これは、【第27話】つぶやき6でつぶやいた、脱「ゆでガエル」を実行する途を求めて個人的体験を振り返ったもの。
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茨城県北のど田舎の実家の庭。
これまで雑草一本生えない、虫一匹も、鳥一羽も来ない、ずっときれいだった庭。
それは自然があるようでない、命がない、都会と同じだった。
虫をめでるには、外から持ってこないとダメだった。
ところがここ数年、それが一転。雑草の草花一面の庭に変貌。
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6月
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12月
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すると、虫も鳥も現れて、
すぐそばにタヌキまで現れた。
これで、若き坂本繁二郎が、自分の頭がおかしくなったのではないかといぶかりながら、こう悟らずにおれなかった世界と同じようになった。
「あぜ道の草が美しくて仕方がない」(「私の絵私のこころ」より)
それはまた、晩年の谷川俊太郎が、どんな詩が書きたいかという問いに対し、こう答えた世界と同じになった。
「道端に生えてる雑草みたいな詩が書きたい」(「現代作家アーカイヴ2」より)
谷川曰く、雑草には何のメッセージも、意味もない。
けれど、そこには命=神があった‥‥それが詩の理想だ。
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