「ファーブル昆虫記」に写真集があるなんて知らなかった。
息子とファーブルの共著だ(>本の紹介)。
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その中に、80歳を超えたファーブルが、生涯に受けた忘れがたい2つの授業について語るくだりがあり、次の言葉が紹介されている。
それは彼がアヴィニョンの師範学校の生徒だったとき、教師が酸素を発生させようとして行なった実験の失敗にまつわる話だった。その実験は見事に失敗し、爆発の結果、壁は硫酸でしみだらけ、級友たちはあちこち火傷して泣き叫び、教師の洋服もボロボロになった。しかし、この失敗はファーブルにとって生涯忘れられない出来事となった。なぜなら、このとき、彼は化学への糸口を彼はつかんだからである。
それについて彼自身、こう書き残している。
「教育で最も大事なことは何を教えるかではない。教えられたものは十分理解されるかどうか分からない。
教育とは生徒の中にひそんでいる能力を呼び覚ますことだ。眠り込んでいる爆薬の点火薬だ。私の中で点火薬が発火した。いつか私は自分で、今日運悪く手に入れられなかった酸素を手に入れてみよう。いつか先生なしでも化学を覚えよう。そしてもっと多くのほかのことも‥‥」(ファーブル昆虫記第10巻第21章)
これは学びの原点を語ったもので、すべてについて言える。
たとえばチェルノブイリ法日本版の学習会について、次のように。
日本版の学習会で最も大事なことは何を教えるかではない。教えられたものは十分理解されるかどうか分からない。
なぜなら、学習会とは参加者の中にひそんでいる意識を呼び覚ますことだから。眠り込んでいる爆薬の点火薬だから。だから、参加者の中からひとりでもいいから、参加者がこう感じてくれること、それが学習会の真髄だーー私の中で点火薬が発火した。いつか私は自分で、今日運悪く手に入れられなかった日本版のエッセンスを手に入れてみよう。いつか講師なしでも日本版のエッセンスを学ぼう。そしてもっと多くのほかのことも‥‥
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