十数年ぶりに、ふくしま集団疎開裁判(ブログ>こちら)を振り返って、2013年4月24日の仙台高裁の決定が出た直後の「判決直後アクション」のひとつ5.18新宿デモの動画(>こちら)を観た。そしたらものすごく新鮮だった。そのとき、かつて経験したことのない気づきに襲われた。
それは、ここでスピーチする人たちのコトバは過去の出来事について語っているのではなくて、未来の出来事に向けて語っているのだという気づき。そのコトバは今を生きる私にとって、単に過去のなつかしい思い出ではなく、未来の実現に向けて、永久に記憶されるべき宝物だという気づき。
そのような宝物をもたらしたふくしま集団疎開裁判(そして、その続きの裁判である子ども脱被ばく裁判)とは何だったのか。
それは、単なる「避難」「脱被ばく」を訴える裁判ではなく、住まいを放射能汚染された人々があきらめの中で最後の拠り所にしていた「苦悩という避難場所」(スベトラーナ・アレクシェービッチ)から抜け出し、「現実の避難場所」に向かうアクションを呼びかけることを意味した(その詳細は>新老年【第32話】)。
それは311後の日本社会の再建にとって必要なアクションだった。けれど、今思うことは、それで十分ではなかった。では、何が足りなかったのか。
思うに、それは単に「集団疎開」=脱「被ばく」を訴えるだけでは足りなかった。汚染地に住む人々が「苦悩という避難場所」から抜け出し、「現実の避難場所」に向かうアクションを呼びかけるのでもまだ足りなかった。何が足りなかったのか。
ひとたび原発事故が起きたらその修復には百年かかると言われる(菅谷昭「これから100年放射能と付き合うために」)このような気が遠くなるような長期にわたる被害は人類誕生後の自然災害で経験したことがない。原発事故は人類が推し進めてきた科学技術の栄華の最先端で登場した、最先端の科学技術がもたらした最先端のカタストロフィーだった。つまり、原発事故は私たちの科学技術の栄華の成れの果ての姿であった。そのことを肝に銘じる必要がある。
私たちは、311で科学技術を極限まで推し進めた「脳化社会」の成れの果てと出会ったのだ。こんな激烈な出会いは過去になかった。だから、「脳化社会」の成れの果てを経験した私たちは新人類である。新人類であることを痛切に自覚する必要がある。それを自覚した者にとって、311後の「脳化社会」の成れの果てから立ち直るためには、「脳化社会」そのものと対決する必要があることは疑いようがない。「脳化社会」こそ原発事故をもたらした根本的な原因なのだから。
「脳化社会」そのものとの対決の必要性、重要性を認識、自覚することで、311後の日本社会の再建をめざしたふくしま集団疎開裁判にとって何が必要でかつ十分なアクションなのかが明確になる。
そのことを指摘したのがケーテ・コルヴィッツの次のコトバ。
「平和主義を単なる反戦と考えてはならない。それは一つの新しい理想、人類を同胞としてみる思想なのです」
彼女の言葉はこう言い換えることができる。
「原発事故の救済問題を単なる反原発と考えてはならない。それは一つの新しい理想、人類を同胞としてみる思想なのです」
311後で放射能対策はガタガタになり、そのゴミ屋敷を放置する日本社会を再建するという課題を考える中で、私はコルヴィッツの「一つの新しい理想・思想」を脱「脳化社会」という思想(それは政治でも政策でもない)に見出した。それは単なる「避難」「脱被ばく」の訴えにとどまるものでなく、私たちが新しい理想に基づいて生きる姿勢そのもののことだ。
原発事故という「脳化社会」の成れの果てのゴミ屋敷を経験した者にとって、311後に、原発事故はなかったかのようにされて、引き続き「脳化社会」というゴミ屋敷の中で息をひそめて生きていくのは殆ど狂気の沙汰、耐え難い苦痛である。だから、私は改めて、人々の苦痛に対し「苦悩という避難場所」に引きこもるのではなく、そこから抜け出して、脱「脳化社会」=脱「ゴミ屋敷」という「現実の避難場所」に向かうアクションを訴える。これこそ、311後の日本社会の再建にとって必要でかつ十分な思想でありアクションである。
私にとって、この脱「脳化社会」=脱「ゴミ屋敷」とは、市民立法によってゴミ屋敷を人権屋敷に再建する「チェルノブイリ法日本版」の実現である(詳細は>こちら)。
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