24年前の2001年3月。同年9月11日の大惨事発生の半年前、仕事と追っかけで、1ヵ月半、ニューヨークでアパート住まいしていた。
週1日、コロンビア大学で柄谷行人のゼミを聴講する外はひとり暮らし。大都会の孤独を思う存分味わう日々で、2週間ほど過ぎた頃、真夜中に、アパートの前の建物が火事、煙がアパートの廊下にまで立ち込めるちょっとした騒ぎ。火事の時の英語は殆ど絶叫。完全にギブアップ。動物のように自主避難するしかなかった。
翌日、セントラルパークに向かう途中で、飼っている犬(>こいつ)と似ている犬を見つけては追っかけたり、
セントラルパークで、行き交う犬の散歩ずれやリス、鳥を眺めて一日を過ごす。ここだけは大都会の中のオアシス(とはいっても、人工的な自然だったが)みたいに感じられ、心惹かれた。だが、そんな自然への郷愁を確認するためにわざわざ日本(日本は自然世界がここよりずっと残っている)から来たのかと思うと、情けない気もした。ただ、当時はそのことを自覚する力もなかった。
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日が落ちて闇が満ちてきて、都会の孤独も一緒に立ち込める時間帯。
地下鉄でアパートに戻ろうとホームに出る。すると、不意に、なにかの音が鳴り響いた。その瞬間、その音に惹き付けられ、知らないうちにその音に向かって駆け出していた。
それはトランペットを吹くストリートミュージシャン。初めて聴いた曲なのに、なぜかとても懐かしくその演奏に胸が締めつけられ、その場から動けなかった。
そのとき、初めて、ニューヨークに来た甲斐があったと思った。
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それから24年後の今日、NHKのFMで、同じ曲が流れ、司会は曲名を「ハロー通り」と言った。「ニューヨークの通りの名前なのか、その曲は」と思ったが、ちがった。ネットで調べたら、「ハロー、ドーリー」だった。
youtubeで、その曲を片っ端から聴いてみた。しかし、どんなうまい歌唱でも、どんなうまいトランペットの演奏でも、24年前、ニューヨークの地下鉄ホームで聴いたあのトランペットの曲にはかなわなかった。
「ハロー、ドーリー」は、私の心の中で、24年前、ニューヨークの地下鉄ホームを行きかう様々な人々の中で聴いた、あの瞬間の演奏が今も鳴り響いている。
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