2025年1月1日水曜日

【第30話】2025年初夢の続きその2:若き坂本繁二郎が見てしまった「あぜ道の草が美しくて仕方がない」世界の続き(25.1.2)

 正月の元旦、茨城県北茨城市五浦を歩いた。

あたり一面、枯野の世界(ガラ携の写真)。


 その中にひっそり咲いた一輪の花。


 そこはすぐ目の前が絶壁の海。

 


 



絶壁の手前の木々のすきまから見える海の姿にしばし見とれる。

その木々の奥から一瞬、野良犬のうなり声のような不気味な低音が聞こえてくる。
どうやらカラスのお宿らしい。

少し行くと絶壁と木々は終わり、港が広がる。

 


 



道は港から少しずつ離れて、再び枯野の光景に。

じっと枯野を見ていると、枯れた茎の間から港の景色が見える。私の絶景。

しばらくグルグル山の中を歩くと、ふと、あたり一面緑の原っぱに出会う。
坂本繁二郎が見た「あぜ道の草が美しくて仕方がない」世界。
この自然世界=宇宙を感得するためには、これだけの空間で十分だ。

 


 


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