2025年1月13日月曜日

【第52話】パンセ:谷川俊太郎の「声の力」より(25.1.14)

私のアメリカの友人で、いわゆるストーリーテリングをしている男がいる。
彼によると、本を読む「読み聞かせ」よりも、自分のからだで覚えた話の「語り聞かせ」のほうがはるかに聴衆をとらえるそうだ。

書き言葉は(話し)言葉からある種呪術的といっていい力を奪った。
(11頁)

実に銘記すべき一文。

なぜなら、自分は幼年時代からずっと、話し言葉を敬遠してきた。おそらく自分のどもりのせいもあり、話し言葉ではうまくコミュニケーションが取れなかったというコンプレックスの体験が作用しているからではないか。
そこで、その負の体験の負の穴埋めをするため、話し言葉から書き言葉にシフトして、書き言葉の土俵の上で、勝負しようと取り組んできた。その結果、声は消え、もっぱらコトバの意味だけに着目して、正確な内容を表現することに腐心した。
それは情報伝達の脳化社会の中では有利な地位を占める取り組みだった。

しかし、その結果、話し言葉の可能性が全て消し去られた。
それが、話し言葉の力ーーそれは生き物が持っているささやき、声、呪術などの力。


いま、講話、スピーチをする以上、それは語り言葉で語られるべきで、たとえどんなに準備が大変であろうとも、役者のように、あらかじめ原稿を自分のからだで覚え込ませる必要がある。
だから、原稿は書いて完成なのではなく、からだで覚え込ませて初めて初めて準備が完成するーー今まで、それに全く気が付いていなかった。

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