この番組を観て、90年近い彼の全生涯をみて、中国の若い音楽家たちの小沢に対する姿勢に触れ、自分は間違っていたと思った。彼はただの正義感のヒーローとして行動してきたのではなかった、自分の身体を投げ打ってでも、打ち込んできたものがあったことに今初めて気がついた。
それは、かつて中国の友人が私に教えてくれた人間像、「義の人」の振る舞いだった(第31話)。
それはまた、戦前、本気で五族協和の実行を考えていた「義の人」だった彼の父親の教えを受け継ぐものように思えた。

彼が喋るコトバ、それは私に消化不良を引き起こし、舌足らずな、ざっくりした印象を与えた。しかし、彼の真骨頂はもともとコトバにはない。演奏にある。コトバに翻訳できない音楽の世界にある。だから、彼のコトバを鵜呑みにして、彼を評価、判断することは本来間違っている。彼を評価、判断するなら、彼が演奏してきた音楽に向かってやるべきだ。今にして初めてそのことに気が付いた。

とはいえ、彼に対して信頼、憧れを抱くに至っていない。けれども、彼が音楽を通じて示そうとしたもの、単なるコトバ、認識を超えて、体験、実行を通じて、私たちが人々と一緒に作り上げることができるものが何であり、それがどのようにして可能なのかについて、大いなる示唆を与えてくれる気がする。
その示唆を十二分に受け取ってから、初めて彼に対する自分の態度を決めればいい。

アクティビストとしての小沢征爾の可能性について考える(続く)。


0 件のコメント:

コメントを投稿

【第117話】民事冤罪事件に光を!:最高裁の誤判に国際再審手続の保障を実現するのは私たち市民の手にかかっている(25.11.29)

世界の常識である個人通報制度を日本に導入することを求める市民の声をカタチで示すため、オンライン署名をスタート。賛同の方は >こちら まで署名をお願いします。 1、或る民事冤罪事件の概要 昨日、最高裁から通知が届いた(上の書面)。私が代理人をつとめる、学問の自由の侵害に対して救済...