2025年1月15日水曜日

【第60話】音楽の力:24年ぶりに地下鉄ホームで聴いたトランペットの曲名が分かった(25.1.15)

 24年前の2001年3月。同年9月11日の大惨事発生の半年前、仕事と追っかけで、1ヵ月半、ニューヨークでアパート住まいしていた。
週1日、コロンビア大学で柄谷行人のゼミを聴講する外はひとり暮らし。大都会の孤独を思う存分味わう日々で、2週間ほど過ぎた頃、真夜中に、アパートの前の建物が火事、煙がアパートの廊下にまで立ち込めるちょっとした騒ぎ。火事の時の英語は殆ど絶叫。完全にギブアップ。動物のように自主避難するしかなかった。



翌日、セントラルパークに向かう途中で、飼っている犬(>こいつ)と似ている犬を見つけては追っかけたり、

 セントラルパークで、行き交う犬の散歩ずれやリス、鳥を眺めて一日を過ごす。ここだけは大都会の中のオアシス(とはいっても、人工的な自然だったが)みたいに感じられ、心惹かれた。だが、そんな自然への郷愁を確認するためにわざわざ日本(日本は自然世界がここよりずっと残っている)から来たのかと思うと、情けない気もした。ただ、当時はそのことを自覚する力もなかった。


   

 

日が落ちて闇が満ちてきて、都会の孤独も一緒に立ち込める時間帯。

地下鉄でアパートに戻ろうとホームに出る。すると、不意に、なにかの音が鳴り響いた。その瞬間、その音に惹き付けられ、知らないうちにその音に向かって駆け出していた。



それはトランペットを吹くストリートミュージシャン。初めて聴いた曲なのに、なぜかとても懐かしくその演奏に胸が締めつけられ、その場から動けなかった。
そのとき、初めて、ニューヨークに来た甲斐があったと思った。

 

 


それから24年後の今日、NHKのFMで、同じ曲が流れ、司会は曲名を「ハロー通り」と言った。「ニューヨークの通りの名前なのか、その曲は」と思ったが、ちがった。ネットで調べたら、「ハロー、ドーリー」だった。
youtubeで、その曲を片っ端から聴いてみた。しかし、どんなうまい歌唱でも、どんなうまいトランペットの演奏でも、24年前、ニューヨークの地下鉄ホームで聴いたあのトランペットの曲にはかなわなかった。
「ハロー、ドーリー」は、私の心の中で、24年前、ニューヨークの地下鉄ホームを行きかう様々な人々の中で聴いた、あの瞬間の演奏が今も鳴り響いている。

0 件のコメント:

コメントを投稿

【第108話】2025年の気づき10:住まいの権利裁判、「損害の欠缺」の補充の法理を考えている中で、初めて「欠缺の補充の(具体的な)法理」の意味を突き止める経験をした(25.6.11)

◆ はじめに 311後の日本社会の最大の法律問題ーーそれは原発事故の救済に関する全面的な「法の欠缺」状態の解決である。なぜなら、311後の日本社会は原発事故の救済に関して、これまでの「法治国家」から「放置国家」に転落したから。ただし、これはひとり国家だけの責任ではない。法律家も含...