ウンベルト・サバ(1883年~1957年)
谷川俊太郎の散文の特徴のひとつーー詩の話題が少ないこと。
その少ない話題の中で、彼が「胸を打たれた」と取り上げてたのが須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」に紹介されていたイタリアの詩人ウンベルト・サバの詩「町はずれ」。
これは谷川俊太郎の初心そのものを彼の生まれる10年前に詠ったもの。
私も気に入った。そこで、「町はずれ」に触発されて、さらにはずれてみたいと思い、無謀にも詩のまねごとを書いてみた。
まずサバの詩(訳須賀敦子)を一部、紹介する。
この町はずれの
道でのことだった あたらしい
ことが ぼくに おきたのは
はかない ためいき
に似ていた
不意に 自分のそとに
出て みなと
人生を 生きたいという
あたりまえの 日の
あたりまえの 人びとと
おなじになりたい という
のぞみ。
あれほどの大きな よろこびは
以来 もったことがない。それを人生に
貰おうとも思わない。あのころ ぼくは
はたちで 病んでいた。この町はずれの
新しい道で ためいきのように
はかない望みが ぼくを
捉えたのだった
なつかしい
子供のころには
丘の裸の姿に
まばらな家があちこちに
ちらばり 貼りついていた この場所に
ひとの営みに 駆り立てられて
町はずれの家々が 建っていた
あそこで ぼくは 初めて あまい
空しい
望みに おそわれた。
あたたかい みなの人生のなかに
ぼくの人生を入りこませ
あたりまえの日の
あたりまえの人びと
と おなじに なりたいという
のぞみ に。
みなを信頼
し みなにわかる
言葉を話し わかることを
しようと。パンやぶどう酒や
子供や 女みたい に
だれにでも わかる ことだけを。
次に、私はここからさらにはずれてみたいと思った。それは昨夏の脱「脳化社会」への渇望の目覚めという経験をこんな風に表現して。
この脳化社会のはずれの
道でのことだった あたらしい
ことが ぼくに おきたのは
はかない ためいき
に似ていた
不意に 脳化社会の塀のそとに
出て 生きとし生けるみなと
生命を 生きたいという
あたりまえの 日の
あたりまえの 生きとし生けるものと
おなじになりたい という
のぞみ。あれほどの大きな よろこびは
以来 もったことがない。
あのころ ぼくは
脳化社会で 病んでいた。この脳化社会のはずれの
新しい道で たつまきのように
はげしい望みが ぼくを
捉えたのだった
なつかしい
子供のころには
丘の裸の姿に
まばらな家があちこちに
ちらばり 貼りついていた この場所に
ひとの営みに 駆り立てられて
町はずれの家々が 建っていた
あそこで ぼくは 初めて あまい
激しい
望みに おそわれた。
あたたかい 生きとし生けるものの生のなかに
ぼくの人生を入りこませ
あたりまえの日の
あたりまえの生きとし生けるもの
と おなじに なりたいという
のぞみ に。
生きとし生けるものを信頼
し 生きとし生けるものにわかる
言葉を話し わかることを
しようと。パンやぶどう酒や
子供や 女みたい に
生きとし生けるものだれにでも わかる ことだけを。
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